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自問自答ファッション教室と『美しい城壁』の話

7/7、自問自答ファッション教室に、参加しました!!

(手がブルブルしていたのでブレていたらどうしようと思っていたけどブレていなかった手元写真)

忘れもしない、7/7に行われた自問自答ファッション×ムーンプランナーのインスタライブ。その時のあきやさんの「七夕の夜いかがお過ごしですか〜👋☺️💕」にドギュゥゥゥン‼︎とハートを射抜かれた者として、ある意味運命の日である7/7に受講させていただきました。
(※試聴自体はウジウジしてて7/7をすぎてかなり後でした) 

参照↓

自問自答ファッション教室に参加させてください!!(ここで働かせてください!!)

自問自答ファッション教室での事前アンケート『服に悩んだきっかけ』に書いたものがこちら↓

 “『子供部屋おばさん』という言葉が流行り始め 、私自身も3◯才を越えた頃から、「この格好でみっともなくないかな?」「だらしなく無いかな?」「年不相応じゃないかな?」と出かけようとする際、異様に気になることが増えました。
 これまで、私自身が「これで大丈夫」「変じゃない」と思っていても、周囲からみると、全然大丈夫じゃなくてとても変、ということが多々あったため、より不安は強まりました。

 しかし、もともと服に興味がある方ではなく、ADHD特性持ちの上、幼少期の貧困体験からファッションというものに敵意に近い感情を抱いていたこともあり、ただひたすら「やだなあ、怖いなあ、怖いなあ」と落ち込んで、出かけるまでに凄く時間がかかったり、出かけることをやめてしまっていたのが、服装に関する大きな悩みでした。

 この頃から、『「みっともなさ」は年齢を重ねると無視できない』と、ファッションにテコ入れを始めようとして、ムーンプランナーさんとのコラボで自問自答ファッションに出会い、紆余曲折あって、今に至ります。
 おかげさまで、この辺りの悩みはもう随分と薄れました!ありがとうございます!!

 あがり症で店員さんとの会話や試着にドキドキしてしまうこと、素敵なものを見るとすぐに「こうなりたい(こうなるべきでは?)」と目移りして自分がグラグラ揺らぎがちなことが、目下の悩みです。”

洋服の悩み、既にほぼ解決している……!!
受講前のアンケートで「ありがとうございました」ってお礼書いちゃってる……!!

実際、私は自問自答ファッションと出会って自問自答や試着を繰り返していく中で、迷ったことはあまりありません。

初めこそ「私には無理だよう……( ;  ; )」と震えながら涙を流していましたが、「私なりにやっていくぞ!」と決意してからは、書籍を読み、コンセプトを決めて、都度更新しながら、田舎町で自分なりに悩みつつ試着を行い、悩みの中でまた自問自答を繰り返して、日々たくさんの発見をしております。

元々服の数が少ないこともあって、春夏秋冬、ほぼ制服化もしてます。
服やファッションに関する悩みはもちろん色々ありますが、『自問自答ファッション』自体について、「ここがよくわからない」となったことはほとんどありません。

自分の理解力に自信がないので、「ちゃんと正確に理解できているのか?」という問いがあればそこは自信がないのですが、そうした問いがないのが自問自答ファッションだと私は考えているので、正直、『私が教室に行ってもいいんだろうか……?』と思ってました。
自分なりの形で出来ているので、あきやさんのお力を借りなくても良いのでは……?

しかし、「人生の中で絶対にあきやさんにお会いしたい!!!感謝をお伝えしたい!!!!」
そうした心で応募させていただきました。

(※余談ですが、私がビクビクと怯えていた「子供部屋おばさん」という言葉について、あきやさんは「私はTシャツに書いて着ちゃいます☺️💕と仰ってました。最高)

ズタズタハートの子守唄

参加が決まってから、誇張でなく毎日指折り数えて楽しみにしていた自問自答ファッション教室ですが、受講前日の朝、なんと家族が倒れました。

命に別状はなく、その日のうちに病院から帰ってきてケロッとしていたのですが、事態が事態なので「まさか明日出かけるなんて言わないよね?」と家族に釘を刺され、「当たり前だよ!ちゃんと家にいるよ!!」と答えつつ、内心では「嫌だよ!勘弁してよ!!」と悶絶したりで、感情をズッタズタに引き裂かれて、放心状態になってました。

その放心状態があまりにも酷かったのか、「始発で帰ってくること」を条件に、教室への参加を許可されました。

移動中、これまでのワクワクは一転して、「私は参加していいんだろうか?」「家族を差し置いて、こんな気持ちで参加して、果たして大丈夫なんだろうか?」という罪悪感や心配がズーンと乗り掛かり、足取りは結構重たかったです。
時々気合を入れて軽くしても、また次第に重くなることを繰り返して、ぶっ壊れたチョロQみたいな感じになってました。

ハートがズタズタになればなるほど、心がどんどん無防備になっていくタイプの人間なので、教室に参加させていただいた時にはもうかなりのオープンマインドでした。

ハートがオープンなので、緊張がガチです。
もう教室に入った瞬間から腰が抜けたようになり、ヘナヘナした動きで歩き、ヘナヘナした文字を書き、頭が真っ白になって、ひらがなの「め」をどうやって書けばいいのわからなくなったりしてました。大丈夫!?

あとは何かと泣く。これはもう半分は性分です。
私 is ほんとすぐ泣くマン。
自分の話をしては泣き、人の話を聞いては泣き、何かとポロポロとしていました。

美しい城と、美しい城壁

本当に涙腺が弱い奴なので、メソメソと泣いていましたが、正直『安心して泣けた』というところがあります。
メソメソと泣いてもドン引かれることなく、ふんわりと受け入れてくれるだろうという安心感もありましたが、なんとなく、それだけでは無いような気がしています。

『他者といる技法』の中で、自己啓発セミナーについてこう書かれています。

 セミナーには、私を受け入れないかもしれない人たちがいる。四日前にはじめて会った、ほとんど名前しか知らない他者がいる。「ダイアード」の記述を見ればわかるように、なにをするかわからないし、じっさいに「コントロール不可能なもの」を溢れ出させ、予想もつかないことをする他者がいるのだ。ところが、その「他者」が、私の涙や告白を受け止めてくれる。その「他者」から溢れ出すなにかを、私は受け止めることができる。「家族」であればあたりまえだが、見知らぬ人々とこうするとき、私は確かに「コントロール不可能なもの」を投げ出し、受け止めることができ、していいのだと、深く感じ取る。

『他者といる技法』/奥村 隆

その後、自己啓発セミナーの限界について、こうも書かれています。

 ここにいる「見知らぬ他者」は、あらかじめ他者を受け止めることを契約した「見知らぬ他者」である。この「契約」を括弧に入れれば、ここは「ただの他者」に「コントロール不可能なもの」を投げ出しうる稀有の場所である。しかし、この「契約」を想起すれば、ここは徹底的に「コントロールされた他者」だけが存在する「コントロールされた空間」でしかない。

『他者といる技法』/奥村 隆

自問自答ファッション教室は自己啓発セミナーではありませんが、見知らぬ他人と長時間お話をする(ついでに私はめちゃんこ泣いてる)、という点で、この本の記述を思い出しました。

思い出しつつも、「コントロール可能」だからこそ、安心したわけではない気が私はしています。

泣いたり、苦しみを吐露したり、深く共感したりしても、そこにはただ、『他者がいる』という感覚があったような気がします。
あきやさんを始め、参加されていた皆さんが他の誰かのお話を聞くときの、やわらかい沈黙。
突き放すでもなく、だからと言って同化するでもない、あたたかい力で張られた境界線。

それはきっと、『バウンダリー』『自他の境界』といった何らかの用語があるのだと思いますが、私は何か、とても美しいものを見せてもらっているような気持ちになっていました。

あきやさんのnoteには、『🏰コンセプトを持つことは自分の城を持つこと』と書かれています。

「自分の城を持ってる人間しか、面白くなれないんだよ」友達に言われてずっと心に残っていた言葉です。社会も学校も家庭もみんなが生活するためにルールがあって調和しながら生きていく中で「自分だけの城(世界)」を持つことってとても難しいです。

例えイマジネーションの中だけでも、自分の城(コンセプト)を持っている人は、自分らしさを持って前に進める人です。

コンセプト作りはゴールではなく始まりです/自問自答ファッション通信


「美しい城壁を見ている」

あの時の、優しい空気に感じた気持ちを言葉にすると、これが一番近い気がします。

心に築いた城、その城壁を見ているような。
身を隠したり、外敵から守るためのものでなく、その人がその人であるために築いた美しい何か。
それを見せてもらっているような気持ちでした。

沈黙が正しいわけでなく、多弁が良いわけでもなく

 僕はあの時、優しく僕を見つめてくれた彼の瞳の中に、幾千の声にならない声を感じた。弱っていた僕を励ます、何億ともいうべき優しい言葉を聞いた。それは言葉に直すと、祈りとか、願いとか、慰めとか、とても形にならない、弱いものなのかもしれない。けれど、だからこそ、僕は彼の言葉を聞いたのだ。彼が僕に向かってなにも言えなかったからこそ、僕は彼の愛を感じられたのだ。そしてそれを感じるにはほんの一瞬で充分だった。彼の瞳はまるで鏡のように、僕の中の空洞を、悲しく透明に映していたのだから。

『YES・YES・YES』/比留間 久夫 

あきやさんや参加者の皆さんがお話を聞く際の様子を、『やわらかい沈黙』と書きました。
その時に感じた私の気持ちは、この小説の一説にとてもよく似ているような気がしています。

でも、決して、「なにも言わない(言えない)から良かった」ということではありません。
実際、教室ではキャッキャといろんなお話が飛び出しましたし、アドバイスや質問もありました。

それでも、何か、透明でやわらかい沈黙を感じたのは何故なのか?
それはやはり、『自分に集中している』からこそ滲み出したものなのではないかと思っています。

皆さんが自分自身に集中していたからこそ、他者に対して、あんなにも透明で優しい空気を発することができたのではないか。

自分自身に集中することは、決して冷たいことではない。
他者に関心を持たないことではない。
その人だけの城を作り、その人だけの城壁を見せてくれることなのだと、そんなふうに感じました。

私はどうにも、私は正しいコミニュケーションが取れているのか? と不安になることがあります。
特に、泣いたり苦しんだりしている人に対して、話しかけるべきなのか、そっとしておくべきなのか。こんな風に『べき』みたいに考える時点で自分のことしか考えてないんじゃないか。でも、よく考えないと、相手を傷つける結果になってしまうしうんぬんかんぬんと、ぐるぐる悩むことがよくあります。
自問自答ファッションと出会ってから随分減りましたが、人と会えば、その日の夜にォォンと呻きながら延々と反省会を行ったりもします。

今後もきっと悩むと思います。傾聴力といった、スキルが欲しいなと思うこともあると思います。
というか、教室当日の夜に普通になりました。

けれど、そういう気持ちになった時、「ちゃんとしなきゃ」と考えることは自問自答ファッション教室を受けてから物凄く減り、代わりに、「自分に集中しよう」と思うようになりました。

怯えながら正しい誰かを目指そうとするのではなく、自分自身に集中して、自分自身になること。
それが、一番素敵なコミュケーションの技法な気がしています。

ありがとう自問自答ファッション教室

心丸裸で、尚且つ手がブルッブル震えてるようなとんでもない状態での教室への参加で、私が感じた滅茶苦茶デカいことがこれでした。

勿論、ファッションやコンセプトについてより深めることも出来ましたが、その辺はまた何かで書けたらいいなと思います。

自分自身に集中することは、美しくて透明な城壁を持つこと。

そんな、なんか、いまだにうまく言葉にできない、とんでもなく素敵なことを感じさせてくれたあきやさん、参加者の皆さん、本当にありがとうございました。
あの夜の、なんとも言えない優しい空気は、生涯忘れない素敵な思い出です。

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