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ムーンプランナーと自問自答ファッションに人生を助けられたオタクの話。①

前回のあらすじ!!

ムーンプランナーのおかげで人生がめちゃくちゃ変わった鼻毛石を待っていたのは、また変化だった
心の傷跡にこびりついた自暴と自棄
これまでの体験が生み出したコンプレックスの源
羨望と嫉妬、怨恨と悲哀をコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここは脳内カーニバルのゴモラ(?)
次回「自問自答ファッション」
今週も鼻毛石の自分語りに付き合ってもらう



……前回のあらすじだったはずが、いつの間にか次回予告になってますね。こんにちは、鼻毛石ツトムくんです。
これは何となくボトムズパロをやってみたいだけだったので、一行目と最後の行以外はあんまり深い意味はありません。何なんだよ脳内カーニバルのゴモラて。

(※ですが、自分の幼少期の話であまり楽しくない話題とかコンプレックスの話がでくるのでご注意ください)

ムーンプランナー発、自問自答ファッション行きの旅路


「ムーンプランナーのお陰で人生が変わりました!」(※なんか胡散臭い言い回しなのであまり使いたくないけど実際変わっているので使わざるを得ない言い回し)
ということについては、以前同人誌を書いたので(?)それを読んでいただければと思います。ほとんど無料サンプルで読めます。


本のタイトルの通り、私はADHDの緩和治療(というのか)を受けながら人生を頑張っております。
通院を始めたのが大体二年前。しかし、服薬を始めてからも、服装についてはボロカスでした。

疲れ切って帰宅する→居間で寝落ち→朝方起きる→髪の毛だけ洗って出社

ということをよくやらかしてました。
名付けて、風呂に入らないどころか、服を脱ぐことすらしない『地獄の着たきりスズメ現象』。
この地獄現象は服薬を始めてからずいぶん減りましたが、

服を床に脱ぎ散らかす→寝る→翌日床に落ちてる服を着る

という、『地獄の落ち穂拾い状態』がデフォルトになっていました。
三浦しをんの『舟を編む』で、主人公が一度脱いだ靴下を、翌日また履くことにためらいを見せるシーンを読んだときは、衝撃を受けたりしてましたね……。そっか……躊躇……するんだ……(○日間同じ靴下を履きながら)

こんな風に服装についてははちゃめちゃにヤバかったため、ムーンプランナーを使い始めてから、早々にファッションにテコ入れしようと、それらしいことをウィッシュリストに書いてました。
ずっと!ヤバいとは!思っていたから!!
何とかしたいとは!!思っていたから!!!

あと、二年前、思い切ってユニクロの防風ボアフリースパーカを買ったらあったかいしそれをバッと羽織るだけですぐ外出できて行動力が上がり、『機動力をあげるためにも服装は重要』ということを知ったので、ファッション方面のダメダメ具合は早々になんとかしたいと思ってました。

「明日は休みだし出かけよう!」と思ってても、翌日、朝から着替えやら何やらでグニャグニャして、夕方陽が落ちてからようやく家を出る、みたいなことが滅茶苦茶あるので……。

で、これがムーンプランナーに書いたウィッシュの画像です。

これが書いてあるのは私の初代ムーンプランナー(2022.4.1〜9.25)です
「おしいれのかた◼️づけ」で、ひらがなを間違えてるのがいちいち気になる


当時強く思っていたのは、お金をかけず、それでもみっともなくない、それなりに年相応で、それなりに似合った、自分でも管理できるような服装をすること。
この時は『制服化』という言葉を知らないので、「最低限で着回す」というのは、ただ単に服をあまり持ちたくなかっただけです。

服装にはあまり興味がないので、とにかくお金と労力をかけたくない。でも、それなりの年齢になってくると、「みっともなさ」は無視できないものになると思っていたので、とにかくそこを気にしてました。
「他人からどう思われてもいいや」と思える領域は自尊心が低くなるにつれ狭まっていき、ここで変に虚勢を張るとめちゃくちゃしんどくなるという体感があります。
今後年齢を重ねて、できないことや、容姿の面でこれまでと違うことが増えていけば、どんどん自尊心は削れていくはず。そうなれば、今よりももっともっと「他人からどう思われてもいいや」と思えなくなるでしょう。
その時、変に虚勢を張るようなことになったらめちゃくちゃしんどいのでは……?とガクブルしていました。
なので、これまであまり考えたくなかった「年相応」というワードにしんどさを感じつつ、今後のことを考えてウィッシュリストに書きました。
イメージとして思っていたのは、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ』です。
もうね、あんな風に慎ましく静かに暮らそうと。
それなりの格好してたら、まあデクノボーでも許してもらえるかもなと。

そんな折、ムーンプランナーさんが、自問自答ファッションさんとコラボをするというお話がありました。

ムーンプランナーを使い始めたことで、「これまで全然ダメダメだったファッション方面にテコ入れをしよう!」と思い始めている身としては、渡りに船のナイスタイミングすぎるコラボです。
しかし、私はここでガッツポーズをしたり感謝の正拳突きをするでもなく、ガチ泣きしました。嬉し泣きでなく、素のガチ泣きです。

「ちょっと待って!!私にはまだ早い!!!」

マジでこれです。
ユニクロを買う前に「思い切って」と枕詞をつけるような身に、ハイブランドの名前が出てくるようなファッションは、あまりに重い…!むしろツラいまである…!!
手帳をようやく使えるようになったのに、ハイブランドの文字を見るのがしんどすぎて、私は手帳を見ることがまたしんどくなってしまうのかとすら思ってました(マジです)。

子供の頃の鼻毛石くん's ファッション

幼少期の私は、ほぼ新品の服を着たことがありません。
大体は人からもらったお古。超ちっちゃい頃は親が作った服を着てました。
新品の服を買ったとしてもセール品。上から値下げシールが貼ってない、まっさらの値札は見たことがありません。

両親は、お洒落が嫌いというわけではない人たちですが(母は大橋歩ファンだし)、「お金をかけずに」という点だけは死守されてました。
本当にお金がなかったので。

私の幼少期の貧乏面白エピソードには、親が借金取り相手に居留守を使っているのに、電話に出た私が「お父さんかお母さんいる?」と言われたときに「います!」と元気よく答えたためにえらいことになった、というものがあります。(面白くはない)

……この時、怒られることはなかったんですが、すごくガッカリされたというか、自分のバカさのせいで、親が大変な目にあったという経験は結構真面目に幼少期の心の傷です。

借金のストレスで親が失声症になり、小学校の家庭訪問の時大変だった、みたいなこともあります。

中学の時も制服一式が買えないので、全部お古でした。制服は従姉妹、鞄や内履きは兄のものです。
制服や鞄はまあまあいい感じだったのですが、内履きだけは結構ボロボロだったので、新入生の中ではずいぶん目立ちました。
私はそんなことは慣れっこな上、この頃から若干狂い気味だったために、「ボロくて味があるじゃーん」くらいに思っていました。しかしこれが結構悪目立ちをしてしまい、友人からは「そんなボロボロの靴履くのよくないよ」と言われました。

!?

いや!? 履くの良くないて!!? 良くないと言われましても!!! 私は別に履きたくて履いているわけじゃないんだが!!??

と混乱しつつも、家の経済事情を他人に話して良かったことは一度も無いという経験のため、なんかその場は濁した気がします。

ですが、ジワジワとダメージは来ました。
私的にはあんまり気にしてなかったし、気にしたくもないし、「古くてカッコ悪いしみんなと違うから新しい靴を買って」なんて、絶対親に言いたくありません。むしろ親は私の内履きがボロくなることを気にしてたというのに!!

結果、「周りと違うってだけでいちいち気にするなんてダッッッセェな!!」みたいなポジティブなようでいてひん曲がった根性が爆発し、『内履きを金色に塗る』という奇行に走り、靴についてはあんま言われなくなりました。
『奇行に走ると周りが黙る』というのは、幼少期に得た、(良くない)処世術の一つのように思えます。

ですが、やはり中学生以降になるとおしゃれとは無縁ではいられず、おしゃれに無頓着すぎる私はおしゃれな友人に随分とダメ出しをされました。

「夏に黒い鞄はどうかと思う」
「スニーカーじゃなくてローファーにしたら?」
「ショルダーバッグじゃなくてみんなみたいな手提げにした方がいい」
(※のちに手提げのバッグをプレゼントされるほど気にされた。何故)
etc、etc…。

こうした経験の積み重ねで、私の中に、おしゃれ、及び服装に関して

「ゴチャゴチャうるせえな」
「金がない家のことがわかんねーのか」


というような、暗い怒りが生まれ始めました。
……いや、これを言った友人のことは今でもマジで好きですし、ぼーっとし過ぎて様子がおかしかった私のことを本気で心配してくれていたんだと、エクストリーム援護でもなんでもなく素で思っています。
それに、中学生の頃なんて誰も間違うし変なこと言っちゃうし、私も思い出せないだけで色々ひどいこと言ってるので、責めるつもりもないです。
ですがそれはそれとして、今でも夏に黒いカバンを持つたびにちょっと思い出しますし、今でもなんかローファーが苦手です。
それくらい嫌でした。

「ゴチャゴチャうるせえな」
「金がない家のことがわかんねーのか」

この気持ちは高校の時、進学でなく就職を選択する旨を担任に話した際、やる気だの学力だのなんだのを引き合いに出して進学を勧められたことで完全に練り上げられ、至高の領域に近づきました(多分)。

お金がないことの悲しさ、こちらの事情も知らないで精神論にしてくる相手への怒りもありますが、お金がない中でも必死に私を育ててくれた両親がバカにされているようで悔しい、というような気持ちが強かったです。

なので、就職したときも、「私が稼いで家族を楽にするぞ!」という気持ちでした。
が……………まあ……その結果どうなったかは……これを読んでください………。

進学の夢は持つことすらできず、就職でも能力値の低さで色々絶望的。
そんなしんどい事態になってましたが、この頃には、ある程度家計が楽になっていました(ヒント:過払い金返還請求訴訟ブームとそれによる消費者金融倒産)。

とはいえ、私名義で借金を勝手に作られて、職場に消費者金融から電話が来たりと愉快なことがあったりするので、とにかく私がお金を貯めないことには死人が出るのだとビビり散らかし、服に関してはこれまで通り一切お金をかけず、リサイクルショップで買ったものを◯年着続ける、みたいな感じが主でした。

……これが、私のファッション履歴です。
ファッションというより、お金の話しになってますね。ユニクロを買うの前に「思い切って」が付くのもうなずけます。

ので、もうファッションの話にハイブランドの名前が出てきただけで「住む世界が違う……!!」という気持ちでした。

自律と自立と孫策と袁術

自問自答ファッションの生みの親、あきやあさみさんの書籍を読んで、とても素敵な考えを知っても、やはり心の根っこにある「世界が違う」という気持ちはなかなか拭えません。

コンセプトから服を選ぶと言うことに惹かれても、「靴にお金なんてかけられないし、試着も無理だしな……。自分なりにやって行こう……」という感じに思ってました。
さらにはADHDの特性でしょっちゅう食べこぼしたり引っ掛けたりするために、高い服は着られないと、当時はやたらとスネていた記憶があります。そんな風にウジウジしていた頃、ムーンプランナー×自問自答ファッションのインスタライブが行われました。

当時めちゃくちゃウジウジしていたため、Twitterの感想タイムラインに飛び交う「忠臣蔵」「吉良上野介の首を取る」という、おおよそファッションとは思えないワードを五度見しつつ、視聴は結構日が経ってからになりましたた。

しかし、インスタライブは冒頭、華やかな黄色い背景を背負ったあきやさんが
「七夕の夜いかがお過ごしですか〜〜👋☺
と手を振ってくださった瞬間、完全にドゥゥゥゥゥギュゥゥゥゥゥン‼︎‼︎となりました。
私はずっとウジウジして、七夕(インスタライブは7/7にありました)をかなりすぎてから視聴しているのに…!
や、優しい……!!(?)なんてCUTE……!!素敵……!!!私はこんな素敵な人の前でウジウジしていたのか……!!
申し訳なさで懺悔するような気持ちも相まって、めちゃくちゃハートをキュンキュンさせていました。

他にも、ムーンプランナーさんの言葉を大切に拾って、大事に温めながら見せてくれるようなあきやさんの話術の素晴らしさに、ハートに矢がドスドス刺さりすぎて、15分くらいで私のハートはハリネズミみたいになってました。💘

インスタライブ、ぜひ見てください。冒頭三秒でハートキャッチしてくるこの凄さを……。


実は、私はこのインスタライブをまだ最後まで見てません。
見ていた時、もう泣きすぎて何度も休憩を挟んでいましたが、中盤あたりで胸がグァーーーーッッ!!!となってマジ泣きしてしまい、そこからヴァーーーーッ!!となってまだ見れずに今に至ります。

倒れ伏したのは、時間にして51:50あたり。
チャーチの靴を買ったことで行動範囲が広がったこと、行動範囲が広がるということは自信がついたということ、そういう感じのお話をされているムーンプランナーさんの言葉です。

「他人の考えていることをあまり気にしないようになった、っていうのは、やっぱり『自由』とか、『自立』みたいなもので」
「自分で立つって書いて、『自立』の方ですけど」

『一年3セットの服で暮らす』出版記念インスタライブ

これを聞いた瞬間、肩のあたりに痛みが走り、「衝撃を受けると胸じゃなくて肩が痛いんか!!」と奇妙な学びを得ながら泣き伏して、インスタライブを中断して休憩に入り、今に至ります。
それくらい、物凄い衝撃を受けた言葉でした。

私がなんでここでこれほどの衝撃を受けたのか。
それは、私にとって『じりつ』という言葉は、自分で立つと書くものでなく、自分を律すると書いて『自律』の方だったからです。
これまでの私のファッション(feat.金銭)履歴は、ほぼ『自律」で出来ていました。
いや今思うと自律ですらないのですが、私としては自律のつもりでした。

周りからのああすればいいのに、こうすればいいのに、という言葉に対して、私は『自律』という言葉を噛み締めて、耐えてきました。

「もし、私があなたの言うようなことを「こうしたい」と家族に言ったら、みんなが困るんです」
「だから、私はあなたと違って自分の欲を律しているんです」
「理性的で、わがままを言わない、いい子なんです」


こんな風に。
けれど実際は、自分で本当はどうしたいかなんて考えず、ただひたすらに「私は不遇に耐え、自分を律しているから偉いんだ」と言い聞かせ、意地の悪い自尊心で自分を守っていただけだったように思います。

「あなたを甘やかすもの、愛撫するもの、美衣美食、贅沢な生活。すべてあなたの青春を弱める敵です」

『三国志 草莽の巻』吉川英治

子供の頃、吉川英治の三国志のこの言葉を、お守りみたいにして抱きしめていました。
贅沢は敵。律するべきもの。
不遇な状況で強くあらねばならない孫策のことを考えては、私も弱る心を奮い立たせていました。
……が、もうね、これ、そういうセリフじゃないです。
贅沢は敵とかそういう話じゃ全然ないです。

これは、志があるなら安全な場所でぐずぐずと燻ることなく、飛び出して行けということ。つまり、袁術の食客に甘んじることなく、家名の再興を計って独立しろということ。つまり『自立』しろということです。
それを私は◯年間、ずっと「贅沢は敵」という自律の言葉として噛み締めていました。
もし私が吉川英治版の孫策だったら、ずっと袁術の下にいて、なんだったら養子になって、最終的に袁胤の代わりに徐璆に拷問されて死んでいたでしょう。

……そんなことを、しくしく泣きながら考えていました。
とりあえず三国志の話は一旦置いておきまして、つまり私は、

「私は一切自立をしてこなかった」
「自分がどうしたいかも考えないで、自分を律したつもりになっていた」
「私が自律だと思ってきたものは、他人を馬鹿にして、自分の自尊心を満たすような、最悪なものだった」

ということを、ガツンと突きつけられたわけです。

自律経由、自立心向上の旅

『自律』から『自立』というテーマについても考え始めたことで、いろんなことが変わりました。
まず、ムーンプランナーに書いていたウィッシュの内容が変わりました。
年齢に合わせて、性別に合わせて、どこかの何かの基準からはみ出さないようにして、自分が脅かされないようにする。
いわゆる『自己否定から始まるウィッシュ(自問自答ムンプラ第二回参照)』そのもののようなウィッシュは一旦取り消しです。

斜線で消されるでもなく普通に残ってるけど、実は取り消されていたウィッシュさん

また、自分の金銭に関するコンプレックスにも目を向け始めました。
お金がない、だから何もできない。とウジウジしていましたが、果たして本当にそうでしょうか?
いろいろ大変なことは事実でも、ユニクロでビビるのはちょっと過剰反応じゃあないですか?
なんか、過去の傷を延々と掘り返し続けて、そこから動けなくなってませんか?
ってか、同人誌刷るとき、ラグジュアリーブランドのバッグ買えるくらいお金動いてますよね??

そんなことを考え始めて、この後、自分なりにお高め買い物チャレンジを始めました。

チャレンジした結果、自分には不要かもと思っても全然OK。ブランド物を買いたいのか買いたくないのかすらあやふやなまま、自分にできないことができている(ように見える)他人を、その背景すら慮ることなく恨むこと。これはもう、めちゃくちゃ良くないし、つらいしひどいことなので、これが払拭されるだけでも本当に素敵な大冒険です。

他人と比べて、私はこうだからアレができないしコレもできないと恨むのをやめる。
自分の気持ちに『自律』で蓋をするのをやめる。
いきなりやめられなくても、ちょっとずつでも減らしていけると信じる。

これができるようになってから、私の自問自答ファッションが始まりました。

めっちゃ長くなったので手短にコンセプトのお話

まず考えたコンセプトがこちら。

これが書いてあるのは私の二代目ムーンプランナー(2022.9.26〜2023.3.21)です。
✨マークまでつけておいて、鮮やかな転身

『ミステリアスでカッコいい大人
→『べつになりたくないな……』。

爆速でやめてますね! 方向転換が早い!!

その次に思い浮かんだのが『雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ』。初めに思いついていたやつの流用です。
でも、「慎ましくくらそう」という最初の気持ちとは違い、この時には「側から見たらどんな見え方をしたとしても、自分で決めた生き方を楽しく全うするぞ!!」という心地でした。
同じ言葉でもここまで違うという不思議。

でも実際、初めは「他人にどう思われてもいい!」と叫ぶ力が弱まることにビクビク怯えていたのに、この時は「他人にどう思われてもいい」とわざわざ言葉にすらせず、自分ひとりでふんふんと納得してるような、不思議な受容を感じていました。
多分、自立というのもこんな感じに心地の良いことが多いんじゃないかなあと、まだ自立とはなんぞやしている身ながら、なんとなく思います。
……孫策の自立は袁術に兵を借りるところから始まるので、全然心地良くも穏やかでもないんですが。

しかし、これも、なんとなくしっくりこなかったので、次に考えたのがこちら。
『生きることを愛し、生きることに愛された、浮かれポンチでやんなるくらい健康体の小説家』
これが、今の原型になってます。初めは「空前絶後のォォォ!」とかキャッシュカードの暗証番号とかついてましたが長かったのでやめました。

コンセプトが決まり、現在はあれやこれやをあれやこれやしてます。その辺のあれそれは、また後日書けたらいいなと思ってます。

今こうして振り返って思うのは、本当に、自問自答ファッションに出会えてよかったということです。そして、そのきっかけになった『自問自答×ムンプラ』には、感謝してもしきれません。
なんだか、ここの感謝を一番長く書きたかったのに、もうあれもこれもと胸がいっぱいになって逆に書けなくなっています。
もはや今は「自問自答ムンプラさん、聞こえますか?これが私の『感謝曲《サンキューソング》です!」と泣きながらビルの屋上で指揮棒を振ることしかできませんが、今後じわじわと書いて行けたらいいなと思ってます。
本当にありがとうございました。

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