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ムーンプランナーと自問自答ファッションに人生を助けられたオタクの話。②

前回のあらすじ!!

持つ者と持たざる者、その陰で恨みを溜める者
希望を持つ者は生きてゆかれぬド田舎の街
あらゆる諦念で武装する過去の自分
これからは自問自答ムンプラによって生まれ変わった、脳内カーニバルがカーニバル(?)
鼻毛石の心に刻まれたコンセプトの雰囲気に惹かれて、愉快な奴らが集まってくる
次回「出会い」

鼻毛石が飲むペットボトルのコーヒーには時々酒が入っている

こんにちは、鼻毛石ツトムくんです。
またボトムズネタです。ネタに困った時、脳内カーニバルでゴリ押すのをやめろ。
ペットボトルのコーヒーにアルコール投入するのは健康に良くないのであまりお勧めできませんが、私は黒糖カフェオレにブランデー入れるのが好きです。

べちょ泣きからのべちょ泣きにより、自問自答ファッションの道を歩み始めたわけですが、自問自答ファッションといえばコレです。
コンセプトです。

で、当時の私のコンセプトがこちら。

『生きることを愛し、生きることに愛された、浮かれポンチでやんなるくらい健康体の小説家』

なんか大変テキトーに決めた感がありますが、いや、滅茶苦茶考えましたからね!?!?!
これも↓

書いて三秒くらいで「べつになりたくないな……」って隣に書いてそうですが、数週間要してますからね!?!?
滅茶苦茶真面目に取り組み、言葉ひとつひとつを考え抜いた結果のコレでございます。

『生きることを愛し、生きることに愛された』

コンセプトには、『毎日やっていられること、やらずにはいられないこと』を盛り込むのが良いかも、とのこと。

脳内あきやさん「鼻毛石さんの『やらずにはいられないこと』ってなんですか?」
実物鼻毛石「……生きること、ですかね」
(やや前屈姿勢で指を組みながら)

小学生の揚げ足取りみたいな答えですが、超真剣です。超真面目でございます。

子供の頃、夜中に宇宙のことを考えて
「宇宙はどこにあるのか?」
「宇宙が生まれる前には何があったのか?」
「存在するとはどういうことなのか?」
「“ここ”はどこなのか?」
「“ここ”に“いる”私とは、一体何なのか?」
と延々悶々し、自分自身の存在が危うくなるグラグラ感を楽しむという若干バグり気味の遊びにハマったことがあります。(あれ?あれ?と混乱するので『あれあれごっこ』と呼んでました)
その結果、『この世に存在する』という、よくよく考えると意味不明な状況を全うしようとすることは、意味不明に凄いことなんだなあという気持ちがあります。
生命維持は身体の自律神経が大体やってくれるのでアレですが、「生きようとすること」「今日を乗り越えて、明日を迎えようとすること」に、なんとも尊い意志の力を感じてグッとくることがあるので、『生きる』という行為を、行動として意識していたいと思ったのでコレです。

同じように、「なりたい」「こうありたい」という人も『生きることを担う人』です。
ただ自律神経の働きに任せて生きるのでなく、意味不明すぎる世界で生きる困難さを知りながら、その上でこの世を祝福してみせるような人に、激しい憧れがあります。
実在の人物でもこうした憧れを勝手に抱いてる方々がいますが(某映画監督とか)、私が他者に対してそんなことを判断するのもおこがましいというかなんというかでゴニョゴニョしてしまうので、非実在人物で挙げているのが、ギリシア神話の登場人物『シーシュポス』です。

シーシュポスは神々を二度までも欺いた罰を受けることになった。彼はタルタロスで巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられた(この岩はゼウスが姿を変えたときのものと同じ大きさといわれる)。
シーシュポスがあと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返される。

Wikipedia『シーシュポス』

え…この…なに…つら…。
ですが、このシーシュポスの話から不条理について書かれた、カミュの著書『シーシュポスの神話』が、私は狂おしく好きです。

かれもまた、すべてよし、と判断しているのだ。このとき以後もはや支配者をもたぬこの宇宙は、かれには不毛だともくだらないとも思えない。この石の上の結晶のひとつひとつが、それだけで、ひとつの世界をかたちづくる。頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに十分たりうるのだ。

『シーシュポスの神話』カミュ(清水徹 訳)

はーーー……好きだ…。なんかこう、上手く言えないけど、こう、こうさあ…(必死のジェスチャー)……好きだ……。

フランスの詩人・リルケが書いた、詩作を学ぼうとする学生に宛てた手紙も大好きです。

「孤独であることはいいことです。というのは、孤独は困難だからです。ある事が困難だということは、一層それをなす理由であらねばなりません。」

「愛することもまたいいことです。なぜなら愛は困難だからです。人間から人間への愛、これこそ、私たちに課せられた最も困難なものであり、究極のものであり、最後の試練、他のすべての仕事はただそれのための準備にすぎないところの仕事であります。」

『若き詩人への手紙』リルケ(高安国世 訳)

爆裂大好き。
リルケが言っているのは他者への愛であり、これが人生で一番難しいというのも頷くところではあります。
ですが、とりあえず私は、何かを愛することの困難さを引き受けたい(引き受ける人に憧れがある)と思って、「生きることを愛する」という言葉も入れました。

また、私のTwitterアカウント名@dontafraidRakka は『落下の王国』の予告編に出てくる「汝、落下を畏れるなかれ。この美しき世界を仰ぎ見よ」のキャッチコピーから取っています。
(「取っている」というのも失礼なほど、トンチキ訳)(せめてbeをいれろ)

映画の内容も大好きで、(ネタバレ)が(ネタバレ)で(ネタバレ)な(ネタバレ)シーンは、人生の憧れみたいになっています。
よって、このアカウント名なんですが、私は何かと、「私自身はドン底だけど、世界は私を捨てて美しくあってね…🥲」と不幸に酔い始めるタイプなので、世界に愛されているんだよ(※愛の形は人間に理解できるとは限らないものとする)と思っておきたいなあと考え、「愛する」だけでなく、「愛されている」という言葉も入れました。

……キャッシュカードの番号をコンセプトに入れようとしたけども、サンシャイン○崎リスペクトというわけではないんですね。

\キャッシュカードの暗証番号2106!/
\2106!ツトムで覚えてくださーい!/

『浮かれポンチな』

「なんか楽しそう」だとして愛されるとなんか嬉しいので。
(色々模索中)

『やんなるくらい健康体の』

これは葉っぱ隊リスペクトです。(直球)
『健康』は人生のテーマ。

なお、今回のコンセプトの自問自答タイムで、歌の歌詞が「やんなるくらい健康体」ではなく、「やんなるくらい健康だ」と知りました。

『小説家』

ライフワークにしたいから。
(色々模索中)


こんな感じで決めました。
説明のデクレジェンド(次第に小さく)具合が凄いですね……!
でも全てのワードを等しく考え込んで等しく好きです!

また、コンセプトを考えながら、

『着ない服』
『服に求めるもの』
『自分の“トリセツ”』
etc…
についても考えていきました。
これらに関しては、とっても詳しい手順があきやさんの書籍に書いてあるので、ぜひ書籍を!
私は書籍に沿ってやっていきました。


私はADHDの特性で知覚過敏があるため、チクチクした服を着ていると、思考の7割をチクチクに持っていかれて、何も手につかなくなったりします。
あと、なんとなく女らしい格好をしたくないなあというところもあります。

子供の頃、「とても似合うから」と言って毛糸の帽子を被らされては、チクチクして嫌だったこと。
昔友人に「胸があるんだから、もったいないよ!」と言われて女の子らしい服を勧められたこと。

着たくない服のことを考えると、どうしても過去のことが思い起こされます。
そんなとき、書籍の中で、
「苦手なものは着なくてOK!」
「何年か後に来てみたくなったら着てみてもOK!」
と、あきやさんらしい明るく朗らかな文で書かれているのを読んで、少し泣きました。
多分、ほっとしたんだと思います。

「せっかく似合うんだから、着れるようにならないと……」
「歳をとれば体型も変わってみっともなくなるし、年齢と性別に合わせた服を着ないと……」

そんなことを考えては弱っていた自分の心に、「そんな無理はしなくてもOKです! 着たくなったら着てみましょう!」と明るい道に連れて行ってくれるあきやさんの言葉は、点滴並みに効きました。

着たくない服は、着なくていいんだ!
こうして文にすると、「喉が渇いたら、水を飲めばいいんだ!」並の愉快な気づきっぽいですが、『装い』というジャンルでは、これに気がつく、あるいは気がついて行動に移すというのは滅っっ茶苦茶難しいと思います。
ですが、「着なくても大丈夫!」という確信に満ち、なおかつ朗らかなあきやさんの言葉は、色んなことで凝り固まってしまった心に素早く浸透、患部に届いて直に効くくらいの効果がありました。本当に感謝です。

書籍を片手に自問自答を繰り返し、「コンセプト」「着ない服」「服に求めるもの」「トリセツ」がやや固まってきたので、次は実践、すなわち、リサーチ&試着の旅です!!

👞鼻毛石・ポッターと自己評価の靴✨

教えに従い、まずは靴を探しはじめました。
しかし、「よーし、行くぞー!」と勢いよく飛び出したものの、私の住んでいるところはド田舎です。靴はしまむらとジャスコとサンキくらいにしかありません。
また、毎日通勤で2kmは余裕で歩くし、冬になれば雪が◯m積もります。
そんな所で履ける靴は、丈夫な(あるいは履き潰しても気にならない)スニーカーと長靴くらいしか、私には思いつきませんでした。
実際、私はこうした靴しか持っていません。

コンセプトや色んなことを決めたけれど、結局、『実用性』しか求められないんじゃないだろうか……?
自分の心よりも、住んでいる環境で決めることが大きいのではないか……?


とまたウジウジし始めました。ですが、
「あきやさんを信じよう」
「まずは近場に試着に行こう」
「これまでろくに靴の試着すらしたことがないんだから、試着に行くだけでも得るものがある」
と心を奮い立たせて出かけました。

少々話が前後しますが、この頃のコンセプトはまだ二段階の『雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ』の頃でした。
コンセプトや色んなことをふやふや考えながら、あちこち(※大衆ショッピングセンター)を回るという同時並行スタイルです。衝動性が……強いので……。

雨にも負けず、風にも負けず、毎年冬に怒り狂うLVで積もってくれやがります雪にも負けない。その上で、素敵だと思える靴が、どこかにあるかもしれない。

毎年新鮮な怒りを感じる積雪量

ショッピングセンターや、しまむらを回った後、ちょっと素敵な雑貨屋さんも回りました。
久しぶりに入った雑貨屋さんは、雑貨スペースが減り、アパレル関係の商品がめちゃくちゃ増えていて、若干ビビりました。
ビビりつつ回った店内の一角に、特設コーナーを設けて展示されていたのがこの靴です。

参照: Blundstone|ブランドストーン公式オンラインストア

荒野も踏破する確かな機能性
『ブランドストーン』のサイドゴアブーツ

運命??????
まさにこれは、運命では?
「荒野を踏破する機能性」なんて、まさに探していたものにピッタリですし、見た目もめちゃくちゃ好みでした。
「雨にも風にも豪雪にも負けない、めちゃくちゃ素敵な靴」がここにあった……。
と手を伸ばした所で、値段を見て帰りました。


イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理。

当時私がこれまでで一番高い靴は、多分6000円ほど。本来8000円くらいする靴がセールになっていたのを買いました(ので、ちょっとサイズが合ってない)。
確か、adidas Neoの『クラウドフォーム』だった気がします。
だった気がします、とつけたのは「こんないい靴は二度と買えないだろうな…」と思い、あえて靴の名前を確認しなかったからです。
すごく履き心地が良くて、この靴で歩きたいがために出かけたりするくらいお気に入りでしたが、いつも「これが最後だろうな」と、世を儚むような気持ちで履いていました。
この靴は、一年位前に底が擦り切れて穴が空いてしまい、泣きながらお別れしました。(脳内BGM:ゼンマイ仕掛けのカブトムシ)

……これまでがそんな感じだったので、完全に予算オーバーです。

でも、凄くいい。
(店から逃げながら)もらってきたパンフレットを見て。ネットで履き心地を調べて。雪国でも履けるということを知って。
そのうちに、どんどん「これではないか?」という気持ちになってきました。

しかし、ぼーっとしすぎて、長靴が泥まみれになっていても全然気が付かないまま1シーズン過ごしたり、靴を脱ぎ散らかして、そのまま廊下で寝たりするような雑な私に、革靴の世話ができるだろうか? という心配があります。

もう、こんな高い靴は買えない。
絶対に失敗できないし、大切にケアして長持ちさせないといけない。

そんなふうに悶々している時、別のお店のショーウィンドウにドクターマーチンのサイドゴアブーツがあるのを見つけました。
ドクターマーチン!名前だけは知ってる!インクと同じ名前のやつだ!
なんだかやたらとテンションが上がり、「この二つを試着しよう、そしてどちらかを買おう!」と確かこの時決めたような気がします。『二つのうちどちらかを選べる』という選択肢がある状態に、なんか勇気が湧いた記憶があります。

試着はかなりガクブルしながら行いました。
ヘニョヘニョしながら店員さんに「こちら、試着してもいいですか?」と尋ね、ヘニョヘニョしながら履き、ヘニョヘニョしながらあきやさんの教えに従って「写真を撮ってもいいですか?」と写真を許可をいただいて撮りました。
それがこちら。

※試着室の靴脱いで入るところに突っかかりながら必死に撮りました

テンパり具合が伝わってきますね。
ドクターマーチンの方はちょっと硬めで、脱ぐ時にタグを引っ張るのがあまりに恐ろしく、「タグをグッと引っ張っていただいて大丈夫ですよ」と優しく言ってくださる店員さんに、
「く、靴を脱ぐのって緊張しますねぇぇ…(震え声)」と良くわからないことを言ったりしました。本当に申し訳ございません。

二つを履き比べた結果、ブランドストーンのクッション性が気に入り、ふわふわとした気持ちで購入しました。

こんな高い靴は、人生初です。
ふわふわとした気持ちで帰宅し、ふわふわとしたまま履いて近所を散歩しました。
あちこちを歩いて陽が落ちてくるに連れて、ポロポロと涙が出てきました。

自分の心が決めたコンセプトより、住んでいる環境が選ぶ基準になるんじゃないか。
そんな風に、コンセプトと環境の間で引き裂かれていた心が、一足の靴のお陰で、きれいにまとまったような気持ちでした。
バラバラになりかけていた気持ちが整って、なんだか、「私はこの町に生きているんだなあ」と、妙な実感が迫ってきたから泣いたような気がします。

道路をちょっと進めば山道になってしまうような所に住んでいて、履ける靴は限られている。雨にも風にも負けない靴は、どうせゴツいスニーカーしかない。そう思っていたのに、今、こんな素敵な革靴を履いている。
あくまで私は運が良かったとしか言えないわけですが、それでも、自分の心を、環境という理由で踏み躙らずにすんだ体験は、かなり衝撃的でした。
環境は無視できないけど、環境が全てではない。
そんな体験から、コンセプトに「生きる」という言葉を入れていこうという気持ちが強まりました。

肩に小っちゃいあきやさん乗せてんのかい!

私は靴を買った辺りで、totonoさんのnoteの熱い推しに胸を打たれて、あきやさんの講演会のアーカイブを公開日終了間際に滑り込んで見ました。

講演会の内容はほんっっっっとうに素晴らしくて、特に第一回は何度も見たいです。
あきやさんが講演会で仰った言葉、

「世界はあなたのものになります」

これを聞いた瞬間、ブッワァァァァァァッッッと鳥肌が立ちました。
totonoさんも仰っていますが、「光が見えた」という感じです。
世界はあなたのものになる。
なんて心強い言葉でしょうか。
ファッションでそんなことが?となるかもしれませんが、前後のお話を聞いていると、そうなれるかも…!とグングン希望が湧いてくる素敵なお話でした。
また公開されたら見る気満々です。(公開される度に購入して見ているマン)

「試着の旅に、リトルあきやを連れて行ってください。きっと助けになります!」というようなお言葉も凄く支えになりました。
これを聞いてから、私は肩に小さなイマジナリーあきやさんを乗せながら、試着の旅に出ています。

💼鼻毛石・ポッターと自己紹介のバッグ✨

バッグに関しては、結構バシッと理想が決まっていました。
まず手提げは絶対ダメ。
なぜなら手提げは絶対どこかに置き忘れるからです。
手提げでなくても、なるべく手に物を持たずに済むような大きな鞄じゃないとダメです。
手に持ったものは大体忘れて、その辺に置いていきます。

コンセプト的にも、『生きることを愛して生きることに愛された、やんなるくらい健康体の浮かれポンチな小説家』には、両手が空いていてほしいです。
空いた両手で、その辺に落ちてた綺麗な石とかを拾って、やたら大きな鞄にホイホイ入れていく。
大きな鞄にはノートとか本とかナイフとかランプとかが詰め込まれ、あちこちに冒険に行ってはあれこれ書いたりする。
そんなイメージです。

あと、持ちやすい形で軽い。
生きることを愛(中略)説家は、フットワークが軽く、身軽であってほしいです。
私の癖で、『コインロッカーに荷物を預ける時、「身軽になって、オーク狩りだ」と心の中で言う』というものがあります(※映画『ロード・オブ・ザ・リング』のワンシーンより)。なので、身軽になれることはかなり優先事項です。

バッグの全体的なイメージは、昔、兄が持っていたメンズノンノに載っていた素敵なバッグです。
ページを開いた瞬間一目惚れして、「いつかこんな鞄が欲しい!」と思ったこと、ついでに、絶対買えないことがわかっていたので、ブランドや価格をあえて見ないようにしていたことを、1◯年経った今でもありありと思い出せます。
ショルダーバッグだったのですが、革製で、「これ一つ持っていけば冒険に行ける」というような佇まいでした。

ドアから道は始まって 道は続くよどこまでも
遥か彼方に続いてる

映画『ロード・オブ・ザ・リング』吹き替え版

映画『ロード・オブ・ザ・リング』序盤、こんな歌を歌いながら、一人でずんずん冒険にいくビルボ・バギンズが持っているような、そんな鞄です。
(※この時ビルボが持っていたのはリュック)(※ショルダーバッグを下げていたのはサム)

こんな風にあれこれ考えて導き出した、理想の鞄の条件がこちら。
・ショルダーバッグかリュック
・A4サイズが入る
・丈夫
・身軽になれる(でも別にオークは狩らない)
・ややクラシカルな感じのもの


鞄で自己紹介をするとしたら、『好奇心の赴くままズンズンと冒険に出かけて、なんか楽しそうにウキウキしている人(別にオークは狩らない)』、そんな感じです。

この条件に合ったものを、とにかく探していきました。ネットでそれっぽいワードで検索をかけて、気になったブランドの名前をメモりまくります。
で、メモりまくったものがこれです。

気になったらアイヒョーンのメモ帳にとにかくメモるの図。
一応手提げもチェックしてます。可愛かったですサポネッタ。


◎がついているものが、ドンピシャなものが見つかったブランドです。
『ダコタブラックレーベル』のこちらが、もーーードンピシャでした。最高。

参照: Dakota公式Web Site


大きくてシンプルで冒険に行けそうな感じ、最高。

この頃には、田舎のお店をほぼ回っていたので、隣隣隣街のやや都会(当社比)のショッピングセンターに出かけることにしました。
これまでは、隣隣隣街で服を見るときはリサイクルショップだけ、それも大体ビクビクオドオドしながらで、普通のお店に入るなんて考えもしませんでした。でも、今は違います。
ショッピングセンターに行ったときのツイートがこちら。

服と和解

本当にこんな感じでした。
きらびやかな世界が、自分を責めてこない。
いや、もとより責めるつもりなんてないんでしょうけど、いろんな心の傷やひねくれた部分に、どうしてもヒリヒリと沁みてきたものを、ほぼ感じなくなっていました。
自問自答ファッションって凄い……。
この時、本当にそう思いました。

お気に入りの靴を履いて、これまでビクビクしながら歩いていたショッピングモール内をズンズンと歩き、片っ端から鞄屋さんに突入し、気になったバッグをチェックしていきました。
バッグは靴と違って、「引っ張らないと脱げない」みたいなことがないので、試着もそこまで緊張しませんでした。(でもかなりおそるおそるはしていた)

色々試着してわかったことは、
「ショルダーベルトが細いと食い込んで嫌」
「ショルダーベルトが付け替え可能なものは金具が引っかかって嫌」
ということ。
これは実際に色々持って見ないと分からなかったなあと、試着の大切さをしみじみと感じました。
こうしてわかったことを理想の鞄の条件メモに付け足したりしつつ、気になったブランドを片っ端からメモしながら鞄屋さんを巡り、四件目のお店に入ってふと上を見た時に気づきました。

え………?

棚の一番上に、私がドンピシャだと思っていた、ダコタブラックレーベルの例のバッグがありました。
まさかマジで置いてあるとは思わず二度見しました。

え………?

何度見ても例のバッグです。
ビビりすぎて一回店の外に出て再度入店し、三度見してもやはりドンピシャだったバッグです。
ま、まさか置いてあるとは……。
しかし、バッグは手の届かない棚の上にあるので、手に取るには店員さんに声をかけないといけません。
緊張でヘニョヘニョしながら、なんとか店員さんに声をかけて、棚から下ろしていただきましたが、私の勇気が持ったのはそこまでです。
棚から降ろしていただいたバッグは、ショルダーベルトが一番短くなっていました。肩からかけてみるには、ベルトの長さを調節しなければいけません。
しかし、私はもうあまりにビビりすぎて、ショルダーベルトを調節することができませんでした。もし傷つけたらしんでしまう…!!
店員さんは「どうぞ、調節してください」と促してくださっているのに、私は肩にはかけず、ショルダーベルトが一番短いまま手に持ったりして「あーー、いいですねーー(?)」とか意味不明なことを言って、逃げるようにして帰ってきました。

理想のバッグはこれだ! と思っていたのに、いざ目の前に現れると、なんとなくモヤモヤして、暗い気持ちになっていました。
そこにはやはり、お金の問題がありました。
理想のバッグはコレ!と思いつつも、心の底では「どうせ買えないだろう」と思っていたことが、ハッキリとわかってしまいました。
このバッグに似た、もうちょっと安いものがあるかもしれない。
どうしても、そんなことばかり考えてしまいます。

雪国で革のバッグを持てるだろうか? ショルダーベルトの長さは大丈夫だろうか? いい感じに斜めがけできるだろうか? フラップを引っかけたりしないだろうか? 耐久性はあるだろうか?内ポケットはどうだったか?
改めていろんなことをグルグルと考えました。
そして、色々考えれば考えるほど、手に持って「あー、いいですねー(?)」と言うだけの、アホみたいな試着が悔やまれます。
次こそはちゃんと試着をしよう、そうしてまた考えようと心に決め、次の機会を伺いました。

そうして、三度目の来店。
また店員さんに棚から下ろしてもらい、今度は勇気を出して、ショルダーベルトを蝶よりも花よりも丁重に扱いながら調節し、肩にかけました。

その瞬間、脳内に流れたBGMがこちらです。

よく、「これだ!」と思うバッグに出会った時、詩人になったり、音楽が聴こえてきたりするとは聞いていましたが、まさかのこれ。
でも本当に、

ッッパァァーーーン!!パパラララーーンッ!!!パパラララッッパラァァーーーーーーーーーンッッ!!!!!!!
パァァーーーン!!パパラララーーンッ!!!パパラララッッパラーーーーーパッパッパッパッッッッパァーーーーーーーン!!!!!
(ドコドゥンッ‼︎ ドコドゥンッ‼︎ ドコドコ‼︎ ドコドゥンッ‼︎ ドコドゥンッ‼︎ ドコドコ‼︎)


と聴こえてきてしまったので仕方ないです。
脳内では「出陣じゃーーーーーー!!!!」と武士(もののふ)が鬨の声を上げているので、もう「これだな、このバッグだな」、と心に決めました。
が、一旦落ち着きたくて(脳内BGMがBGMなので)、「少々検討させていただきます」と退店しました。
店員さん、何度も上げ下げさせてしまい本当に申し訳ございません……。

でも、これだ、買おう、と決めたのに、どうしても気持ちがモヤモヤとしています。
高い靴を買い、高いバッグを買う。
いま、それが無理なくできる状態だとわかっていても、最後の一歩が踏み出せません。

もし、これを買った後で、何か家に問題が起きたらどうしよう。
家族の誰かが借金をしていたり、誰かの病気が見つかったり、事故を起こしたり、家電が壊れたりしたら……。
そうしたら、「ああ、バッグなんて買わなければ良かった……」と思うかもしれない。自分一人の楽しみのためだけに、なんて馬鹿なことをしたんだという、激しい後悔をするかもしれない。
両親にはガッカリされるかもしれない。怒られることはないだろうけど、「え?そんな高いバッグを買ってお金は大丈夫なの?」「そんな金額をいま使うのは、ちょっと困るなあ〜……」と言われるかもしれない。その時の、不安そうな声を聞きたくない。
そんなことをずっとグルグルと考えていました。
その結果、取った行動が、


鼻毛石「……すみません、本日、鞄を買ってもいいでしょうか……?」
母「え? いいけど、どうしたの?」



答え.電話で許可を取る(しかもなんでか敬語)

でした。
詳しい値段は言えなかったんですが、とりあえず許可を取りました。
「お前……いい大人がよ……」、とも思いますが、電話越しの声が、私が高いバッグを買うことでなく、鞄を買うのにわざわざ電話してきたこと(そしてなんでか敬語なこと)に困惑しているとわかり、めちゃくちゃホッとしました。
「え、そんな高いバッグ買ってお金は大丈夫なの?」
「そんなことにそんな大きなお金を使うのは困るよ〜」
という声は、私の想像上でしかなかったわけです。

そうして、ヘニャヘニャしたまま入店し、バッグを購入しました。
この『自分で決めた高いバッグを買う』という、私の人生で大きな一歩を踏み出した瞬間のことは、店内のBGMが丁度『鬼滅○刃』の二期OP曲だったことで気が逸れて、あんまり覚えてません。
退店と同時に曲が終わったので、「逆ゲットワイルドみたいだな」と思ったことは覚えてます。

本当に胃痛と頭痛が酷かった。
生き様がオタク。

真面目に胃が痛かったので、薬局で胃薬を買って飲んだりしつつ、ほとんど乗客のいないバスの後方に座り、帰路に着きました。


子供の頃から、家計を支えなければと思っていました。
「結婚して家を出ても、実家にお金を入れて欲しい」という、「いやそれは無理だろ」的話を言われた頃に腹を括り、夢があると言えばあったけれど、それを傍に置いて、家族の生活を楽にすることを考えてきました。
それが自分の夢であり、使命だろうと。

けれど、自分の能力の低さでそれすら難しいとわかってからは、とにかく迷走していたように思います。
バッグに数万使うのにビビるくせに、趣味のオタク活動で同じくらい、あるいは倍以上のお金を、ビビることなく使ったりしていました。
自分の楽しみのためだけにお金を使う罪悪感を抱えるとしたら、どう考えてもこのオタク活動の方なのに。
それは何故か。

それは、つらいことばかりでズタズタになった気持ちを癒すためだと、自分に許していたからです。
労働で疲れ切った身体を温泉旅行でリフレッシュするような、マイナスになったものを0に戻すために使っている経費として、許可していたように思います。
あるいは、生活や生きることとは一切関係ない事柄にお金を使うことが、大きな癒やしになっていたのかもしれません。
すごく悪い言い方をすると、良き滅びのための投資です。

事実、私のオタク活動はどこか儀式めいていて、めちゃくちゃ不健康でした。
絶対需要を気にしない。絶対に利益を出さない。天に対して、自分の心を主張するために行う。
マジでこんな感じです。一冊手に取ってもらえるかもらえないかという状態でも、ずっと新刊を出してイベントに参加し続けるという、ガチ目に狂ったことを長い間してました。

大切なのはお金じゃないんだ、心なんだ。
心さえ救われていれば、それでいいんだ。
そういう言葉を以って、緩やかに肉体を滅ぼそうとしていた気がします。


コンセプトを考える上で、「自分が何をしたいのか?」を考える方法も有効だと言われています。
もしもどんな願いでも叶うなら。
もしもお金の心配をしなくてよくなったら、何をしたいか。


私は初め、この問いに、どうしても答えることができませんでした。
お金の心配がなくなるなら。私が居なくても家にお金が入るなら。私はもう、何もしたくないです。
こんな答えしか、思い浮かばなかったので。


私は、自分の死に向かう方向にばかり自分のお金を使って、自分が生きる方向にお金を使うことが、できなくなっていたのではないか。

そんな風に思いました。
そしていま、本当に、ただ自分一人のために、癒しでも慰めでも義務でもなく、これから生きるためにお金を使ってバッグを買ったことで、ハッキリと「私は、生きる方向に舵を切ったのだ」とわかり、バスの中で、座席にうずくまるようにして、ずっとしくしくと泣いていました。

その時、読んでいた本が、有島武郎の『生まれ出ずる悩み』です。
これは、絵描きになりたいという夢を持ちながら、貧しい家を支えるために漁師として働かなければならず、夢と現実、自我と情の間で引き裂かれて苦しむ青年の話です。
私はその最後の一節が大好きで、何かと折に触れて読み返すのですが、この時も、何度も読み返していました。

 ほんとうに地球は生きている。生きて呼吸している。この地球の生まんとする悩み、この地球の胸の中に隠れて生まれ出ようとするものの悩み──それを僕はしみじみと君によって感ずる事ができる。それはわきいで跳り上がる強い力の感じをもって僕を涙ぐませる。

 君よ! 今は東京の冬も過ぎて、梅が咲き椿が咲くようになった。太陽の生み出す慈愛の光を、地面は胸を張り広げて吸い込んでいる。春が来るのだ。
 君よ、春が来るのだ。冬の後には春が来るのだ。君の上にも確かに、正しく、力強く、永久の春がほほえめよかし……僕はただそう心から祈る。

『生まれいずる悩み』有島武郎

あきやさん。春が来ました。
あきやさんのおかげで、私のところに、春が来ましたよ。


そんな感謝を込めて、バッグを抱きしめながら、帰るまでずっと泣いていました。

💍鼻毛石・ポッターとアイデンティティのアクセサリー✨

めっちゃ長くなってますが、あとちょっとだけ続くんじゃあ……。

靴とバッグを手に入れたので、次はアクセサリーです。
アクセサリーについても、試着の旅を続けていましたが、なかなか「これだ!」というものが見つかりません。
バッグを買いに隣隣隣隣街に行った時も全然見つからなかったので、これはもっと都会に行かないと見つからないだろうな……と覚悟しました。
でも、一つくらいは何か欲しい……。
そう思い、『一つだけ通販で買う』ということを自分に許して、自問自答スタートです。

サイズが違ったら泣いてしまうので、リングケージ(指のサイズを測るもの)を買いました。
「ジュエリーショップで測ってもらえる」とも聞いていたのですが、地元のジュエリーショップに行ったらコントみたいになったので断念しました。

店内で新聞読んでるおじいちゃんが最後まで微動だにしなかったのが一番面白かったです。

私はこれまでほぼアクセサリーをつけたことがない(つけても無くす)ため、どんなアクセサリーが欲しいかもよくわかりません。
「なんか、指輪が欲しいな」と思い、あれこれと見ていくうちに、『どこか古ぼけた雰囲気のもの』『錆たり朽ちたり溶けたようになっているもの』に惹かれがちだとわかりました。
そうして導き出されたワードが『出土』です。

私の『出土』に対する憧れは、映画監督のギレルモ・デル・トロの言葉から生まれました。

「僕らがいなくなってずっと後の時代には──それがいつかはわからないけど──最低の内容のボロボロのペーパーバックが、ディケンズやシェイクスピアの作品と同様の重要性持つときが来る。
500万年後、僕たちは地層の一部になり、おそらく誰にも見つけられることはない。僕らができるのは、ささやかな方法で世の中を変えていくこと。」

『ギレルモ・デル・トロ創作ノート 脅威の部屋』

生きるほうに舵取りをした話をしておいて、今度は滅びの話をしていますが、これは諦念とかそういうやつでは一切なく、とても元気な話(?)なので、むしろ、生きるほうに舵取りした実感を得てから、より強く思うようになりました。
コンセプトも何かと責務を負うような言葉が多かったですが、自問自答と買い物を経て、ただ苦痛に耐えるだけみたいなニュアンスがどんどん削ぎ落とされて、深みを増していったように思います。

500万年後、地層の一部になることを意識できるような、出土系アクセサリーが欲しい…!!
そう考えて色々探すも、どう探せばいいのかわかりません。
「出土 指輪」で検索したら、国宝が出てきました。
こう、朽ちた感じの…土に帰っていく感じの…と考え「朽ちた 指輪」「腐った 指輪」とかそんな感じのワードで検索をし続けていたところ、これだ!と思う指輪の画像が出てきました。
しかし、その画像は海外の記事に添えられたもの。日本で取り扱いがないブランドの商品を買うのは、流石にハードルが高いです。
少ししょんぼりしつつ、とりあえずブランド名だけでもメモしようと、英語で書かれた記事からブランド名を探しました。

『JONA JEWELRY BY YASUSHI JONA』


………日本じゃん……。

こうして、ずっと探し続けた結果、取り扱い店を発見。一目惚れしたリングを手に入れることができました。

『jona』のパッケージ。すでに最高。
購入したリング。見てくださいこの出土感。最高。


自問自答ムンプラに感謝を込めて

これが、私の靴、バッグ、アクセサリーを手に入れるまでの話です。
大体、昨年末の話でしょうか? ずっとまとめを書こう書こうと思って後回しにした結果、めちゃくちゃ長くなりましたね……!!
2022年の後半は、ずっとこんな感じで自問自答道を進んで来たので、2023年の初めにあった第二回 自問自答ムンプラの最後、ムーンプランナーさんが仰った「お金を家族とかに使うことが多いと思うんですけれど、ご自身に使っていただくといいなって思います」という言葉は、物凄く大きく響きました。

今はこの三つのアイテム(+出勤用のモレスキンのリュック)を元に、制服化を進めています。
私は「気がつくと毎日同じ服を着ている」という感じなので、その辺は楽というか、服選びは結構のんびりやっています。
服を選ぶというより、『試着』という行為でいろんなことを学んでいる感じです。

いろんなことがありましたが、私が何かとメソメソしながら学んだことは、『生きる方に舵取りをする実感』です。ファッションを通じて、生きる上で本当に大切な、得難いものを得ることができました。

私は愚かな凡夫なので、いつかこの感覚を忘れてしまったり、増長して歪んでいくこともあると思います。
でもその度に、自問自答×ムンプラのお二方の言葉を思い出して、何度でも何度でも良い方に舵を切り直せると思っています。
それほど、凄い学びを得ました。
本当にありがとうございます。

今後も、生きる方向に舵取りをしていきたいです。
それが私のコンセプトなので。

余談

「もう二度とこんな高い靴は買えない」とか言ってましたが、この春、ブランドストーンのローカット版を春夏の靴として買いました。
二足目ーー!!!

・「もし、なんでもできるとしたら何がしたいですか?」の問いに、いまパッと答えるとしたら
『超絶技巧の彫物等をあしらった、めっちゃ豪華な爪切り作りたい』
『カレー用のロンググラスを作り、グラス入りカレーをバズらせたい』

です。

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