見出し画像

残しておきたい「大分方言」

言葉と云うものは、長い間耳から遠ざかっていると、あやふやになり、終には失われてしまう。そうなる前に残しておこうと、思い立った次第である。都(文化の中心)で生まれた言葉が、長い時間をかけて波紋のように広がっていき、やがては遠く離れた地域で僅かに生き残る。そんな言葉の持つはかなさを感じる。

◇ろく
 平成31年2月22日(金)NHK総合の「チコちゃんにしかられる!」
チコちゃんが、「ろくでなし」の「ろく」って何? チコちゃんの答えは「まっ平~」
 古語辞典を引くと、ろく[陸]①ものの形にゆがみのないさま②平らだ③正しいさま④くつろいださまとあった。
 現代は、③として「ろくな奴じゃない」「ろくでもない」、②として「陸屋根」「不陸」「陸墨」などの建築専門用語として残っているだけのようである。
 当地では、ろーく(平らに)均す、ろーき(たいらな)所などと使われている。正座していると、年配者から「ろーくしない」と言われることがある。足を崩して楽にしろという意味で、これは④である。
 
◇驚く
 祖父は、私が起きていくと、「おどりーたか?」とよく声をかけてくれた。「目が覚めたか?」と云う意味である。しかし今その言葉を耳にすることはない。
(古語)①びっくりする②目をさます③気づく

◇こぶら つぶし あど        
 昭和55年に郷里にUターンし、翌々年の2月から病院のリハビリ課で働くことになった。患者さんはお年寄りが多く、当然会話は方言で、「何処が痛いですか?」と聞くと、「こぶらが」、初めて聞く言葉だったが、ふくらはぎだと解った。「こむら返り」という言葉があるから、「こむら」が変じたのだろうと長い間思っていた。随分後になって、古語辞典で調べたところ、「こぶら」の方が載っていて驚いた。また膝のことを「つぶし」と言うが、味わいがあって好きなので、今でも相手を見て使っている。あどは踵のことである。

◇ひる・ばる
 親しい患者さんから聞いた話である。母の同級生で、私もよく知る、口の悪いので有名な女性と病院で出くわしたら、病衣を着ていた。そこで、「どげしたんかえ?」と聞いたら、「おら ひるばるが できんごつなったき こき きた」と言ったそうだ。「糞をひる」「小便をばる」を縮めたのだと教えられて、あの御仁ならさもあらんと、大笑いをした。溝にはまって腕を骨折したのだそうだ。

◇よる・ちょる
 電車が来よる(進行形)、電車が来ちょる(完了形)と使うのだが、共通語にはその使い分けがない。調べてみると九州各県や、中国地方には同様の言葉があるようである。東に行くとその使い分けがなくなるのは何故だろうと、考えを巡らすのも又楽しい。

◇んぬし・ん
 二人称単数である。私が原因で、父と祖父は度々喧嘩をした。「んぬし(御主)が」「(ん(省略形)が」、と怒鳴り合っていた。母と祖母が止めに入り、私は傍らに、責任を感じながら佇んでいた。

◇おごめん
他所の家を訪ねる時の言葉は、その土地の文化や人情を感じることが出来る。全国各地の音声で聴いてみたい気がする。「おごめん こを おくれ」などとふざけていたのを思い出した。

◇庭と坪
 農家では、玄関を入ると広い土間があり、モチツキや味噌造りをしたり、米を収納したりしていた。そこはと呼び、土足のまま釜屋を通って裏へ出られた。家の前には籾を筵で乾すことのできる広い平地があり、と呼んでいた。そこでは籾の乾燥、籾摺、畳干し、着物の洗張りなどがなされ、子供の遊び場にもなっていた。今でも坪を庭と呼ぶのには抵抗がある。

◇かまや くど はんど わくど
 かまや(台所)には対のくど(かまど)と流しがあり、その横には大きなはんど(水瓶)があった。暑い夏に、外から帰ってきて、柄杓で直に飲む水は美味かった。見つかって母によく怒られた。はんどの辺りには、どこの家でも大抵わくど(ガマガエル)が住んでいて、夜中に出くわすとぎょっとした。虐めると怒られた。

◇もつ うぐら じもちへび
 「持つ」とは全く違う使い方がある。肥をもつ(施す)、うぐら(モグラ)がもつ(トンネルを掘る)である。
鬼平犯科帳を観ていたら、床下に忍んだ密偵の一人が、「ウグラモチになろうとは」と自嘲気味に言っていた。大分方言集成には「ウグラモチ」も載っていた。
 モグラ穴で暮らすジムグリのことを「ジモチとかジモチ」と呼ぶのも興味を感じる。

◇がらめ うしがらめ
がらめ(エビヅル)エビヅルの類似種にサンカクヅル・アマヅルがあることが調べて解った。他の2種は渋みが弱く美味しいとのことである。近くの山に分け入り探してみたが見つからなかった。高地に分布するとのことで、標高が1.000mを超える県中部の子供達は、私達と違う美味しいガラメを口にしていたかもしれない。
うしがらめ(野ぶどう)は今でもよく見かける。実の色が奇麗だし、絵画や鏝絵にもなっている。

◇まぶる
人が食べてる口元をじっと見つめること。それにより食べてる物を落とすことを「まぶり落とす」と言う。
(古語)見守る じろじろ見る

◇ごてしん ずうしん
「御大身」と「五体死ん」の説があるようだが、他の語源を考えてみた。
県北には、同じような意味でずうしんと言う言葉がある。図体は胴体が変化したものだと語源由来辞典に出ていた。
ごてしん(五体寝)ずうしん(図寝) 体が寝ているように動こうとしない。
ごてしん(五体辛)ずうしん(図辛) 体を動かすのを辛がる。
ごてしん(御大身)ずうしん(同心)だろうか。同心は下級役人であり、身を惜しむ余裕はなかったろうと思われる。


◇ちゅうろくて(中六天)
平地は稲穂が実る田圃が広がり、斜面には民家が点在する車通りの少ない田舎道を歩いていたら、目の前を大きな牡猫が、民家の方から、のっそりのっそり坂道を下り、道路を渡って田圃の横に来た丁度その時、「ボコーン」とスズメ脅しが鳴った。猫は1m以上飛び上がり、ちゅうろくてに走り去った。

◇食べる
母が、来客に対し「お茶をお食べ」とか「お茶を食べよ」とか言うのを、変なこと言うなと思っていた。                    今、くずし字の勉強中で、江戸期の商家の規則の中に「酒たべ候上にても・・・」との記述があった。古語辞典で「食ぶ」を引くと「くう、飲む」と出ていた。                            今度機会が有ったら「お茶をお食べ」と言ってみよう。

◇ちちゅう(踟蹰)                         (移植した)植物の成長が一時停滞すること。              日本方言大辞典を引いてみると、静岡県榛原郡「こう寒くっちゃ―茶が(茶のできが)ちちゅーする」と載っていた。同じ使われ方がされている地域があることが解りとても嬉しい。

◇ねっから
「初めから、まったく」の意で、「ねっから 言わんこっちゃねー」「ねっから せんじいいこつ」とか言う。できてしまった事を悔やみながら、子供や目下の物を叱るときに使われる。親から何度言われたことか。
古希を過ぎた今頃になって、崩し字を勉強している。心中物の浄瑠璃「近頃河原達引 堀川の段」の抜本をご先祖が遺しておいてくれたので、翻本と照らし合わせながらである。それに「道理╱╲いふて居ては根つからはつから いつ迠も分からぬ道理じゃ」との箇所があった。「は(葉)っから」を加えることでリズムができ、語気も円やかになっている。心にゆとりがないと「はっから」は足せない。

都度追加予定?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?