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京住日誌 14日目
スジ肉カレーの夢で目覚める。まだ5時になっていない。日課であるデジタル新聞斜め読みまではまだ1時間以上ある。だから?スジ肉カレーを作ることにした。
何はともあれスジ肉は下茹でしなければならない(多分)。水から茹でて沸騰したら火を止める。もちろん大量のアクが出ている。鍋の水は全て捨て、スジ肉を流水で洗い流し余分な油を取る。再び鍋に水、そこにスジ肉と生姜、セロリの葉を入れ沸騰しないよう弱火で2時間弱(苦笑)。もしかしたら朝っぱらからやることではないかもしれない。
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煮込んでいる間にシャワーを浴びあれこれしているとあっという間に新聞タイム。本日特に目に止まった記事は「沖縄タイムス」今日の歴史のコーナー。過去の同月同日に起こった出来事・事件を紹介している。知らない事柄も少なくなく、沖縄タイムスの中で1番注目しているコーナーでもある。その中でも本日の記事101年前の今日(5月31日)起こった事件は僕の中で衝撃的だった。該当部分を引用する。
米南部オクラホマ州タルサ市で、暴徒化した白人による焼き討ちで推定300人の黒人が死亡した。自家用飛行機の攻撃もあったとされ、米史上最悪規模の人種間暴力。タルサは当時、裕福な黒人が集い「黒人のウォール街」と呼ばれた(1921年)
タルサという地名も101年前にこのような陰惨な事件が起こったことを全く知らなかった。安易な方法であるがネット検索してみるとおおよそのアウトラインが見えてきた。2020年以降「タルサ人種虐殺」と命名され、オクラホマ州の義務教育においての必須項目になったという。そして虐殺から100年目の昨年バイデン大統領は大統領としては初めて追悼ため現地を訪れた。もう少し詳しい経緯を知りたいけれど、アメリカ本国で長く闇に葬られており、日本語で読める資料もほぼないようだ。
そうこうしているうちに、牛すじが煮上がったようだ。ザルにあげ、スープはカレーに使うのでボールへ。
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いよいよ?カレー作りだ。何事も手順が大事だから材料を並べてみる。
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まずはニンニク、玉ねぎ、セロリ、ニンジン、ピーマンを千切りにしてソフリット作り。
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たっぷりのオリーブオイルと白ワインでじっくり炒める。焦がしたら水の泡なので、持ち場は離れられない。オリーブオイルと白ワインを継ぎ足しながら30分以上炒めると…
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錦市場で美味しいトマトを手に入れていたので電子レンジで湯むきして投入し、再び火にかける。
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ヘラで潰してながら弱火で炒めた後、他の材料も投入する。
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そして黄金の?牛すじスープを投入し、カレー粉、ローリエ、バター、そして赤ワインを入れ、じっくりと弱火で煮込む。
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5時過ぎから作り始めてこの時点で10時。まぁまぁ時間かかってますな。
よく考えたら朝食がまだだったので、急いでご飯を炊く。そして昨日トマトの皮?にニンニクと玉ねぎ、そしてケチャップを足してチャーハンにする。我ながらイタリアンパセリが心憎い1品だ。
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今日は右京中央図書館が休館日だから、応仁の乱痕跡巡りをしようと画策しているところに「妙覚寺のお庭の特別公開が今日まで」ということ事実が判明。妙覚寺については全く知識はないが善は急げとばかり出発。Googleマップは使えないなら事前に地図で調べて手帳に書き写す。少し遠いけれど歩ける距離だが、公開時間が15時までとあったので地下鉄で移動した。鞍馬口から徒歩数分の場所に妙覚寺はあった。
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お庭の入り口には「信長の茶会 青もみじ新緑特別拝観」とある。拝観料800円を払ってお庭へ。
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青空の下、新緑の緑が眩しい美しいお庭だ。
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おかしかったのはお堂に掲示している説明文の内容。織田信長上洛の折は妙覚寺に泊まることが多く、定宿だったとのこと。以下引用する
信長は京都に二十数回来ているのですが、一番多いのは一八回宿泊の妙覚寺です。
信長というと本能寺と言うイメージがありますが、実は本能寺には三回しか泊まっておりません。その三回目に明智光秀に襲われるのです。
天正十年(一五八二)に起きた本能寺の変。この時織田信長は明智光秀に討たれ、舞台となった本能寺は焼け落ちました。じつは、この事件の夜、妙覚寺に宿泊していた息子信忠が本能寺の変を知り、直ちに手勢を集めて二条御所に立てこもり応戦しましたが、かなわず、二条御所に火を放ち自害してしまいました。
定宿でした妙覚寺に泊まっているときに襲われたら「妙覚寺の変」ということになってもっと全国的な有名なお寺になっていたのかもしれません
本能寺に対する対抗心は如何なものかと思うが、知らないことばかりだ。織田信長というと天台宗や一向宗に対する弾圧のイメージがあったが日蓮宗にはシンパシーを感じていたようだ。また信長は秀吉ほどではないが、戦国大名らしく茶道に対する関心は強く当地で千利休による茶会も開催されたそうだ。美しい箱庭もあり、
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拝観料800円は決して高くないと思いつつ、寺を後にする。
手帳の手書きの地図を確認すると歩いて10数分のところに山名宗全の邸宅跡があるというので行ってみることにした。途中、
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「応仁の乱激戦の地」という碑と共に当地に流れていた小川(こかわ)が再現されている。西軍の山名宗全、東軍細川勝元の陣も近く、まだ鉄砲のない放火が主要な戦法だったからこの辺りは焼け野原になったようだ。ここから歩いて数分のところが山名宗全の邸宅跡である。
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看板と石碑を残すのみだが、当時は数町にも及ぶ大邸宅だっただろう。敵の襲撃に備え、周囲は堀(溝)が巡らされ、偵察のための矢倉(塁)も建てられていただろう。歴史小説「血と炎の京 私本応仁の乱」(赤松健 著 文春文庫)からの引用だからどこまで歴史的事実か心許ないが山名宗全邸について次のような一節がある。
すでに激しい戦闘とそれに伴う放火によって上京すべて焦土と化し、西軍の陣のある山名宗全邸一帯は、東軍の陣と同じように〝構〟という名の塹壕が縦横に掘られ、〝塁〟という名の防御壁が築かれている
555年前(西軍の陣を構えたのは1467年。地名西陣の由来となった)を想像して目を閉じるが堀も矢倉も思い浮かばずまして当時の主力足軽たちの勝鬨は聞こえない。
仕方がないので近くにある京都考古資料館へ。
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「考古」というと縄文弥生を連想しがちだけれど、ここは平安京以降、各時代の遺跡が展示の中心だ。京都は何度も焼け野原になりながら復活してきた。その際、残った建築物は埋めてしまうのが手取り早い。そのおかげで?今でも新しい建築物を建てる時土を掘り返すと新たな遺跡が出現する可能性が高いのだ。この資料館はそのための調査研究機関も兼ねているので、資料が充実している。
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しかも資料について解説してくれるボンランティアもいる。残念ながら今回は時間の関係でお願いできなかった。しかしながら、資料もたくさん手に入れたし大満足で資料館を後にする。
この後は自転車を取り行くべく右京区まで歩くつもりだった。西へ西へと進んでいくと、右手に北野天満宮。
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その後、嵐電北野線北野白梅町駅に遭遇。元ノリ鉄としては嵐電をやり過ごすことはできない。
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途中嵐山線に乗り換えて太秦天神川駅で下車。自転車をピックアップしてゆっくりと烏丸五条のホテルへと帰っていった。
部屋に入るとまずは手に入れた「京都遺跡地図」をパーテンションに貼る。
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ようやく?カレーにありつける。カレーを温め直し、ご飯を炊く。福神とらっきょを用意し、トマトスライスとセロリをサラダ代りに。そして実食なり。
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美味い!美味過ぎる!妻の作ったスジ肉カレーには及ばないが美味しくいただき、5月の最終日は過ぎていったのだった。明日から6月。さらに気合い入れていきまっせ!
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