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社会的微笑からの黄昏泣き

赤ちゃんは元気がいい。
身近で乳飲み子と対面する機会がふえて
天然の活力剤をもらっている。
なにに反応しているのか?満面の笑みを
見ず知らずの人にも投げかけられるのは
生粋のアイドルだろう。
親としても子育てを頑張られる救いの笑顔でもあるのだが、、
その反面
泣きに入ると人格が豹変したかのように
泣き続ける…烈火のごとく。
専門家がいうには
環境の変化の恐れとか、自分の居心地の悪さを伝えているらしい。とはいえ長時間泣かれるとワタワタと行き場を無くしてしまう。
ただ抱きつづけてあやすしかない…
私の母も
初孫のときは嬉しさのあまりに
泣き続ければお臍が出ると言いながら
抱くので、勢い余って捻挫をしてしまった。
いまは抱き癖させないのが主流だから
泣かせ泣かせなのだろうが、、、
捻挫しながらも抱き続けていた母の姿は
何にも変えられない孫愛だとおもっている。
母乳をたくさん出させるためにお餅とか食べさせられて太らされたのも孫愛のもとに。
そうして親にしてもらうのだが
1歳になるまでは毎日変化する成長ぶりを
観察できるときでもある。 次の日には
きのうまでの自分でなくなってるなんて
羽化する昆虫のようでもあるから
泣こうが喚こうがグズろうが、、、それは
自分が変わることへの儀式かもしれない。
そうやってちょっと大人に手伝わせながら
生きる術を磨いてるような気もする。

きょうは
3年ほど一緒に働いている同僚と
ほんとうに久しぶりにお茶をした。
下のお子さんが中学入学となったので
一気に手をかける時間が半減する頃でもある。
子離れよりも親離れのほうが早いのも
寂しいとき…そのために手をつなぎ密接して育てて来たはずなのにだ。頭の中では分かっていてもその空虚さは表現できないレベル。
そしてそして
成人式は追いかけるようにくる。
少子化の課題も深刻の昨今だが、
人の営みが普遍であればこそ泣き笑いの中に
乗り越える力は少なからずあるのだと信じ
おもっている。





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