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見せかけの努力では侮られる。

女正月とは良くいったものである。

お正月飾りがとれだすと、
寒中お見舞い状が日毎に一枚、一枚届くようになった。12月に入ってから他界なさった方がお身内にいたのは自分だけではなかったことに気づかされている。人生100年時代といわれてお元気でいらっしゃる方も増えているけれども、やはり持病があったりすると持ちこたえられない現実はきびしい…それでも
最後まで頑張り抜いたのだから、その人なりの人生を全うしたのだと思いたい。悲しむのは残されたもので後悔ばかりが先にたって
ただオロオロするばかり…目先のことばかりに気持ちを寄せていくしかなくて時間だけは過ぎていくばかりだ。そして一緒に生きてきたときはそのまま止まってしまっている。
親が亡くなったときが、1番生死のことを考えたようにおもう。親との別れはやはり自分のなにかを引きちぎられたような感覚があった。もう会えないことの寂しさが大きかったぶん次は自分の番だともおもった。まだ生きてる方なのだから生きてるうちに両親への土産話をたくさん作ることもできる。そんなふうに思って今に至っている。だが、、ちょっと心配なのは果たしてその土産が何だったのか??思い出されるのかどうかなのだ…どっかにスイッチ入れば大丈夫そうな気もしたりしているが、、、

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