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三春人形

ありがたいことに
老若男女と接するしごとが生きがいのようになっている。
きのうは、百万という能をみて謡の内容はほとんど分からないのだが…百万とは子を亡くした母の名で、子供を失った悲しさを
袖で表していることに気づく。
"袖振り合うも多生の縁"
昔の人は粋だなぁ~とつくづく感じながら
まさにそんな日々を過ごしてる。
また3代が一緒の場合は
各々の世代が明確になって家族バンザイを垣間見させてもらうのも幸せなことである。

そしてきょうは、
年配の女性がテーブルに伏せてしまっていたので…気になって声をかけた。少し疲れて寝ていたようだが、、湯河原へ帰らなければとなんども言う。帰る行為が疲れを呼んでるようで何故か気になったが…大丈夫です。の大丈夫は大丈夫でないことを感じながらも
それ以上手は差し伸べることはない。
人生が長くなると
自分の経験の中での喜怒哀楽が蘇ってきて
他人事とは思えない気持ちになる。
悲しことや辛いことはひとりで抱えやすいから特にそうおもう。基本自分も負けず嫌いなのか、気落ちしていることを他人に話すことはない。日常にある愚痴はお互い様なので
口角に泡のごとくになるのだが。
気落ちは時間がうすめてくれるから
リセットすることもなく、ただただ受け止められる自分を信じて行くだけ。そんな繰り返しをしてきたようにおもう。そして疲れた友あれば…賢治さんぶって声をかけてしまう。

張子の虎が可愛らしくて
天神様の三春人形をお迎えする。
民藝を扱ったお店には日本全国の暮らしを愉しませてくれた品々がたくさんある。どんな思いで慈しんできたのかは表情表現を
ご覧あれ!!


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