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【物語】 貴婦人の予祝 《第6章》 貴婦人の予祝  紫 Violet

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第6章  貴婦人の予祝  紫 Violet 


《第7チャクラ》

色   紫 
象徴  高次の意識 
主題  霊性
目標  意識の拡大


 その後の2日間は夢のようだった。マダムは私に何でも好きなことをしなさい、と言ってくれた。
「好きな服を着て好きな所に出かけ、好きなものを食べて心を洗いなさい。パリは若い女性にとって魅力的な遊び場よ」
マダムとはその次の夜、私が日本に戻る前日に会う約束をした。あまりに強烈な体験ばかりが続いて忘れていたけれど、帰国の日は明後日に迫っていた。
 セシルは私をあの宮殿の一室のような衣装室に連れていき、様々な美しい服を取り出しては私の体にあて、鏡を見ながらその服の特徴やブランドについて説明してくれた。映画女優にでもなったような、素晴らしい時間だった。
 セシルに対して緊張が解けてきた私は、彼女が次々と出してくれるワンピースやジャケット、スーツ、ドレスやブラウスについて、一つ一つ値段を聞いてみた。それは外国製の高級車の値段に匹敵したり、私の住んでいる地域でなら、ちょっとした家やマンションが買えるくらいの価格だった。プレタポルテの服ですら、「いつか着るのが夢」と思っていた私にとって、すべては宇宙的な代物に思えた。昨夜のように、しかるべき場所に出かけるためのドレスならまだ分かる。でも私は、「ちょっと」街に繰り出すための服が必要なだけなのだ。
「気にする必要はありません。それがマダム・ロゼなのです」
「彼女はオートクチュールしか着ないから」
「おっしゃる通りです。それ以外の服はこの館には存在しない、というだけです」
 ――気にするな、って言われても、もしも汚したりしたら……。
そう心配にもなったけれど、今更遠慮するのも何となく不自然だった。それにもうすぐ日本に帰るのだ。一生に一度のチャンスかもしれない。ありがたく「マイ・フェア・レディ」の機会を楽しもうと心を決めた。



 白地に黒の太いラインが入ったタイトなノースリーブのミニドレスと、バイカラーのサンダルを選ぶと、セシルは私の髪を60年代風のふっくらとしたポニーテイルにアレンジしてくれた。
「大きなサングラスがお似合いですよ」
たしかに。こういうのを「洗練」というのだろうか? エレガンス? パリスタイル? とにかくそれは、私が夢見ていたファッションそのものだった。
 黒のマトラッセの小さなバッグに、たっぷりとお札の入った財布と白いレースのハンカチ、ルージュのスティック。約束の時間に待ち合わせの場所に来れば、車が待機しているという。
 私はガイドブックを手に、行きたかった美術館を回ってみることにした。すっかり記憶から抜け落ちていたけれど、もともとはそのために来たのだ。
名前だけは知っていたルーブル、オルセー、オランジュリー。歩いているうちにいつの間にか着いていたギュスタブ・モロー美術館、クリュニー美術館、ロダン美術館。
 初夏のパリの街は、マダムの言った通り確かに魅力的だった。「遊び場」と思えるほどの器はもちろんなかったものの、一見どこかの令嬢のような装いの私を、人々は大切にもてなしてくれた。どこで立ち止まっても、魅惑的な視線や親切なサービスに出会う。私の英語力は会話程度で、フランス語は全然分からなかったけれど、それでも憧れの街を自由に歩く楽しさは、私をとても素敵な気分にさせてくれた。ちょっとした路地でも公園でも、すべてがきらきらしている。
 カフェで何かを真剣に語り合うパリジェンヌたち。絵葉書のようにかわいらしい路上のフラワーショップ。賑やかなマルシェ。エッフェル塔と青空。セーヌ川のほとりで気ままに寝転ぶ若者たち。
どこを見ても新鮮で楽しかった。
 フランス人のいい意味での勝手気ままさも、私には何となく面白かった。
ルーブルでは、画家を目指す学生たちが座り込んで熱心に模写をしていた。誰も何も言わないし、彼らも人目を気にする気配は全くない。人の、目……。多分、そんな意識は根っから希薄なのだろう。機嫌が悪そうなカフェの店員に余計な気を遣いながらオーダーする私とは、全然違う。
聞いてはいたけれど、ここは本当に個人がありのままでいることが何よりも称賛される国のようだった。


 心に残ったのはロダン美術館だ。
 「地獄の門」、「接吻」、そして「考える人」。そんな圧巻のロダンの作品以上に私の胸を打ったのは、美術館の一室に展示されていたカミーユ・クローデルの彫刻だった。
 生まれながらにして絶世の美貌と素晴らしい才能に恵まれたカミーユ。19歳で彼女がロダンに弟子入りした時、ロダンは既に42歳。それでも2人の関係が師弟関係を超えた恋愛へと発展するのに時間はかからなかった。しかし2人が深い中になっても、ロダンは内縁の妻ローズとの関係を断つことができなかった。カミーユの人生は、ロダンと出会ったことで次第に歯車が狂い始める。どの作品も「ロダンの模倣」と言われ、彼の子どもを妊娠しても産むことを許されず、最後には中絶を余儀なくされる。
 15年続いた2人の関係は破綻し、結局ロダンはローズの元へと戻っていく。
 その時の心情を表したのだろうか。
 老いた女に連れていかれる男と、その足にすがる裸の女性。三人の姿が彫られた、「分別盛り」。
 自分の分別が失われていく様子、というのが、そのタイトルなのだという。
 繊細でいて鬼気迫るその彫刻は、後に精神を破綻したカミーユがことごとく自作を壊した中で、その破壊を逃れた一つだと記されていた。40代の後半に精神病院に入院し、三十年もの入院生活の末に孤独に死んでしまった一人の天才彫刻家。故郷へ帰ることを願いながら、晩年は病院内の礼拝堂で毎日熱心に祈りを捧げていたにも関わらず、最期までロダンと自分をうとんじた実母への激しい憎悪が消えることはなかったという。


 ロダンの意向で作られたこの美術館には、その日も多くの人が訪れていた。ロダンは遺言で、美術館の一室にカミーユの作品を展示するよう書き残していた。愛していなかったわけではない、ということなのだろうか。
美貌と才能。それを確かに持っていたはずのカミーユは、どうしてこんな生き方しかできなかったんだろう。それが、私がロダン美術館で感じた率直な気持ちだった。彼女が生まれ持ったものを私はずっと欲してきた。美しさと天賦の才。それさえあれば、他に欲しいものは何もないと思える程に。
でも、彼女は幸せにはなれなかった。
 カミーユがこんな生き方しか出来なかったのは、本当にロダンのせいだけなのだろうか。30年も憎悪に駆られながら精神病院で孤独に死んでいくなんて、あまりにも悲しすぎる。 
 それが彼女の激しい気性とも関連しているのか、あるいは実母に憎まれるという不幸な生い立ちに端を発しているのか、それとも時代のせいなのか、私には分からなかった。そのすべてが複雑に絡みあった結果だとしても、それでも「なぜ?」と思ってしまう。そんな母親や恋人と出会ってしまう宿命のようなものは、多くの宗教が説くように前世からの因縁やカルマなどと関係があるのだろうか。
 カミーユのことを考えているうちに、いつしか私はマダムのことを思い出していた。マダムの細胞や魂に刻み込まれているという、いくつかの強烈な信念。貧困への拒否、恋愛の叶わないさが。それは本当にマダムとその両親だけの問題なのだろうか。私は? 性格や生まれ、育ちといった「私」を織りなすすべてのことは、本当に偶然と環境だけによって作られたのだろうか。
 もしも前世の因縁や過去生からのカルマが存在するのだとしたら、受け継いできたカルマを清算しない限り、人は完全に幸せにはなれない?
 すべてを手にしているように見えるマダムですら、あんなにも自己を律して、自分の「狂気」を浄化しようとしている。なぜ、人は簡単に幸せになるようには生まれてこないんだろう?
たった今、あるいはこの一生で、完全な幸せを手に入れることができるのだとしたら、そのために私はこの先何をすればいいのだろうか。



 最後の夜、マダムは私をバレエに連れていってくれた。
 パリのオペラ座のボックス席で、私は小さな金色のオペラグラスを手にしながら、その夜の「特別な」観客として素晴らしい待遇を受けた。
 深いすみれ色の薄手のローブとドレスを着たマダムは、「ボックス席に相応しいお金持ちの女性」といったステレオタイプのイメージを、軽やかに超越していた。
 そのダブルフェイス(重ね着)は素晴らしくモダンで、紫を基調にした上質なタフタには繊細な金糸が織り込まれていた。煌びやかな灯りの下では、その細いゴールドのラインが気品に満ちた輝きを放ち、一歩外に出れば彼女の姿は瞬く間に夜の闇に紛れる。人目を見事に逃れる贅沢な隠れ蓑と、一瞬にしてオペラ座中の観客の注目を集めることも可能な、艶やかなイブニングドレス。
 フランス職人の手と時間を贅沢に使ったドレスには、細やかな刺繡やスパンコールがさりげなく施され、マダムの足取りに合わせて裾が優雅に揺れていた。おそらくはただ一夜の観劇のためだけに、彼女のシルエットを最も美しく見せるためのあらゆる手法が、どこまでも惜しみなく尽くされたのだろう。


 「今日の演目は『白鳥』よ。セオリー通りのあらすじだけれど、私はバレエの中で『白鳥の湖』が一番好きなの。1895年にマリインスキー・バレエ団のプリマ、ピエリーナ・レニャーニが一人二役を演じきって以来、数々の名プリマたちが光と闇、純愛と誘惑、清純と狂気を演じ分けることに果敢に挑戦してきた。ピエリ―ナには心から敬意を抱いているわ。現実社会では恐れられる狂気も、バレエの世界ではこんなにも人の心を魅了する。名演に出会った時には、心からの感謝があふれ出る。自分自身の狂気が癒される気がするから」
 バレエを観るのはその夜が初めてだったが、私にはマダムの言ったことがよく分かった。第三幕で黒鳥のオディールが、王子のジークフリートを誘惑するために狂ったように回転し続けた時、その妖艶な美しさはジークフリートだけでなく私の魂までも射抜いていた。
 この狂おしい美を前にして、現実の世界でも本当に純愛がすべてを凌駕することができるのだろうか。
 フィクションだからこそ、白鳥のオデットは王子と結ばれることが叶ったのでは? 


 鳴りやまない拍手とカーテンコールを背に、私たちはそっと席を出た。会場中のスタンディングオベーションに合わせてマダムが席を立った時、エトワールの若い女性が、感極まった表情で私たちのボックス席を見上げた。至福の表情とともに頷きながらゆっくりと手を叩くマダムに対し、今夜の主役は恭しく、そしてこの上ない優美な礼をした。
天才の名にふさわしく大役を見事に果たしきった彼女にとっても、マダム・ロゼの称賛は何にも増して特別なことのようだった。


 私たちを乗せたリムジンは、華やかにライトアップされた夜のパリをしばらく走り続けた。
 街中を歩く人々の表情は皆、一様に開放的で陽気だった。華やいだ雑踏を目にしているうちに、不意に寂しい感情が込み上げてきた。
 孤独を感じたことはこれまでにもたくさんあった。でも、こんな感情は初めてだった。今が多分、一番寂しい。それがマダムと離れるからなのか、それとも灰色の日常に戻っていくからなのか、私には分からなかった。シンデレラは十二時の鐘とともに王子を残して去らなければならなかった。けれど、彼女の孤独が続いたのはその後のほんの僅かな時間だけだ。
私は違う。シンデレラのように我を忘れて捜してくれる人なんて、どこにもいない。この世界の、どこにも。
 私はこれからどうなっていくんだろう?
 この7日間が、私の人生のクライマックスなのだろうか。


 いつの間にか車は停車し、ドアが静かに開いた。でもそこはマダムの邸宅ではなかった。目の前には、見慣れた美しいガラスのピラミッドが建っていた。
「振り出しに戻ってきたわ」
マダムはそう言って歩き出した。閉館時間が過ぎても、ルーブルの周囲はまだたくさんの人で賑わっていた。誰もが思い思いに夏の夜のパリを楽しんでいる。そう、たしか今日は金曜だ。
 マダムがガラスのピラミッドの前に立つと、閉館しているはずの入り口を警備員が静かに開けた。軽く頷いたマダムは、さも当たり前のように中に入った。誰も足を踏み入れることができないはずのひっそりとした夜のルーブルも、彼女にとっては自宅の庭園とさほど変わりはないようだ。
私は昨日とはまったく違う館内の様子に少し緊張しながら、マダムの後をついて歩いた。二人のハイヒールの音がコツコツと辺りに響いていた。


 2階へと続く大きな階段を上ったのは、それが始めてだった。
 どこからともなく漏れ出た月の光が、深い静寂に満ちた館内を青白く包んでいた。幅広い階段の中頃まできたところで、私は思わず息を呑んだ。階段の行きつく先の大きな踊り場に、巨大な像が立っていたからだ。翼を広げた女神。首もなく、両腕もない。それでも圧倒的な神々しさを放つその像は、大きな台座の上で静かに私たちを迎えていた。
「サモトラケのニケ。勝利の女神」
マダムは静かにその像を見上げた。船首を象った台座の上で翼を広げるその女神像は、下から見上げるとゆうに五メートルを超えている。世界屈指のこの美術館において、広大な空間に唯一贅沢に展示された、首も両腕もない女神。
「別の場所で発見された右手に、彼女は何も持っていなかった。そして頭部と左腕は永遠に謎のまま。どんな表情をしているのか、その片腕は何を抱いているのか。想像力を掻き立てられるけれど、今のところそれは誰にも分からない。女性らしい肢体や船の舳先へさきに降り立つ姿から、女神ニケだと推測はできる。でも、あるいは男性神かもしれないし、エジプト神話に登場するアヌビスのように、獣の頭部を持つ神かもしれない。失われた左腕が手にしているのは、人を導く松明か、あるいは勝者への花輪か。もしかしたら、生身の人間の首かもしれないわ.」
私はその巨大な彫像を見上げながら、不思議な気持ちでマダムの言葉を聞いていた。
「目には見えない以上、この神の失われた部分をどう想像するかは、見る者次第。この像は私に大切なことを教えてくれる。私たちは神のあるべき姿すら、自由に想像できる。私たちがどう生きるかだけでなく、神は私たちがその姿を想像する自由すら与えてくれている」
何と言っていいのか分からなかった。そんなふうに考えたことはなかった。自分がそんな大きな力を手にできるという意識さえ、抱いたことがなかった。
「私はここであなたに出会い、声をかけ、秘められた私の一部をあなたに見せた。それがなぜだか、あなたには分かる?」
「マダムは私に素質があると言ってくれました。私とマダムの心の闇は同じだと。そして、エメラルドタブレットに書かれた不思議な言葉を、いつか伝える人を探していたと。でも、私にはそのことが何を指すのか、まだ分からない」
マダムはどこかおかしそうな、それでいて何かを慈しむような、不思議な表情を浮かべて私を見ていた。私が言い終わった後も、マダムはしばらく無言のままでいた。誰もいないひっそりとした館内に、静寂だけが満ちていた。
やがて、マダムは囁くように話し出した。
「私は、本当は心の奥底ではいつも叫んでいるの。こんな生き方をもう終わりにしたい。ふと気を許せば、自分の狂気で我を忘れそうになる毎日を、誰も心から愛せない孤独を、今すぐにでも捨て去ってしまいたいと。その本心が、時には甘い誘惑を呼び起こす。もしかしたらたった一度、望む形で復讐を実行するだけで、意外にもこの狂気は跡形もなく姿を消し、明日からは至福の中だけを生きていけるのかもしれない……。たった一度、「彼ら」をこの手で、私のこの手で心ゆくまでいたぶり尽くすことができれば。殺すことができれば。きっとそれで何もかも終わる。特に疲れている時などに、そういった感情が静かな煙のように立ち上る。それでも」
マダムの佇まいが、次第にいつもの気品に満ちた、崇高なものへと変わり始めた。
「それでも私は妥協を好まない。在りたい自分でいるために、すべての瞬間に全身全霊をかける。だから結局は探し続けるの。両親を殺した存在たちへの憎悪を超える何かを、復讐以上に心惹かれる何かを。いつも、どの瞬間も」
マダムは頭上を見上げた。私たちを静かに見守っている顔を持たない神から目を逸らさず、マダムは話し続けた。
「私の父は、ただ、一人の人間でしかなかった。でもその一人の人間でさえ、あんなに凄惨な苦しみの中にあっても、母と私を守ることに命を懸けた。そして、彼はそれを成し遂げた。だから、人間を超える至上の神が存在するのであれば、きっとその神はもっと偉大で、もっと大きな愛に満ちている。
 人間がどのように神や悪魔を解釈しても、いちいち言葉や行動でそれを咎(とが)めることなどしない。神は私たちが何を想像しても、どこまでも許す。このニケがそれを体現している。いかようにも思うことを許す究極の愛。そして宇宙の真理に従って、私たちの意識が描いた世界へと確実に導いてくれる。決して失われることのないこの大きな翼で、その世界へと連れていくの。
 この女神が約束する勝利とは、あなたが自由に抱いた意識の具現化を約束する勝利。悪魔がいると思えば、悪魔のいる世界へ。豊かさと自分は縁がないと思えば、貧しさに満ちた世界へ。自分を卑下すれば、自分が卑下される世界へ。そして、愛と幸せに満ちた世界で生きると決めれば、その言葉通りの世界へ」
マダムは目を閉じて深く息を吸い、そして吐いた。たった今、自分が言ったことを全身に行き渡らせようとしているような、深い、深い呼吸だった。
「だから私は、自分の心が誘惑に陥りそうになる時は、このニケの前に立って自分に正直に問いかけてきた。私は今、どんな顔で、何をこの手に抱きたいのかと。そして自分が望む姿になって、このニケと一体となった。私は自分が望む姿となり、神はその翼を羽ばたかせ、私たちは望むものを手にできる世界へと旅立つ。それが美しい花でも、誰かの首でも、あるいは闇を照らす松明でもかまわない。私が心から願うものを手に抱いて、瞬時に時を待たずして、私たちは望む世界に降り立つ」
 マダムは再び瞳を開いた。私を見るその眼差しは、真っすぐで揺るぎがなかった。
「いづみ。あなたは、どんな自分になって、どんな世界で生きていきたい?」
それは私にとっては究極の質問だった。でも、答えはいつも同じだ。いつだって結局は同じなのだ。ただ、自分の本当の望みに向き合う力が持てなかっただけで。
「私は人を心から愛し、心から愛される自分になりたい。身も心も綺麗でいたい。望むものはすべてこの手にあり、ただ、愛する人と幸せに過ごせる世界。そして、いつか自分が想像する美しい世界を表現できるようになりたい。今まで言葉にできなかったけれど、本当はずっとそんな世界に、そんな自分に憧れています」
気がつくと涙が流れていた。マダムは優しく頷いた。
「じゃあ、今言ったことのすべてに、勇気をもって取り組みなさい。それがあなたの心からの望みなら、決して妥協せずに、そしてあきらめずに、時には一心不乱に。どれ程の時間がかかるのか、それは分からない。でも時間は問題ではないの。あなたが本心から望めば、それは必ず叶う。それを信じなさい。そして、息をするように愛し、息をするように愛される人生を手に入れなさい。その鍵はあなたの意識にかかっている。まずは自分を愛しなさい。それも心から」
「心から……」
「そう。あなたが、あなた自身をどう捉えるか。それがあなたの現実を左右する。だからあなた自身を、最も愛しい人を見るような目で見つめ、最も愛しい人を愛するような心で愛しなさい。生まれも過去も重要ではない。カルマも血筋も、あなたの意識以上の力を持たない。そう。今、この瞬間の自分にとっての幸せだけに、まずは集中しなさい。それができた時、あなたの発する波動が変わる。そしてあなたの望むすべてのものが自然ともたらされていく」
そう言ってマダムは笑顔を浮かべた。それは、これまでマダムが私に見せてきた中でも、最も優しく、美しい微笑みだった。
「もう一度、あの場所に戻りましょう」



 そして私たちは振り出しに戻った。
 壁にかけられた細長い板。画集で見た有名な「受胎告知」によく似た、あの小さな絵。
「この絵は作者が確定されていない。ロレンツォ・ディ・クレディという画家とも、あのレオナルド・ダ・ヴィンチとも言われている」
マダムに言われて、私は絵のそばのプレートを見てみた。確かに、二人の画家の名前の最後に「?」と刻印されている。
「誰が描いたか、ということよりも、この小さな絵があなたを引き寄せたことの方に、私は興味をそそられる。様々な至宝に囲まれた広大なルーブルで、この小さな絵から放たれる何かにあなたは振り返った。そして、その瞬間に私が居合わせた。そこには予感があった。彼女かもしれない、という。そして微かな声が聞こえた。この機会を逃がすな、と」
マダムはそっと私の手をとった。その手はあの儀式の時と同じように、神聖な冷気に満ちていた。
「私はずっと探していた。古い歴史や大義名分、しがらみ、家族や過去の痛み。そのすべての決着をあきらめてでも、今、この瞬間の幸せを選びとる人のことを。いつ、どんな時も、何よりも、自分を愛に浸すことを求める人を。その意識こそが『賢者の石』。私が手にしたこの『エメラルドタブレット』の真実を、いつか、しかるべき時に伝えてくれる人のことを、私たち・・・は探していた。それをあなたに託したい」
マダムの手から、あの日と同じように細い電流が流れ出し、微細な熱を帯び始めた。彼女の手を伝って、目には見えない何かが私の体の中へと流れてきた。それは、静かなせせらぎのように私の体中を巡り、細胞のすべてを浸していった。そして、私の古い傷のすべてを洗い、癒しきった。
 私には抗いようがなかった。この決定的な癒しとともに、私はその役割を受け入れるよう呼びかけられているのだ。
私は目を閉じた。そしてゆっくりと頷いた。「わかりました」
「いつできるようになるのか、自分でも分からない。でも約束します。いつかマダムが私に教えてくれたことを、形にできるように」
マダムは静かに手を離した。そして私を抱きしめた。それは、マダムが初めて私にしてくれたことだった。私はグラースの大地に咲くバラを思い出した。無数のバラ。そして、香り。そのすべてとマダムが、そしてより大きな存在が、私を抱きしめてくれているような気がした。



 いつからそこにいたのだろう。ギヨームが静かに姿を現した。手にした銀のトレーに、赤ワインが注がれた二つのグラスがのっている。
「さあ」
マダムは私にグラスを取るように言った。
「私は少女のように夢見ているの。いつか私たちの誰もが、何千年も続いてきた負の記憶のすべてを手放し、毎瞬をただ、軽やかに過ごせる日が来ることを。貧しさもなければ飢えもない。誰の間にも、どんな優劣もない。何の義務も責任も負わず、国にも肌の色にも、血筋にも性別にも縛られない。さがやカルマも背負わない。
 ただ、生まれた時のままの自分で、望むことのすべてを手に、誰もが心から望むことだけに没頭しながら、幸せに生きる世界。私たちはそろそろ、その夢のような世界を現実にする準備をしてもいい時期だわ。でも今のところは、その可能性をあなたと分かちあえただけで十分。いづみ。私たちの約束をあなたが果たした時、私はあなたに祝福を贈ると約束するわ」
「祝福?」
「ええ。あなたが手にし得る最上級の祝福を、目に見える形で、その手に受け取れる形で。それは必ず叶えられる。その日が必ず来ると信じて、二人で予祝をしましょう」
マダムはグラスを宙に掲げた。私は彼女の美しい顔を見つめた。澄んだ瞳。一切の濁りがない、真実を知る眼差し。
絵空事ではない。望めば、いつかきっと来るのだ。そういう夢のような世界が。
 私は頷いた。どれだけ時間がかかるのかは分からない。でも、挑戦してみる価値はある。
 私はグラスを差し出した。
「いつの日か、私たちの願いが『成就・・|した《・・)』ことを祝して」
マダムは私のグラスに自分のグラスを重ねた。
「乾杯」



 私の旅はこうして幕を閉じた。ひっそりとしたある夜の美術館の片隅で、たった一つの約束だけを受け入れて。



~第7チャクラ・クラウンチャクラ~



・チャクラ名……クラウンチャクラ
・サンスクリット語……サハスラーラ (千倍)
・色……紫
・関係する体の部位……頭蓋骨上部・大脳皮質・皮膚・脊髄・神経系等(松果体)


 第7チャクラの別名はクラウンチャクラです。クラウンチャクラのクラウンとは「王冠」を意味していることから、王冠のチャクラとも呼ばれます。クラウンチャクラは、あなたの頭頂部(つむじの辺り)の少し上、頭から2、3センチ離れた場所にあり、天から降りてくるエネルギーの入り口であると同時に、あなたを宇宙意識と一体化させる接触点でもあります。
そのため、「悟り」のチャクラとも言われています。また、あらゆることの顕在化(現実化)の流れの源でもあります。
 サンスクリット語では「千倍」を意味する「サハスラーラ」と呼ばれ、そのシンボルは、千枚の花びらを持ち、無限に咲き続ける蓮の花を表しています。カラーは紫。目には見えない世界と繋がる、高次の意識を象徴した高貴な色です。


 第7チャクラは、第1チャクラから第6チャクラが正常に機能して初めて開くと言われています。自分も自分の周りのものも、人間のみならず動物や植物、鉱物、地球を含めて、すべては同じエネルギーであり同一の源から生まれている。そう意識できて初めて整うチャクラなのです。


 このチャクラが開いていると、目に見えない世界に関する真実を理解し、意識も自我的なものから超越意識へとシフトしていくとされています。これがいわゆる「悟りの境地」です。人生の目的は限りない可能性の探求へと変化し、一瞬一瞬がかけがえのない喜びと愛に満ちたものに感じられる。恐れや無価値観から派生する様々な感情に苦しめられることもなく、創造的な人生を歩むことができるのです。


 まるで、イエスや仏陀など雲の上の人の話に聞こえて、自分にはそんな生き方は無理だと感じてしまうかもしれません。私もチャクラについて学び始めた時にはそう思いました。でも、七つのチャクラが私たち全員に等しく備わっているということは、やはり何か深い意味があるはずです。そう思い直し、頭の真上にある第7チャクラを意識して、深呼吸をすることから始めてみました。
 実際に7つのチャクラを意識しながら心を落ち着け、長い瞑想ができるようになってきて実感したことは、チャクラはすべてが繋がったエネルギー場だということです。下から上へ、上から下へというふうに。地上から天上へ、天上から地上へと循環するエネルギーの流れを、自分の体を通して体感できたというのでしょうか。その「氣」を体中に巡らせるだけでも、気持ちがずいぶん変わってきます。ポジティブなエネルギーを体に巡らせる。ネガティブなエネルギーを溜め込まない。すべてを巡らせること。不要なものは外へ流すこと。
 それができるようになるだけでも、苦しい感情が自然とやわらいでいくことを実感しました。


 ですから、まずは「悟り」などという崇高な次元ではなく、自分の体内にある物質や感情のすべてを溜めずに、エネルギーを純化して良いものを取り入れ、悪いものを出すという気楽な気持ちで、第7チャクラを意識することから始めてみてはどうでしょう?


 私はここで、無理にすべてを悟ろうと自分に負荷をかけるのではなく、チャクラを意識しながら、傷ついた過去の体験や苦しい記憶を、体や心に溜めずに流していくことの大切さについて話してみたいと思います。


 通常の人間の存在を超越しているように見えたマダム・ロゼでさえ、心の奥底に潜む激しい狂気と愛の狭間を行き来しているのだと、私は最後の夜に痛感しました。私たちの心の中を吹き荒れる様々なネガティブな感情は、どこまでも個人的なものでありながら、同時に生まれ育った環境や国、歴史とも分かちがたく結びついています。
 私には、かなり辛い性的にネガティブな経験(幼少期の見知らぬ男性からの性行為、20代のレイプ)がありますが、これも「私」という個人の問題であると同時に、少し前までの日本では、社会的に容認、あるいは黙認されてきた経緯があります。「しょうがない」とか、「される方にも隙がある」といった認識です。ですから、そういう行為に走る人々には、どうしても加害者とか犯罪という意識が希薄な人が多い。
 また、私の激しい自己否定も、先に話した体験を発端とする極めて個人的なものでありながら、日本の教育や社会の基準(学力の基準・家柄の基準・財力の基準・見た目の基準)に自分を照らし合わせた時、自他ともに価値を見出すことができなかった(または難しかった)こととも、深く結びついていると思います。
 私たちにとって、自分を苦しめる要因をすべて「手放す」、「赦す」ことは、とても難しいことです。ですから、ここであなたにそれを強いるつもりは全くありません。私もその難しさに苦しんできたので、過去の記憶に纏わる手放しや赦しの決意や時期は、自分自身で判断し選ぶことしかできないと思っています。


 ですから、仮に過去の痛みや赦せない出来事が、今のあなたを苦しめているのであれば、赦せない自分を赦して、全面的に受け入れてあげて下さい。「今はそれでいい」と優しく自分に寄り添ってあげましょう。


 一人で引き受けるのが辛い場合には、プロのカウンセラーや心療内科等でケアを受けることも、もちろん有効です。また、今はマインドアップやパートナーシップ関連の講座も充実してきているので、自分が信頼できるサービスやケアを探してみることも、良いアイディアだと思います。
 個人的な経験ですが、ある時から私は、自分の感情をどこまでも感じきってあげることを繰り返してきました。若い時には感情の起伏の激しさに苦しんだのですが、マダムと出会った後は、小さな時の自分に寄り添ってあげるような、第三者としての立場で自分を見ることを大切にしました。
私は両親との関係についても課題が多かったので、幼い頃の自分に寄り添うという方法はとても効果的でした。あの時、本当は大人にしてほしかったことを、大人になった私自身が小さな頃の私、あるいは十代の私にしてあげる。ノートにもたくさん自分の気持ちを書いてきました。書きなぐった、という方が正しいかもしれません。
 そして気持ちのすべてを吐き出した後は、そのままでは終わらず、おいしいものを食べたり音楽を聴いたりと、自分が喜ぶことをしてあげるようにしました。それを繰り返すことで、長い時間の末にようやく両親を心から受け入れ、深く思えるようになりました。
 嫌なことや辛いことがフラッシュバックしてきた場合には、痛みを感じる場所に近いチャクラの辺り(胸の辺りが一番多いかもしれません)に意識を向け、何度か深呼吸をしました。そして、その「痛みの塊」を優しい手が掴み取り、上半身から頭頂部に向けて引き上げ、第7チャクラを出口として、ふわっと外に放ってくれることをイメージしました。このイメージは、マダムがあの女性に対して行った処置の最後の部分から生まれたものです。クラウンチャクラを通り抜けて、その痛みが自分の体から目に見えない世界へと流れていく。その世界で、痛みや傷が治癒されることを願いました。


 あなたにも、今までの人生で味わってきたたくさんの痛みや、傷ついた経験があるかもしれません。その記憶が何度も何度も蘇るのであれば、体の中で重く結晶化している可能性があります。体全体の氣の流れを良くし、体内のすべてのチャクラを意識しながら呼吸を深くすることは、その硬い結晶を「溶かす」ことになります。溶かして、できれば体内に出してあげる。悟りや目覚めを急ぐ前に、自分が我慢してきた痛みを癒し、溶かしてあげることが必要な場合もあります。
 一人ひとりの自発的な真の癒し。みんながそのことに価値を見出せば、それがやがてはこの世界の大きな変化へと繋がる。バタフライエフェクト。あなたは一匹の蝶。でも、「あなた」自身の真の幸福こそが、あなたの人生にとっては何よりも大切なことなのです。



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