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「なぜ私はこのような傑作をみてすぐ胸のすく思いにならなかったのか?」コンプソンズ#12「岸辺のベストアルバム‼︎」の感想‼︎

午前十時ごろ。
歌舞伎町にいた。

僕はコンプソンズ#12「岸辺のベストアルバム‼︎」を見に行くため、下北沢に向かっていた。
埼玉県北部に住んでいるため、西武新宿線を降り、それから新宿駅に徒歩で向かうという、いつもの面倒な手段を踏みながら、着実に「コンプソンズを見る」という目的に近づいていた。

そもそも気持ちが浮ついていた。大好きなコンプソンズの新作だし、招待だし、しかもあの盛夏火の金内さんと一緒に見るという特大オプション付きだった。全国の高校生小劇場ファンが羨む垂涎の体験。

少し早歩きだった。というかスキップしていた。少し嘘をついた。が、気持ち的にはスキップよろしく小躍り気味だった。気味?小躍りしていた。

そんな気分の中、ある光景を目にした。
歌舞伎町タワー裏にある交番近くで事が起きていた。
女性が倒れている。
スカートはえらく短く、髪は真っ直ぐな金色だった。そして足をとにかくバタつかせて叫んでいた。
「ぎゃあああああああ」
獣のようだった。
それを女性警官が取り押さえていた。落ち着いて、と。

田舎育ちかつ、幼い僕は心配よりも物珍しさの方が勝ってしまい、立ち止まってしまった。

明らかに異様な光景だと思う。
成人女性(おそらく)がなんらかの発作、それは極めて外的な要因(酒、ドラッグなど)が疑われるもので絶叫しながら倒れている。

TikTokとかでもよく見る。
薬物中毒と思わしき女性が暴れている動画。そんなものは世にいくらでも溢れている。コメント欄では「自業自得」とか「ホス狂乙」とか酷いことが書き込まれている。

それ、が目の前に在る。
現象として、在る。

だが、そのような事実に対して通行人がとった行動は、素通りであった。
僕のように立ち止まるでもなく、スマホカメラを向けるのでもなく、ただ無視をして歩いていた。

僕は「撮影者」の存在がいないことに非常に驚いた。もっと言えば、野次馬の一人もいないことに困惑を覚えた。

いや分からない。東京に住んでいないので分からない。
このようなことは常態化しており、もう物珍しがるものでもないのかもしれない。
が、明らかにおかしなこのシュチュエーションに対し、無視を決め込み、足をその先へと進める人間に対して、嘘だ!!!と言いたくなった。

臭いものに蓋しすぎじゃないかと。明らかに。
みんな見たいはずだ。撮りたいはずだ。Twitter(現X)にあげたいはずだ。TikTokにあげて束の間の承認欲求を満たしたいんじゃないのか。
明らかに嘘が広がっていた。歌舞伎町に。
見上げれば知らないホストがでっかく、そして金額(あれなんの額面なんでしょう)が書いてある看板。
嘘だ。そんなわけない。この国はおしまいなのかと思った。

関心をよせないという偽善。彼女の物語に参加することを放棄する怠慢。

いや、撮らない方が絶対いいし、そんな人は軽蔑してしまうのだけれどもこの時ばかりは、その風景の嘘臭さにものすごく腹が立ってしまった。


新宿駅に着く。
そもそも下北沢に演劇を見に行くのが久しぶりだ。2022年初夏に本多劇場で「ドライブインカリフォルニア」を見た以来。丸一年以上行っていない。でも感覚的には行っていた。配信とかで。
そんなことを考えながら小田急のりばに向かう。普通に迷ったりした。

下北沢で降りる。結構変わっている。
なんか駅前劇場が入っているビルの壁面で鯉が泳いでいる。何それ。

珉亭で昼を済ませた。並んだ。行列があった。町中華ブームを体で感じることとなった。普通にうまかった。シモキタボーイになっている満足感を十分に得た。

北沢タウンホールに意外にも早くついてしまった。金内さんはまだ来てない。僕は意識するよりも先に「古書ビビビ」に入店した。蛭子さんの単行本や大橋裕之先生のサイン本とか、購入意欲をそそられる。

そして見つけてしまった。
1995年8月1日発売の「Quick Japan第三号」。
あのコーネリアス小山田圭吾いじめ騒動の元凶。呪物。炎上のメッカ。あの「村上清のいじめ紀行」が載っている代物だ。
1500円。いやらしくこの本だけシュリンクがついていた。
意識より先にレジに持っていった。

あの騒動は当時中2だった僕にとって非常に大きな出来事だった。コーネリアスが好きで、特にラーメンズを神と崇める自分にはあの体験は辛すぎた。ネットは当たり前で直近の人々も皆批判し、世界には自分の味方が誰一人いないのかと錯覚した。
明らかに文脈を無視した解釈、誤読。それが検証されずにことが進んでいく恐怖。そこにある物語が書き換えられていく。雑に落書れていく。
右翼も左翼もめちゃくちゃ嫌いになった。
このことについては話してくれと言われたらめちゃくちゃ話します。(ただし長くなります)

金内さんと合流する。イメージ通りの人だ!面白い。つーかめちゃくちゃ優しいですよね。生金内さんを見て分かったことは金内さんは田淵ひさこにめちゃくちゃ似てるということだ。

B1に着き、開場時間となる。僕は関係者受付に通される。興奮した。
金子さんと横にいた女性(誰だったんだろう。きちんと挨拶できず今でも後悔している)に今日はありがとうございますとか言って、いよいよB1の中に。中ではずっと椎名林檎がかかっていた。

金内さんと普通に雑談しながら開演を待つ。つーか僕の目線の対角線上に金子修介監督がいる。憧れの監督だ……緊張する。というか金内さん、ほんとなんの球でも返せるなとか思ってたら劇が始まった。

結論から言うとめちゃくちゃ面白かった。笑えて、猥雑で、激しく、怖い。ちょっと泣けたりもする。
少しの気の緩みで物語から振り落とされそうな語り口の速さ。皆さんの演劇、もとい世界に対する熱意や、プロット、ないしは物語が破綻寸前のところで踏みとどまり作品としてパッケージングされている。
破綻寸前の亀裂から「物語」がドクドクと脈を打ち、僕らを威嚇してるようさえ思えた。
僕が見たい演劇はこれだと思った。

とにかくセリフがすごい。

「僕たちの下りは本筋には関係ない」
「あんたは現代からタイムスリップして戦時中にやってきた女子高生で、俺が特攻兵か。そんで靖国神社でデート中か。」

攻撃的だった。前作より鋭くなっている。
そこに訪れる大団円。絵面として最高な人妻美少女戦士の登場により物語は収束を遂げる。
野田秀樹いじりもめちゃくちゃ面白かった。薬を飲んで何か違う世界にトリップするのは「頬ばるだけで、口いっぱいに子供の時間が広がる白い実」が作中に出てくる「小指の思い出」とか思い出した。
演者の皆さんもめちゃくちゃよかった。
大宮さんと星野さんをホストと姫にした時点で勝ちだ。最高。宝保さんの振り回されっぷりも気持ちよかった。序盤ずっと中座で動いていたため、膝が心配になった。端栞里さん演じるジャスティンめちゃんくちゃんにいい。歌がクソうまい。
結構尻が痛くなりながら終幕となった。
心からの拍手。面白かったし。

終演後、星野さんとか宝保さんとかに感謝を伝え(そして金子親子と写真を撮り)、金内さんとバーミヤンに行った。
すると金内さんが杉浦さんを呼んだ。
すごい。盛夏火チャンネルに出ている人だ。hocotenさんの彼氏だ。素顔をまじまじ見たことをなかったのでこんな人なんだと思う。

杉浦さんはこの作品の批判側の人だった。そして結構説得力のあることをいう。なるほどなと思う。そういう意見もあるのか、と。
金内さんは杉浦さんと真逆の立場だったため、議論が白熱する。面白い。二人とも古今東西の作品から引用に引用を重ね、自らの演劇観を用いこの作品を論じている。

この時僕はあまりこの議論に熱心に参加することにあまり興味が持てなかった。めちゃくちゃ失礼だけど。
なんでなんだろう。自分の感想がまとまってなかった(今もだが)のもあるし、完全にその時の自分が興奮状態で二人のように冷静にこの「岸辺のベストアルバム‼︎」という作品を俯瞰して語ることができなかったからだろう。

作品の感想にとどまらず、金内さん杉浦さんとそれなりに楽しい会話(僕だけ楽しんでいたらごめんなさい)をし、僕の都合で少しだけ金内さん杉浦さんを駅まで走らせ(ごめんなさい二度目)別れた。

僕のコンプソンズ観劇および下北沢探訪は幕を閉じた。

その後、金内さんに誘われて「岸辺のベストアルバム‼︎」の感想Twitter(現X)スペースに参加した。
その時もうまく喋れなかった。語れなかった。この作品に対して真摯な姿勢で語ることができなかった。したかったのに。


なんなんだろう。このモヤモヤは。
確かに面白かった。いっぱい笑ったし、興奮した。それまでは普段演劇を見た時とおんなじだ。
でも引っかかるものがある。安易な直喩を用いると小骨が喉につっかかっている感じとかか。
いやなんだこの感じ。言語できない。超絶面白かったがモヤっている。何これ。曲がりなりにも脚本家志望なのに恥ずかしい。
関係ないけどすぐ「筆舌に尽くしがたい」とか書くエッセイストいるよね!僕は嫌い!作家なんだからそれを書くのがお前の仕事だろって思うよ!!

このおぼつかない感情のまま眠れるわけもなく、そのままのテンションで夜通し山田太一の「岸辺のアルバム」をみた。1.5倍速で。素晴らしいドラマだった。みんな早口だったけど。見終わる頃には朝だった。エモい感じだったと思う。

で、ここからが本題だ。前置きが長かったのは許してください。僕の悪いところです。

なぜ僕は大傑作「岸辺のベストアルバム‼︎」を観て今に至るまでモヤモヤしてるのか?

答えを自分なりに出した。
それは、自分が演劇やってないからだ。

どういうことか。

あの日の僕にはさまざまな物語が降り注いでいたように思える。
なんらかの原因で取り乱し意識混濁した女性。1995年8月1日発売のQuick Japanから連なる、露悪と他人の醜悪さを搾取する鬼畜系カルチャー。そして下北のファミレスで繰り広げられる会話劇。そしてその間僕が考えていたこと。

全てがこの作品の要素として組み込まれていたと思う。つまり言ってしまえば、この「岸辺のベストアルバム‼︎」と言う作品は「僕」の話なのだ。割と本気でそう思ってる。

自分があの日、今作の舞台である歌舞伎町に行っていたとか、金内さんと会ったとか、Quick Japanのあの号を見つけたとかそう言うのはなんら関係のないことだ。でも僕はそれを接続したがる。そういうことをパッチワークして一つの物語として物語りたがる。なぜそれをするかというと、世の中が素敵に見えるからだ。人が人に殺され、差別され、嘲笑われているクソな世の中だから、現象と現象の緩やかなつながりを見つけそれを自分の中で「日々を暮らす中での微笑ましい奇跡」として処理することで、なんとか生きているのだと思う。でもそんなことを自分の内々でやっていたとしても世界は1mmも変わらない。けど自慰行為としてそれをやっている。

夏、秋、冬が名前に入る主婦たちが出会う。しかも彼女たちの子供の名前は同名である。その偶然に驚きなんらかの運命を感じる。作中三人はその運命に囚われる。
あの時、春、がいれば。
そのようなたらればで物語性を感じ、三人それぞれの息子が死んでしまう、そのような悲劇が訪れてもその話を持ち出してしまう。

だが物語は、主婦たちがその運命を否定する形で終わる。
「でも他人だから」
ある意味突き放すような言葉だ。

コンプソンズは言う。「現実を見ろ」と。
作中、天皇制についてことや子供を殺すなというプラカードが出てきて割とドキッとした。劇場で、安全圏で演劇を楽しんでる「僕」に向かって言ってきているようだった。

金子さんは突き放すだけではない。
「関係ないけどあなたを止める!」と言うセリフ。多分演劇見てきた中でも一番好きなセリフのうちに入ると思う。
そうなのだ。関係ないけど関係あるのだ。
この世界に憤りと深い絶望を持っているのにも関わらず、絶対にこの世界に対して諦めないと言う想い。演劇をもってして争うという姿勢。
コンプソンズもとい金子さんはこのポーズをこれまでも通底してきたが、今作でのこのセリフはこれまでにない以上とても直接的であった。
舞台と客席の境界が曖昧なB1でやったこともここまで深く刺さった要因の一つだと思う。

喰らった。
時差で喰らった。時差喰らい。

うだうだと上記のようなことを考えている僕は、そういうことを演劇でやってない!!!
ぎゃあああああ!!!
完全にコンプソンズに負けている!!だって超満員だった!!老若男女全員来てた!!賛否両論巻き起こるほどの話題性あるし!!!何もかも負けてんじゃん!!!ああああああああああ!!!!

「お前なにやってんの?」と言われたようだった。
お前なにもやってないじゃんって。
なんか思うとことあってもそれを作品としてステイトメントしてない「僕」に指差している。
そういう意味も含めて「僕」の話だった。
「僕」に物語が顔を向けていた。

そう、だから僕はモヤってるのだ。
このモヤは嫉妬だ。明らかな嫉妬。コンプソンズに対する嫉妬。
僕もこういうこと考えてるのにこの作品生み出せてない現状に対する絶望もある。

分かってる。明らかに力量とかそういうのに圧倒的すぎる差があるというのを。そういうこと思うこと自体めちゃ失礼&おこがましいことだということを。

でも思う。思うので演劇作ります!!!演劇やります今年中に。実はもう作り始めてます。ちゃんと小屋押さえて、とんでもない傑作を作って30代演劇人全員恐怖のどん底に陥れるようなもの作ります!!!でも演劇好きだけど本格的に作るの初めてだから色々助けてください!!お願いします!!!!!!

つまりこういうことが言いたかった。この「岸辺のベストアルバム‼︎」という作品は、僕がこの後きっと傑作になるであろう作品を作るぐらい最高で突き動かされる作品だったということです。

そしてそんな傑作を招待で見せていただいて本当にありがとうございました。
とにかくコンプソンズラブです。

長々とごめんなさい。前半いらないと思うけど消しません。
コンプソンズのみなさん今度絶対ご飯食べにいきましょう。
盛り上げます。

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