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母親に堕ろされた記憶がある話

私であって私でないもう一人なのか、或いは一人なのかはわからないが、視えるらしい人間に問うと軒並み「性別の違う魂が同居している」事を示唆されるので、おそらく神経上の問題含めて「私であって私ではないもう一人」の記憶が印象として、自分のDNAに刻印されてしまっているのかもしれない。(前の債務者曰く「白い大きな成人男性が重なってる」)(母親談「性別は判明してなかったけど男の子だったのはわかってる」)

なんの話かと言うと、私を出産される前に母親に堕胎されたもう一人の記憶を有している件についてで。

一度死者の世界に落とされて呼び戻されたのか、自我が堕ろされきらずに母親の子宮に残留して二人目のDNAに情報として伝播したのか
事実はいかなるものかわからないにせよ、場に”DNA言語を介した情報”が残る仕組みから考えて、あまり無理のある話ではない。

この事が私の心の中の世界を暗い灰色のビーチ、言うなれば臨死体験をした人々の見る「三途の川」に固定してしまっているのか、それともただ単に私の思考の一部がそういった輝度の低い世界を好んでいるのかはわからないが、「自家用車で暗い夜中に母親に棄て去られた」はっきりしている夢を赤子の頃何度も見た。
赤いテールランプが真っ暗な森の中走り去っていった。

その後、黒い海辺の崖の下で白い服のお爺さんに拾われ、キャンバスにクレヨンと油彩で絵を描かされ、「創造とはこういう事なんだよ」と教えられ、眼前に広がる大きな水平線を目の前に七日間を手伝わされた。ひたすらお爺さんに言われる通りにキャンバスに絵を描いていく。
…という、変な夢を、生まれて3年経つくらいまで何度か見て何度か夜泣きしながら起きている。

(こういう事があるからこそ、デス・ストランディングという作品は様々な人の語る臨死体験に基づいて精巧に作られたんだろうなと思う節がある。心象風景というか、もはやあのビーチの描写は見たものそっくりそのままだったから。製作陣はよくグラフィックに起こしたと思う。)

つまるところ、私は半分が「母親に命を還され、のちに蘇った死者」なのかもしれないなと。

だからこそ「生存を進める事」に関して反作用のように、子供の頃散々母親に自死に関する洗脳を受けていたせいもあるかもしれないが、あの世に呼ばれるような事案に遭遇しているのかもしれない。
一度あの世に囚われかけた事が、自然な形に押し戻そうとする力として「あの世に引っ張られるほどのネガティブな事案との定期的な遭遇」に私を縛り付けている。まるでかのゲームで言う「カイラル汚染」のように。
この世が波長で構成されている世界ならもしかしたら。

この答えもまた、物理法則にしかない。
疑問と好奇心が私を生に縛り付ける限り簡単にあの世に呑まれなどしないだろうが、大きな波に呑まれたら、次はきっと海辺で拾ってくれる老人になどまみえない事だろうと踏んでいる。

私もどうせ拾ってもらうならアメリが良かったんだけど…
神様っぽいおじいさんじゃなくて赤い服の女神にしてくれんか…


なんかスピってる話になってもうた。
もっと研究が進めば、科学的に説明が可能になりそうなとこまできてるのになあ。






水子が次の子に癒着して生まれたとして、母親への復讐のためだったかといえば、なんとなくそうではないと思っている。
次の子が水子を拾ったという方が解釈としてはしっくりくる。
「事情があって自分を棄てた事はわかっていたが、予想以上に母親として機能していない姿を見てがっかりした」あの夢を記憶として踏まえると、まあこういった感じだろうか。

堕ろした事については母親本人の心の傷になっているので、「堕ろされた記憶がある」という事実を本人に言った事は一度もない。


というわけで小島監督!
ビーチに行って、拾われて再び生まれている人間はいるので、ルーちゃんをちゃんと生かしてあげてくれ。
サムがそうだったように、BBにだって生まれる権利と自由がある筈だ。

私のようなクソザコにだって、この世に繋ぎ止める臍帯が与えられたのだから、監督頼むよ。あと出来ればあの可愛い指しゃぶりとぱっちりお目目がまた見たい…。

この可愛さをまじまじと目にしていると、クリフが怒りと共に延々と戦場を彷徨って自分の息子を探していた気持ちが理解出来る。

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