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【自由って、ありがたい】

昨日、お一人様カフェしてきた。

まだ二回目だけど、
待ってる人たちが三組いて椅子なくて、
しばらく立って待ったけど(普段まつのがイヤで空いてる店を選んでる)
それが全然、苦にならなくて美味しい物食べれる期待を持って待つことができた・・・他の人には当たり前かもしれないけど、私、苦にせず待てたの生まれて初めてだった。なんか嬉し。
そこで味わう幸福感。
毎日、色々な事があって、わが身の周りに原因を見つけては心が揺れ動いたりするけれど
私は、私が行きたい所に行けるし、美味しい物を食べようと思えば食べれるし自由に行動が出来る・・・
『ありがたい』
と思った。
昔、感動しながら観たテレビドラマ『おしん』とか『鳩子の海』
を思い出した。
『おしん』は貧しさから奉公に出されて苦労してたし
『鳩子の海』では戦時中の事が主に取り上げられていた
と、うっすらとした記憶が甦る。
どちらも生きていく上で抗えない事に翻弄されてる。
自由のない状態だ。
私が、高校の看護科に通っていた頃(うん十年前)
授業で教えてもらって
「えっ、そんなことがあったのか?」
と強く印象に残っている内容がある。
一つ目は、『精神疾患の授業』
昔、精神疾患を持っている人は家の中(蔵の様な場所)に閉じ込められ外部とは遮断される事が多かった・・・という話。
世間体を気にする家族が、そうしていたらしい。
時代背景とかが深く関係しているようだ(その一族の婚姻とか存続に影響を及ぼすとか)
二つ目は、『乳幼児死亡率』
について。
戦前は、出生率が今より多かったけれど、その分、乳幼児の死亡率も高かった・・・ということ。
母親学級とかがない時代。
『家族計画』とか、『未熟児をどう扱うか』とか『染色体異常の検査』とかが、まだ研究・浸透していなかった時代。
男女格差とか、都会と地方の違いが乳幼児死亡率の原因になりうる事も講義の中で教えてもらった。
私が、田舎に嫁いで来て、お姑さんに聞いたコソコソ話にも
乳幼児死亡率に関する話があった。
もう、五十年くらい前の農家だから、女性の忙しさは半端なかったと思う。

昼間は、お姑さんと会話する機会も多かった訳で、そうすると自然と?
っていうか田舎すぎると人と触れ合う機会が少ないせいか
他人の噂話をしてしまうのです。
その時聞いたのが
「○○ちゃん(私の事)、あに何処そこの
○○おばさん(近所の人)がおろ。あの人はな、○人目の子供ほしないのに出来てしもて、山仕事に行った時にジャンプしよったけど流れんかったんやと。」
というもの。
その話を聞いた時はビックリしたけど、なんかモヤモヤした。
話を聞いてしまった自分にもガッカリだし、
そんな話をしてしまう位なコミュニティに身を置く、お姑さんには何も言えないし
生活が大変で、自分の身体を顧みずジャンプしてしまう近所のおばさんの行動を思うと悲しくなった。
今は、医学も発達しているし
男女格差も大分なくなってきてる?

家族計画についての知識も浸透してる。
自分で自分の生き方を決めることが出来る。

「その自由を享受しないでどうするん?」
と自分に問いかけてみる。

この『自由』 

《先人たちの土台があってこそ》

ということを忘れないでいたい。

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