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真夏の宵の夢から醒めて

あの夜から想いが溢れてやまないので、初めてnoteに書いてみることにします。
2023年8月27日、椿屋四重奏20周年記念公演 真夏の宵の夢のライブに行ってきました。



自分の過去を多く語るのは野暮だと分かりきっていますが、まず私と椿屋四重奏の出会いから書かせてください。

平成一桁生まれの私は当時中学生で、洋楽邦楽ともにロックを好んで聴いていました。
その中でもプロローグで心を射抜かれて、少ないお小遣いからCDを買い集めるようになったのが椿屋四重奏でした。
高校に進学してからは同じようにロックが好きな友人と出逢い、お互いに様々なバンドのCDを貸しあって聴いていたのは良い思い出です。
やがて私より友人の方が椿屋四重奏に夢中になり、嬉しい反面少し複雑な気持ちになったのを憶えています。

当時の私は土日も含めてほぼ毎日練習がある部活に在籍しており、私の住んでいる県に椿屋四重奏がツアーに来たときも部活を休む事は選択肢になく、せいぜいライブに行く友人にタオルを買ってきてもらうのを頼むぐらいしかできませんでした。
思い返してみれば、部活が忙しくなかったとしても、少々過保護な両親の下で育った私はライブハウスに行きたいと口に出すのは躊躇っていたでしょう。



だから。
高校を卒業したら、自分でお金を稼げるようになったら、友人に買ってきてもらったタオルを首にかけて、これまでを取り返すようにライブに行くと固く決意をしていました。

しかし、私が高校を卒業する前に椿屋四重奏は解散していました。
ただただ、後悔しかありませんでした。



解散後もボーカルの中田裕二さんがソロで活動を続けているのは知っていました。
何曲か聴いて、好きな曲もありました。

でももうそれは椿屋四重奏の曲ではなかった。

椿屋四重奏の楽曲こそ、初期から後期にかけて変化はありました。それは好んで受け取っていたのに、何故か中田裕二名義の曲となるともうない椿屋四重奏の影を探して勝手に期待して、見つからなくて失望していました。
裕二さんの表現はどんどん素晴らしくなっていくのに、椿屋四重奏から遠くなっていく裕二さんが悲しくていつの間にか聴かなくなっていきました。


時は経ち、社会人になってすぐに私は結婚と出産をしました。
高校生の頃に思い描いていた、自分でお金を稼げるようになったら音楽や美術、趣味に全てを捧げるという未来とは全く逆の生活を送っていました。
仕事に家事、慣れない育児、さらには身近な家族の突然の死。
私はいつの間にか趣味に没頭することができなくなって、心にぽっかりと穴があいたまま生き続けていました。
今年に入って、ようやく子育てにある程度の心配がなくなって、もっと自分の為に生きてみようと思った矢先の事でした。

ふとTwitterを眺めていたときに、椿屋四重奏がもう一度公演をするという情報が飛び込んできました。

今しかないと思い、縋る思いで抽選に応募しました。
解散してからも裕二さんの事をずっと応援し続けていたファンの方の気持ちを考えたら躊躇もしました。
でも止められませんでした。

椿屋四重奏のライブをどうしてもこの目で見たい。
チケットが奇跡的に手に入ってからは、ライブに備えてアルバムを聴き直したい気持ちと、あまりに音源と違っていたらかなしいから聴きたくない気持ちで毎日葛藤していました。
臆病な私は、中田裕二名義で過去に椿屋四重奏の曲を歌っているのもあえて聴きませんでした。


そして迎えた当日。
一曲目のイントロを聴いた瞬間、全ては杞憂だったことを思い知らされるのでした。
ファンが何を待ってたのかをこの人は分かっている。

原曲のキー、アレンジで、歌声は12年前とはすこし違うけど、ずっと格好良くなっていて。
演奏も全員がオリジナルメンバーではないけれど、限りなく椿屋四重奏を再現しつつ、より音に深みがあるのが素人でも分かりました。

公演中ずっと涙が溢れて止まりませんでした。

会場の鳴り止まない拍手と歓声を聞きながら、この会場には観客からの椿屋四重奏への愛が溢れている事を噛み締めていました。


曲の合間に、裕二さんが好きなら当時にもっと好きって言ってよと言っていました。
高校生だった私はあまりに無知で無力だったし、椿屋四重奏は自分と一部の人だけが知ってる特別な秘密にしておきたかった。
自分が先に好きになったのに、後から好きになった友人はライブに行けて私は行けないまま解散してしまったのが悔しいと、ずっとへそを曲げていた。


大人になった今ならわかる。
好きなら好きだとはっきり伝えないと相手には伝わらない。
何事も続けていくには応援してくれる人が必要で、アーティストは特にそうだということ。
ましてや音楽は気軽に手軽に聴けるようになったけど、その代わりにCDは売れなくなり流行り廃れは目まぐるしい。


今回私が12年の時を越えて椿屋四重奏のライブに行くことが出来たのは奇跡でした。

中田裕二さんと小寺良太さんがこれまで音楽を続けていてくれたこと、関口マネージャーやスタッフさんがその活動を応援し続けてくれたこと、もう音楽活動をしていないメンバーとも今も仲が良いこと、椿屋四重奏と中田裕二の音楽をずっと愛し応援し続けたファンがいること、その他全てのおかげで成り立ったことでした。
世の中にはどれほど過去の私と同じような思いをして、叶わないままの人達がいることか。

今回の公演で、へそを曲げていた高校生の私の亡霊はいなくなって、素直な気持ちで中田裕二名義の曲を聴き始めた三十代の私がいます。
公演の前と曲の印象が全く違って、今の私に響く楽曲ばかりでした。一通り聴き終えたら、中田裕二のソロのライブに行こうと思います。

傲慢な考えではありますが、過去の私のような人を救うピースの一つになれますように、ささやかながら応援し続けていこうと思います。


最後に、もっと言っていいよと言われたので。

私は、椿屋四重奏というバンドが大好きです。
中田裕二という歌手が大好きです。

#初投稿 #椿屋四重奏 #椿屋四重奏二十周年

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