才能がある事より、楽しく生きる事を目指そう

『人類の歴史』って、
『人間を平等にしていく活動』
だと思うんだ。


大昔は奴隷がいて当たり前だったけど、

「それは悪い事だ!」

となり、奴隷は無くなったよね。


近年だと、

「男女で差別があるのは良くない」

という事で、

「平等を目指しましょう」

となってるよね。



『平等』を目指す事は、
もちろん素晴らしい事だよ。

でも、その一方で、人間って本来は
不平等なんだよね

たとえば、僕らが幼稚園に
通っていた頃を思い出してみて。


5歳の時でも、才能って人によって
明らかに違ったじゃない。


絵を描くのが上手い子。
力が強い子。
計算が速い子。
上手にしゃべれる子。
足が速い子。


こういうのって、『努力』じゃなくて、
生まれついての『才能』だよね。


世間では、「努力すれば夢は叶う!」って言われるけど、実際は、
才能が無い分野で努力しても、うまくいく可能性は低いんじゃないかな?


でも僕は思うんだ、才能がある事よりも、
はるかに大事なのは、

『楽しく生きる事』

じゃないかって。



よく考えると、才能があっても
不幸な人って多いよね


わかりやすい、

『才能はすごかったけど、不幸だった人』

を、1人挙げるね。


それは、天才画家のゴッホだと思うんだ。

以下に、彼の『すごさ』と、
『不幸さ』をまとめてみたよ。


ゴッホ (1853年~1890年 : 享年37歳)

誰もが知ってる天才画家。

代表作の『ひまわり』は、53億円(※1)で
落札されるという、とんでもない価値を
生んだ。


それだけすごい天才ではあるのだけれど、
伝記を読む限り、

「生きている事が、ツラかったんだろうな……」

と、感じざるを得なかったんだ。


その、「ツラそうだな」と感じた理由は、
生涯にわたって人間関係が
うまくいかなかったから。


ゴッホは幼い頃からキレやすい性格で、
すぐ暴れてしまう人だったらしい。


親とも友人とも人間関係が作れなかったと
言われている。


画家になる前は、本屋の店員、学校の職員、
伝道師などの仕事をしたが、いずれも
人間関係がうまくいかずクビに
なってしまう。


その中でも、一番強烈なエピソードは、
『耳、切り取り事件』だと思う。


ゴッホは、ある日、自画像を描いていた。
その時、友人の画家に、『耳の描き方』を
アドバイスされたらしいんだ。

で、それにキレて、ゴッホは自らの耳を
カミソリで切り落としてしまう。

このキテレツ過ぎる行動は、まだ続くんだ。


切り取った耳はどうしたかというと、
小さい箱にしまったんだって。

で、『耳の入った箱』を、知り合いの女性の
ところに夜11時に訪問し、

「これを大事に取っておいてくれ」

と言って手渡したらしい。


その間、ゴッホは血だらけで、町をウロウロ
していたそうで、その姿を見てギョッとした
近隣住民に通報され、警察に捕まり、
精神病院に入院させられてしまう。


そのあと、しばらくすると、容態も安定して
いたらしいんだけど、ある日、突然、
拳銃自殺をして、37才という
短い生涯を終えた。


どう? 

たとえ天才であっても、
こんな人生、イヤじゃない?


現代でも、才能ある

『有名人(アーティスト・スポーツ選手・芸能人)』

でも、麻薬に走ったり、息子が犯罪者に
なったり、自殺したりとかニュースに
なる事あるよね。

だから、僕らは才能がある人生を目指す
必要は無いと思うんだ。


やはり目指すべきは、『楽しく生きる事』だと
思う。


で、楽しく生きる方法って、
次のとおり2つあると思うんだ


①「生きる意味は存在しない」という事を知る。

そのうえで、

「朝日がきれいだなぁ」

「ご飯がおいしいなぁ」

とか、小さい事に感謝して毎日のんびり生きる。


②自分にとって、『適切な難易度』の目標を作る。

そして、それを乗り越える事を楽しみにする。



どちらが良いというわけではなくて、

「自分にはどっちが合うか?」

という感覚だけで決めて良いと思うんだ。



もちろん、①と②を、自分にとってちょうど
良い割合でミックスさせるのも
良いやり方だと思うよ。

(※1 1987年。当時の為替換算)

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