見出し画像

思考の排水

TRPに行ってきた。

僕もマイノリティの一員として、”仲間”と出会えるこの時間はとても居心地が良いものだったけれど、一方でトークショーを見たり東京プライベートケアクリニックのブースの壁一面に並べられていた半裸の男たちの多様性への考えが展示されているものを見たりして、なんだか違和感が浮かんできた。この人たちが声高に喋っていることって一体何なんだろう。なんでそんなに結婚したいんだろうか。なんか多様性を自分の分かる範囲でしか扱えていない、”なんちゃって多様性”になっているような気がする。本当にこの社会を生きやすくしたいなら、やるべきことはTRPを身内ネタで盛り上がるんじゃなくて、「教育」の扉を叩いて、僕たちの背中を見て育つ子どもたちにせめてジェンダーの壁を越えて、ゲイもレズも関係ない社会の実現を教えることが本来の意味での多様性に繋がることだと思ってる。というのも考えなくても問題ない政治や企業にLGBTの当事者意識を持たせるのは、少なくとも僕らの世代のうちでは相当難しいだろうから。そもそも僕らはどう藻掻いていようが本質的には何者でもない。でも、この社会で不遇を強いられている世界に、僕らはちゃんと居て、多様な存在と共に生きている。多様性とは言いつつ、人は思っているほどそんなに住む世界が”””違う生き物”””じゃないからこそ、TRPみたいなイベントが”変わるまで諦めない”と掲げているわけだと思ってる。でも、果たしてTRPに参加した”仲間”たちの中でどれだけの人が自分からアクションを起こそうと思っただろうか。僕にはただの酒が飲める会場くらいの認識しかない。本当に社会を変えたいなら身内だけで酒盛りしたって仕方ないだろう。自分はLGBTとして社会から認められたいなら、僕たちも”多様性”なんて言葉で簡単に終わらせるんじゃなくて、、、認めて欲しい他者の人生も認めて自分から歩み寄っていかないと、社会から孤立してしまいそうな危うさがあると思う。誰か僕に分かるようにLGBTQと社会の未来がどうあるべきなのかを教えてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?