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無題

 面接ダメだったかもしれない
お願いもしてないのにフィードバックを、
自分の弱みを見せすぎ、論理的思考力のエピソードで論理が飛躍してると的確に指摘され20分も話し続けた。正直落ち込む。汗はダラダラで頬は真っ赤。終わってしばらくの間は保冷剤で冷やし続けないと、どうにかなってしまいそうだった。
 その日の夜は月がとても綺麗だった。いつものと違って、大きくて、光が強くて、金色に輝いていて。わたしもみんなと一緒にあの光のもとへ向かいたいのに、そうできない。落とされてしまう。頑張っても頑張ってもちゃんと言わなきゃいけない本番でいつも緊張して喋れなくなってしまう。演奏会だってそうだ、何度も練習して練習して弾けるようになったのに、結局本番で上手く出来ずに後ろ髪引かれる思いで自分のできていないところばかり見えてしまう。家族との関係さえも冷え切っている私なんかに、適職と思っていたエンジニアの職さえ適性検査で落とされ、もう自分の居場所なんてこの世界のどこにもないんじゃないかっていうくらいにはもう涙が溢れそうになる。それでも今日の夜ご飯のことで何を食べようか考えている自分がいる、精肉屋のショーケースを目の前にして涎をだす自分もいる。このまま私が就職できたとしても、やっていける自信がない。というかいつも自分に対しての自信がない。泣きたい。もう頑張りたくもない。そんな自分でも風や草木、夜の匂い、夜の空、月明かりはみんなこんな自分を肯定してくれているような気がする。分かってはいるけど、お互いにただそこに在るだけ。どうしたらいいのか。悩みがつきない。答えのないところを考えるのはめんどくさいけれどやらなきゃいけないのも分かってるけど動けない。考えるのも嫌になってきた。カゴを持つ手も痺れてきた。はぁ。自分が生きてるのか死んでるのかもわからない。

心のおじさんが僕を乗っ取る
必死になって頑張ろうとする自分が消える

結局1000円以内で収めようと思っていた夜ご飯は気づいたら1100円のお会計。

いつも自転車の置き場所を忘れてしまう。

ジャレあいながら歩く若い男たちを背に
家路に着く自分。

振り返ってもあの月はなかった

この社会からみれば自分は
無駄の塊

あるいは 無駄こそが人間の本質なのだろうか

街灯のない農道を自転車のライトを頼りに漕いでいく

きゅうくつな帽子をとってみる

月は確かにそこに存在していた


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