悠長

明日は来ると思う。
むしろ来ないと思う方が不自然だ。

例えば突如として全てを飲み込む大洪水が起きたり、頭上で核爆弾が炸裂したり…そういった類のことは恐らく起こらない。ましてやノストラダムスの大予言が四半世紀の大遅刻でいきなり的中したりなどしないから大丈夫だ。明日も新しい24時間を受け取れる。まずそう思っていいはずだ。そうだろう?

そんな盤石な明日の明日だって同じくらいの盤石さでやってくる。

そうでないとおかしくはないだろうか。別段明日になったからといって、大洪水が起こる確率が上がったりはしないのだから。今日と同じことだ。今日の自分が明日を信じている以上、明日だって明日を信じざるを得ない。明日の明日の明日だって、その次だって、そのまた次だって、全て同じ理屈で担保される。

だとするならば——
無限に時間があると錯覚してしまうのは致し方無いことだとは思わないか。



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