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20240518 沖縄へ⑳

今日はどうしても行きたい所がある
アメリカだ
沖縄に来て俺はまだアメリカを見ていない

そんなわけで午後からバスでお出かけ

どうせ夜は呑むやろし、スクーターで遠出して
また道端で壊れたら、かなーんからね


コザ行きのバスは 開南バス停から31番
那覇から沖縄市コザまでは一時間弱で着く

嘉手納基地の出口、ゲート2から
ゴヤ十字路までの道

コザ・ゲート通り

独特の雰囲気があり
昼と夜ではまるで顔が変わる


とりわけ土曜日の夜だ

週末の夜は、基地から羽根を伸ばしに出て来る
米兵たちで大いに賑わう


那覇で出逢った『まちぐゎーの妖精』
ゆうちゃんは言っていた
『週末のコザは別次元の外国ですよ』と

バーの女の子は
『絶対に近付きたくない』
と言っていたし

別の女の子は
『土曜日のコザはタダで朝まで呑めて最高』
と言っていた

1ドル札がべったり貼られたPRINCE
元はAサインバーだった

天井や壁に貼られた1ドル札

戦地へ向かう兵隊が帰還を願って自分の名前をサインして残していったものだ

古くはベトナム戦争時代のものもある

ベトナム戦争当時はこのお店のみならず
周囲のお店でも毎日のように米兵による
乱闘騒ぎが起こったという

泥沼のベトナムへ向かう米兵たちは
死地へ向かう恐怖をごまかすために

連日連夜
コザの夜の街で憂さを晴らした

毎晩毎晩
家が建つ程のドル紙幣が飛び交い

バーや酒場では
売り上げ金を数えるヒマも無い程だった

『Aサイン』は米軍による衛生・施設面での厳しい検査をパスしたバー・キャバレー・クラブ・飲食店等に掲げられた許可証

米軍はAサインが掲げられた店のみに
米軍人や軍属の立入りを認めた

基準に違反した店舗に対しては『オフリミッツ』(軍人・軍属の立入禁止措置)を科した

だがオフリミッツは必ずしも違反した店舗のみに適用されるのではなく、政治的な思惑で半ば恣意的に乱発されることもあった

米政府による狡猾な政治の道具であったのだ


戦後、アメリカに占領された沖縄はまさに無法地帯だった。週末ごとに街にくり出し、近隣の民家に押し入り、強姦を繰り返すような米兵もごまんといた。敗戦国の占領下の沖縄の住民たちはまともな法律で守られていないような有り様だったのだ。

そうした状況下で度重なる沖縄の住民からの陳情を受け米軍が提案したのが『特飲街の設置』だ。要するに『強姦されるのが嫌ならば風俗街を作ればどうだ?』という案である

そうして『八重島特飲街』が生まれた

表向きは飲食店やカフェーや喫茶店だが
中身は売買春を行う店だ
もちろん実際に公娼街が開かれた訳ではない
あくまで『黙認』である

八重島という街はこうして
『性の防波堤』として造られた

だがその後、性病の蔓延等を理由に米軍は『Aサイン』制度を導入し、軍の認可を受けた店にしか米兵を入店させないというルールを敷く

逆に軍の意向に沿わない店に対しては
『オフリミッツ』が発動された

これは、夜の店を生業にする者たちにとってはさしずめ『人為的なコロナ禍』のようなものだったろうと推測される

Aサインを取得出来なかった八重島の特飲街や、Aサインの取消し、オフリミッツを受けた店には閑古鳥が鳴き、一気に彼らの生活は困窮したからだ

八重島は日本人客向けへの転換を図ったりもしたようだが客入りは芳しくなかったようだ

米軍を相手に商売をして生きねばならない飲食店やホテルの関係者たちはAサインの発行や取り消しによって米軍に生殺与奪を握られる

更には『Aサインの傘の下で生きねばならない人々』と『基地撤去を求める沖縄住民』の間にも実際の利害関係が生じてその結果、対立や軋轢が生まれた

ここらを狡猾にコントロールしながら米軍は沖縄を統治したというのが実際の所だろう

なるほど『こちらに矛を向けさせないために下の者同士を争わせて対立関係を作る』というのは古今東西の為政者の常套手段である

ゲート通り沿いの
戦後文化資料展示館 ヒストリート


収容所
B円
コザ暴動
毒ガス移送
黄ナンバー
730
19720515



本土の学校の社会の授業じゃ
教えてくれなかった事だらけだ

何時間も展示を観ていた


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