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20240303内田修ジャズコレクションセミナーへ②

前回の続き。
ジャズセミナーに行った話の後編です。



セミナーの最後の方で。

古い映像を見せてもらえました。
内田医師が役所にコレクションを寄贈する際に撮影された映像で。

市役所の会議室みたいなところで、懇意にしているジャズミュージシャン達と一緒に内田医師が市長とか役所の面々と向かい合って座ってるんですが。

まあ寄贈して頂きましてありがとうございますみたいな式典チックな事をやってはる映像なんですが。


岡崎市役所と。
ジャズミュージシャン達の対比が。

(暴力団の一次団体に恐喝されてる信用金庫の上層部が会議室で穏便に示談交渉してるみたいで)実に面白かったです。

市長が挨拶のスピーチみたいな原稿読んでるのにみんな無視して談笑してるし。

勝新そっくりのサックス奏者の宮沢昭さんに至っては、余裕で煙草に火を付けてました。

その歌舞伎な振る舞いがまず格好いいし、管楽器奏者が御法度のタバコを吸ってるのも格好いいしで。

二十代のロックバンドとかちゃいますからね。
四十五十の大人の男がやってますから。
純粋に役所とか権力が嫌いなんでしょうね。

ジャズやけど。
ロックやなあパンクやなあと思いました。
ジャズやけど。


ところで、ちょうどタイムリーな映画が現在、全国の映画館でかかっております。


カナダ出身の天才ピアニスト。
鍵盤の皇帝、オスカー・ピーターソン。
グラミー賞を受賞する事8回。


チャーミングな巨漢で、イラストでよく観るような黒人のジャズミュージシャンそのままの容姿で、そこもバチッと絵になります。

あるいはそういったイラストの何枚かは、実際に彼をモデルにして描かれているのかもしれません。

すごいよなあ、そらこの人が来たらびびるわ。
佐藤さんのエピソードって、イマジン歌ってたらジョンレノンが来たみたいな話やもんな。そら、ははーっ!て平伏してすぐに席を譲るしかないわな、、。


ここ岡崎では毎年秋に『ジャズストリート』というイベントをやってます。

ドクター・ジャズの言葉。
『ジャズは生(ライブ)だよ』
この言葉は真実です。

レコードだけCDだけってのは、例えるとコンビニで売ってる有名店のカップ麺だけ食べてそのラーメン屋の全てを語るようなもんで。

そもそも本質が違うというか。

他のジャンルと違ってジャズは
音盤にする事を目的としていない。
音盤は名刺でしかないなと思います。

それぞれのバンドのそれぞれの曲の中に、それぞれのソロパートがあり、それがライブごとに繰り返され、ひとつとして同じ演奏は無い。
起こり得ない。

捕まえようとしても定義の中に押し込めようとしても、常に人間の掌から逃れ続ける生き物がジャズなのかもしれません。


日本ジャズ界の至宝、THE BLEND


毎年のジャズストリートでも一番人気のバンドです。バンドマスターでベースのチンさんこと鈴木良雄さんは伝説の早稲田大学モダンジャズ研究会(通称ダンモ)の出身で、タモリさんの先輩です。

チンさん曰く『岡崎の人達は、ジャズをよく御存知で。日本中で演るけど、岡崎で演る時は我々も緊張する』との事で。

実際、僕もこの街でジャズの作法のようなものを学んだ覚えがあります。

例えばこの街の人々は、曲の途中であってもパートごとのアドリブの終わりに、ソロを取ったプレイヤーに対して拍手を贈ります。

ごくごく普通の市民の方が自然にそうする。
やはりここはジャズの街なんだなと思います。


曲の間のMCで。

『そう言えばあの時はお金なくて。内田先生の病院で盲腸の手術してもらってベッドで寝てたよなぁ、、』と、サックスの峰さんと昔話を始めたチンさん。


チンさん、やっぱりあんたもか。

と思って笑えました。


夕闇の能楽堂で。
焚き火を観ながら聴くジャズは最高です。
ウッドベースの低温の響き。
サックスの伸びやかな調べ。

毎年の秋のお楽しみなのです。

以上、ジャズの街からお伝えしました。





最後に食れぽ。晩飯は。
どさん娘ラーメンの味噌チャーシューでした。


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