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彦坐王の血統③網野神社と竹野神社/斎宮神社(丹後半島)

 この記事では、丹後半島で彦坐王(日子坐王)を祀る代表的な神社を2つ紹介します。

丹後半島にある神社

<網野神社> 京丹後市 網野町


御祭神
日子坐王・水江日子坐王(みずのえひこいますのみこ)
◯住吉大神(すみよしおおかみ)
◯水江浦嶋子神(みずのえのうらしまこのかみ)


 「日子坐王」を祀る神社の一つです。
 ちなみに浦島太郎のモデルである「浦嶋子」も祀られていますね。

 日子坐王は第九代開化天皇(かいかてんのう)の皇子とされており『古事記』において、第十代崇神天皇〔すじんてんのう(日子坐王の兄)〕の御代に日子坐王は丹波の国(古くは丹後も含まれていました)に派遣されて土蜘蛛の首領「玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)」を誅(ちゅう)したとあり、また別の記録にはその後、日子坐王は丹波に留まり、國造りをしたとあります。

 さらに日子坐王は網野神社の他、丹後町の竹野神社(たかのじんじゃ)などに祀られ、網野銚子山古墳の主ではないか?とも伝えられています。

 ⇒【日子坐王は「玖賀耳之御笠」を討伐した後、丹波に留まり、國造りをなされた。】という伝承が残っていました。



<竹野神社/斎宮神社> 京丹後市 丹後町

【竹野神社:丹後三宮(さんのみや)】
御祭神:天照大神(あまてらすおおみかみ)

【斎宮神社(いつきのみや)】
  ※竹野神社の摂社

御祭神
・竹野姫命(たのひめのみこと)
  ※「たの」ではない
・日子坐王(ひこいますおう) :開化天皇の皇子
・建豊波豆羅和気命
 (たけとよはづらわけのみこと)
 :開化天皇の皇子。日子坐王とは異母兄弟

「竹野姫」は、丹波大県主「由碁理(ゆごり)」の娘で、第9代天皇の開化天皇の妃となったお方です。「竹野媛」が晩年、丹波に帰郷し「天照皇大神」を祀って創建したといわれる。

神社の裏には、神明山古墳があります。


斎宮神社に祀られている御三方の関係図を以下に示します。

 建豊波豆羅和気命は日本書紀にも記載がなく、ほとんど伝承がないため、何故、この丹後半島に祀られているのか?はわかりません。


そして『「竹野姫」は「丹波」出身の人物で、晩年帰郷した。そこでは、義理の息子である「彦坐王(日子坐王)」が国造りに励んでいた。そのため一緒に祀られた。』ということになる。

 以前の記事にも書きましたが【丹波地方】で活躍する「彦坐王(日子坐王)」は「丹波の竹野姫」の義理の息子でなく、実の息子であったとするほうが、よほどスッキリするのですが•••。


<余談ですが・・。大依羅神社(大阪)>

 完全に余談なのですが、大阪にも開化天皇(9代)の第四皇子である
「建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ)」を祀る神社が存在します。しかも主祭神として祀られています。

場所は; 大阪市住吉区庭井2丁目

境内に『末社 天照大御神・豊宇氣毘賣大神』があります。

『大依羅』と書いて、「おおよさみ」と読みます。

大依羅神社より

「よさ」という文字で思い浮かぶのは丹後半島です。
 丹後半島の「天橋立」近くには、地名で「与謝郡与謝野町」(よさぐん よさのちょう)などの地名に「よさ」が残っています。

 有名な「籠神社」の奥宮である「眞名井神社」はかつて匏宮(よさのみや)吉佐宮・与謝宮(よさのみや)と呼ばれていました。

眞名井神社(丹後半島)より


 大依羅神社は 神功皇后が三韓制覇の前に、この地の支配氏族の依羅吾彦垂水(よさ あびこ たるみ)を初代神主に任命して創建されたという伝承があります。この神社の近くに「あびこ観音」という有名なお寺が有り、この「吾彦」が名前の由来となっています。

 
 「建豊波豆羅和気王(たけとよはずらわけのきみ)」も気になりますが、ここまでとします。

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