日本の建国の時期は?【8】鉄器の分布から
『日本はいつ頃、建国されたのでしょうか?』
『いつ頃に建国されたのか?』という<時期>について理解を深めてきたく、いろいろな角度で考察をしていきます。
【鉄器の分布】
弥生時代の日本では鉄鉱石を製錬して鉄を作る技術がなく、製鉄はまだ行われていなかったと思われています。ただし、鉄器の加工は遺跡も見つかっており、当時の日本で行われたいました。そして日本で加工する鉄器の素材の多くは朝鮮半島南部から運ばれてきたものと考えられています。
日本の鉄加工は北九州地域で始まり、そこを中心に発展していきました。
弥生時代後期でも北九州地域の遺跡からは多くの鉄器が出土しており、北九州地域が弥生時代を通して鉄資源の入手ルートを安定的に保有していたものと考えられます。
熊本県でも北九州地域には及ばないが、鉄器が多く出土しています。その熊本県では西弥護免遺跡などで大きな鉄器工房跡が見つかっています。
もう一つ、山陰地方も北九州地域には及ばないが、鉄器が多く出土している。平田遺跡(島根県)などの鉄器工房跡が見つかっており、また、妻木晩田遺跡(鳥取県)では200点近くの鉄器が出土している。他にも大風呂南墳墓(丹後半島)では多くの鉄剣や鉄鏃が1箇所から出土している。
その一方で、瀬戸内地方や大和地方の鉄器の出土は弥生時代を通して少ない。
<ここからの学び>
弥生時代の「鉄器の分布」を見ると、大陸や朝鮮半島からの物資である「鉄素材」を入手しやすい北九州地域が他の地域に比べ、先進的な技術を有していたことが伺えます。
弥生時代の北九州では武器だけでなく、農耕具にも鉄器を豊富に有しており、農地開拓や農耕作業も 効果的に行えていたものと推察します。
3世紀中頃までは、北九州が 日本で一番技術が進んでいた先進地域でした。
4世紀はじめ頃から 鉄器は 大和地方が中心となっていきます。
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