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孝霊天皇の鳥取遠征② 菅福神社

この記事では、孝霊天皇の皇后・細姫命(さいひめ)が、姫君を出産したという伝承がある「菅福神社(すげふくじんじゃ)」について紹介します。



線路沿いの国道から ここに入る。ここから入ると駐車場が完備されている。


鳥居

 ※元「皇宮神社」という看板が鳥居の脇にありますね。

 創立年代不詳、孝霊天皇とその一族を主祭神とし、『高宮(皇宮)大明神』と呼ばれていたが、大正9(1919)年、周辺小社八社を合祀し、『菅福神社』と改称された。

 むかし第7代孝霊天皇が「牛鬼」退治のため、当地を通られたとき、懐妊中の皇后・細姫命(くわしひめのみこと)が産気づかれ、福姫命という姫御子をお産みになったという伝説と縁の場所が残されている。

 天皇はこの地を気に入られて行宮を造らせられ、皇女を養育された。その行宮が今の高宮の社(菅福神社)であり、またこの地が仮の都であったこと から都の郷(都郷、のち都合)と言うようになったと伝えられる。


「伯耆国」鬼伝承神社巡り(六社巡りへの誘い) に入っています。


<ネットの情報より>

 この神社については以下のサイトに詳しく記載されていました。敬意を持って、一部抜粋&追記させていただきます。
< https://古代出雲への道.jp/category14/entry71.html >
詳しくは、こちらのサイトを御覧ください。

『鳥取県神社誌』(昭和10年  鳥取県神職会 編)
当社の社伝記に、
『母来国(伯耆国)の日野郡菅ノ郷に鎮座する「高宮大明神」(現在の菅福神社、江戸時代は皇宮大明神)は人皇七代の帝「孝霊天皇」御舊跡の御社なり、此大御代に皇尊に背き国民を悩す者あり『牛鬼』といふ。 
 帝親征皇后「細姫命」も共にし給ふ。そして、産月に成りて此郷に到り給ふ。時に河の辺りに「大きな石」が有って、是を「高御座」となし、小菅を苅り蔦と成し「御鏡」を石の上に置き給ひ、姫御子御降誕「福姫命」といふ。
 時に河音が騒がしく、天皇は、その御鏡を河に沈めて河伯(川の神・河童?)に祈り給ふ、忽ち河音止まりぬ。
 其所を名付けて「音無川」と云ひ、其地を産盥(うぶたらい)と云ふ。更に宮所を求め給ひ行宮を造らし給ふ、今の高宮社の地是なり。
 鏡を置かせ給へる所を『鏡岩大明神』と齋ひ奉り、菅を苅らせ給ひし所を「菅の里」といふ。』とある。


<この記事のまとめ>
「孝霊天皇(7代)」皇后「細姫命」がここで産気づいて、姫君「福姫命」を産んだ』という伝承がありました。

 先の「高杉神社」では「細姫」がやって来たのに、現地妻が既に二人いて、嫉妬に狂ったことが書かれていました。


 身重の「細姫」が「孝霊天皇」に会いに「高杉神社」に訪れたら、現地妻がいた。傷心の「細姫」は、そのままこの地で姫君を出産した。という物語が想像できました。

 もしくは「細姫」がこの地で出産している間に、孝霊天皇は「高杉神社」で宮を構えて、現地妻を作っていた。 ということでしょうか。

  いろいろな物語が思い浮かびます。


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