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「海部氏系図」で気になったこと

籠神社に伝わる「海部氏系図」には、『籠名神社祝部氏係図』(本系図)と『籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記』(勘注系図)の2つある。

 複写ではあるがその一部なら「京都府立丹後郷土資料館(ふるさとミュージアム丹後)」にて、ゆっくりと見ることができます。そこで撮影したものを以下に掲載します。


「本系図」

「本系図」

 「本系図」では意図的なのか、「始祖(初代)」の彦火明命に続く、 2代目の「天香語山」と3代目の「天村雲」が省略されて、「4代目」の「倭宿祢」に繋がります。そして、何代も飛んで、「建振熊宿祢」が記載されています。

 なぜ、「天香語山」「天村雲」が省略されているのでしょうか。


「勘注系図」

「勘注系図」

 「勘注系図」では「倭宿祢」が何人か登場します。これを見ると「倭宿祢」は「役職名」や「官位」の類のように見えます。

 そして、「倭宿祢」「建位起命」の関係が、複数のパターンで記載されています。「建位起命」も「役職名」や「官位」の類なのか、混乱が出てしまっているのか、ここだけをみると、読み解くのが難しいです。


  その他気になるポイントをいくつか紹介します。

『気になるポイント』①
 天照皇大神宮の祭神が「天照大神荒魂」と「瀬織津姫命」となっています。日本書紀や古事記には登場しないのですが、神道の「大祓詞」に登場する祓戸大神の一柱です。「ホツマツタヱ(秀真伝)」では、男神「天照大神」の后神とされる神様です。
「元伊勢」とも言われる神社の伝承に、その「瀬織津姫」が出てきています。凄く気になりますね。

『気になるポイント』②
「武諸隅命」の子に「物部 多遅麻 連公」が出てきます。
 そして、「物部 多遅麻 連公」の子が「建振熊宿祢」になっています。
 「海部氏」の系図のはずなのに「物部氏」が登場します!!
 何らかのつながりがあるのですかね。

 ※ちなみに「武諸隅命」は「先代旧事本紀」では「伊香色雄」の孫となっています。

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