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星田神社<饒速日の末裔・肩野物部氏の足跡をたどる>

神武東征より先に大和を治めていたとされる「饒速日」(ニギハヤヒ)について、引き続き調べていきます。
磐船神社(大阪府交野市)で、肩野(かたの)物部氏が神社の創建に深く関わりがあり、饒速日命の六世の孫で崇神朝における重臣であった伊香色雄命(いかがしこおのみこと)がキーパーソンであるということを知りました。

 そのため、大阪府交野市に他に足跡が残されていないか少し探してみました。いくつか足跡があるようで、その中から星田神社を紹介します。

星田神社はキレイに掃き清められてキレイで立派な神社です。

現在の御祭神は底筒男命、中筒男命、上筒男命、神功皇后の4柱です。大阪府の住吉大社に祀られている神様です。


<社伝によると>
 星田神社の創建は定かではありませんが、肩野物部(交野物部)氏がこのあたりに住み着いたとき、この地にあった1本の大杉に祖神である饒速日命を祀ったのが起源とされています。
 物部宗家が滅んだ後、饒速日命を公然と祀ることが憚られた時代に「交野大神」と名を変えて祀り続けらました。

 そして、現在でも、境内摂社である「交野社」(古宮)には、「天照国照天光櫛玉饒速日尊」(交野大神)が祀られています。

「おもかる石」もあります。

「天照国照天光櫛玉饒速日尊」を祀っていた「大杉」が枯れた後もその芯をご神体として大切に祀られているそうです。この「交野社」(古宮)にあると思われます。



場所:磐船神社から 北西側の住宅地の中にある


 神社の西側に駐車場はありますが、周囲の道路は凄く狭いのでご注意ください。

【まとめ】
大阪府交野市には、肩野物部氏が居て、祖神である「饒速日」を祀っていたが、「物部氏」の衰退とともに「饒速日」が神社では見られなくなっていくようです。


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