にがつななにちすいようびあめ

きょうは、がっこうに、ほんをかえしにいきました。

がっこうにいくまでに、あめがふっていました。

かえしたほんのうち、にさつはよむことができませんでした。

おひるごはんは、めだまやきでした。おいしかったです。

はるやすみはいっぱいあそぶよていです。

あしたもげんきにすごしたいです。



























最近読んだ本は芥川龍之介の「歯車」、高田明「相互行為の人類学」
前者は、アナロジーやメタファーを用いてモノを考える人間としての必読書かもしれない。
後者は、作者の豊かなフィールド経験から相互行為の人類学が学べる贅沢な本である。
面白くない文章で申し訳ない。内容は以上である。

では。


























流石にここまで読むやつおらんやろという事で、noteという人に見せる文を書くプラットフォームで全て見える状態(無料)における秘儀化を試みた。確率的にこれは人の眼に晒されないから単なる実験に過ぎない。
こんな戯けたことをする理由は、単にやりたくなったからに他ならない。
あと人に見られたくない文オープンに晒すのスリルがあっておもろい。

では本当の題名(この文章は先程の試みから分かるように、自己に宛てた手紙であり、他者に見せる意図はない。不愉快な思いに対する責任は取りかねない。)

「デンドロフィリアに対する1%の理解と童貞によるセックスとの踊り方」

まず、
私は一般人だ。良識を持った、普通の、マジでまともで全く以ってパンピーだ。
同時に、
私は童貞だ。童貞であり、童貞であるが故に、童貞だ。

これは私自身のこれまでの行為や行動に対するフィードバックに過ぎない。
なので、これから改めて、減数分裂時に異常が出るとされる35歳より前に結婚を行う様手続きを踏むしかない。

で、
これらの要素と題名は何の連続性があるのか。
誰にも読ませない為に保険を掛けた事に加え、私は一般的な人だ。なのでこれは通常の感性だと確信するが、

冬の街路に立ち並ぶ木を見て、「ワンちゃんこの木とセックスしてもいいかもしれへんなぁ~」と思った経験があると思う。

これは自然の美しさ、事に冬の木々のあの造形美の美しさの表れに他ならないと思う。まぁ流石にそこで
ズボンを脱いで
パンツを脱いで
陰部を出して、
「じゃやろか~」とはならない。気温低いし。

しかし、この自然の美しさは今童貞に悩む人間にデンドロフィリアへの1%の理解と、自然と貞操が共倒れするのではないかという危機を抱かせるのは容易であった。

因みに私は田舎に住んでいない。もし自然を量的に評価するとしたら、少ない方の部分に住んでいるだろう。
しかし、自然は美しい。科学の興りは錬金術だと一般的に言われるが、学術の興りは自然の御業を理解する事にあったのかもしれない。

今の話をすると冬の木々はその花や葉こそは落ちているが、(常緑樹は除いて)寧ろその要素が除かれてシンプルな形となることで原的な美しさをそこに見ることができる。その造形は「弓を引くヘラクレス」の様なしなやかな力強さや、岩を見ている様な厳格さを思わせるものがある。それはシンプルな造形があってこそだが、同時に寒い冬をじっと耐え忍ぶ姿が力強さを喚起させるからだろう。そして、やがて春が来て花や葉というドレスを身に纏う。季節は一度きりで同じ季節は二度とこない。四季とは巡りゆく展覧会の様なものなのかもしれない。我々に与えられた至上の自由は、それを五感で(何感にしても)楽しむ事だと思う。

もし一般的でない都会人がいたらまずは空を見て欲しい。次に道々にある木々を、そして場所を問わずあるがままに生きる生き物を、(電柱に止まる鳥は何十年後には見れない景観になっているから見といた方がいいかも)そして夜の星を。

光害だなんだと言って星が見えにくい昨今であるが、コツと見えるポイントを掴めば割と都会でも星は見える。そうした時に、星は雲の影響や地上の星のせいで、見えない事が多いという事が経験的に理解できる様になる。それがむしろ星を愛おしくさせる。いつまでいるか分からない、遠い恋人に思いを馳せる様な気持ちで数少ない星を見るようになる。

昼の空にしてもじっと眺めてみるとその様態は数十分、数時間毎でかなり変化しており、窓から、地上からの見え方は著しく異なる。
雲や空をじっと眺めて何かに形容するだけでも楽しいし、あんなヴァリエーションのあるもの、美しい色が上見ただけであるのはお得過ぎる。
そして空を見て、その光を見たら分かるが、季節によって雲の傾向、ものの見え方は変わる。それらのつぶさな変化は上から下に来る。雲と空を眺めていると漸進的な季節の変化を感じる事が出来る。

そして、自然のシステムが作り出す四季や気候は、私を知らないどこかへと連れていってくれる。

結論として、自然良すぎるから「まぁセックスしてもええか~」となって猥褻物陳列罪で逮捕され童貞脱出できないという負のスパイラルに陥るのではないかという事である。

捕まらない様に自然を楽しみたい所である。
それが童貞によるセックスとの踊り方である。















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