コンテクスト

 どうぞお座りください。コーヒーはいかがですか。苦いのはお嫌いで?砂糖はこちらにあります。お好きなだけどうぞ。マドラー?これは失礼、こちらのスプーンをどうぞ。
 本日のお話は・・・、失礼、今日はとてもいい天気ですね。良すぎるくらいだ。部屋は寒くないですか。私はあまり外に出ていないので、外からの方にはこの部屋は涼しすぎるかもしれませんね。私にとっての天気は、そこ、そのラジオから聞こえる3-の数字の並びと、窓から刺す日差しの強さくらいなものです。きっと外は暑いんでしょう。だからクーラーを点けました。
 ・・・本日はお越し頂き有難う御座います。
 「予約はしませんでした。」
 結構です。そもそもここに予約は不要なんですよ。来たければ皆さん来るのです。だからこの部屋が人でいっぱいになることもあれば、今日のようにあなた一人だけで、こうしてコーヒーをお出しする事もできる。お砂糖は大丈夫ですか?牛乳も冷蔵庫の中にあります。・・・取ってきますね。
 「別にいいのに…。」
 「なんだかお節介な人だなぁ。」
 「まぁいいか・・・・・・。」 
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 「-・-・・ ・・- -・-・- ・-・-・ --・-・ ・・ ・・- -・-・- ・-・-・ ・・-・・ ・・ -・・-・ --・-- -・ ・-・-・ -・ ・・ 」
 「-・- -・ --・-・ ・-・ -・-・ ・-- ・-・-- -・--・ ・-・-・ -・ ・・ ・-・- ・・- ・-・・ ・-・-- -・-・ -・-・・ -・-・ ・- ・・・ ・-・ ・・・- ・-・ ・-・-- ・-・・ ・-・-- -・-・ ・-・・・ ---- ・-・-- ・-・・ ・-・-- -・-・ ・・-・・ --・・- ・・ -・ ・・ --・-・ ・-・-- 」
 牛乳をどうぞ。
 「ありがとうございます。」
 さっき、外の暑さが気になって窓を少し開けたんです。すぐに閉めました。この部屋は涼しいですね。
 お代は結構です。
 「・・・はい?」
 ここは喫茶店ではありません。なのでお代をいただくために、こうしてコーヒーを出した訳ではないんです。
 「そうなんですか」
 そうなんです
 「変なの!」
 ・・・それは、この場所に最もふさわしくない言葉かもしれない。
 「ごめんなさい。」
 いいんです。確かにここは歪なんです。それは最初から自明なので、これも”普遍的”で”自然な流れ”の賜物ですね。
 「ここはどこですか?私はさっきまで近所の横断歩道を渡ってたんです。たしかに喉は乾いていたけど・・・、さっき『来たいから来る』みたいなこと言ってましたよね!私こんな場所知らないです!」
 こちらに来るのは初めてでしたか。なら確かに繋がりのない事でしたね。
 「どういうことですか!」
 あなたに起こったことの為に、あなたが起こす連綿の中に、私が入りました。それ自体が非常に歪な事は目下の課題ではありますが、それもいいだろうと今は思えているのもまた事実。今、ここで一番重要な事、取り扱うべき、この場所の”存在理由”を、あなたはあなた自身の為に使用することができます。
 「今私がなんとかしたいのは……、。 、。 、。あなたどうせ知ってるんでしょ!?」
 どうすれば終わらせられるか。この争いを。始めは些細なことだった。気付いたらこうなっていた。
 「止められなかった…。仕方なかったのかも知れないけど、でもそう思っちゃう自分も大嫌い。」
 紛争はいつもそのようですね。皆さん概ねそうおっしゃる。
 「紛争なんて大げさに言わないで。そろそろあなたの自己紹介でもしてみたら?私の事をよく知ってるのは分かったけど、あなたはただの見知らぬ人よ。」
 私の名前はコンテクスト、この部屋で今のあなたのような方をおもてなしております。
 「・・・。お手洗いあるかしら。」
 通路を行って左手です。

 「本当になんなのよ、ここ。まぁコーヒーは悪くないけど・・・。変に落ち着くのよね、ここ。・・・帰って謝らなきゃな、・・・謝ろう!私が冷静にならなきゃ、帰りにコンビニ寄って、プリン2つ買って…杏仁豆腐の方がいいかな、1つずつ買って2人で分け合えば・・・。よーし!なんとか気持ちの整理着けなきゃ!」

 「コンテクストさん・・・、今日は水だけでいいです。水だけ下さい。喉が乾いてしまって、」
 どうぞ、外は暑いでしょう。
 「あぁ暑い。まるで地獄の入口にいるようだ。でもまた行かなければいけない。この一杯の水をガソリンにして、私は燃え続けなければならない。」
 「コンテクストさん、私にも水を、今日はコーヒーより冷えた水の方がいいな。」
 そうですね。私もその方がよく合うと思いました。そして、今日のメインディッシュです。
 「あぁ!ありがとう!あぁ美味しそうだ!これは、母のよく作ってくれたドレッシングによく似ているな。どこでこれを!?まぁいい!君 は不思議なやつだからな!」
 「・・・美味しそうなサラダですね。」
 「あぁ、私の町で獲れた野菜なんです。とても瑞々しくて、良ければどうぞ。」
 「いいんですか。それでは・・・」
 「今日は暑いですね・・・」
 「全くです」
 「随分お疲れのご様子で。」
 「はは、分かりますか。お恥ずかしい限りです。」
 「ははん?なにか大事な事の途中と見える。まぁ、ここはそんな人ばかり来るからなぁ。」
 「あなたも?」
 「この後特別な仕事があるんです。といっても私はサインをするだけで、別に悪い仕事では無いんです。ただ、些か大きすぎる船に乗ってしまって、これからどうなるやら。」
 「船、ですか。それはいいですね。」
 「いいもんですか!ハラハラしっぱなしです。」
 「いや恵まれている。きっとあなたが乗るのが巨大な貨物船なら、私が乗っているのは荒れた海に投げ出された流木と麻縄造りのイカダだ。」
 「あなたも中々、大変なものを背負っているようだ。」
 「今、超巨大な波が、私の前に押し寄せてきている。その波の向こうには、大きな黄金の鯨が悠々と泳いでいて、私たちはそれの作る波と潮を浴びながらイカダを漕ぎ続けている。」
 「詩人ですな。」
 彼はとても詩的なんです。いつも美しく夢のような詩を聞かせてくれる。私はいつも楽しみにしているんです。そして何よりも『リアル』なんです。
 「素晴らしい。・・・私にもあなたのような詩的センスが欲しかった。」
 「なぜ?あなたは十分過ぎる程恵まれていて、なにより優れた人に見える。」
 「ありがとう、ありがとう。『ありがとう。』この言葉は私の仕事道具みたいなものなんです。」
 「私は良い事だと思います。美しい言葉だからです。私も『ありがとう』に囲まれたい。私の生まれ故郷はその言葉で溢れていました。私はそれを取り戻さなければ。」
 「頑張って下さい。」
 「ありがとう。あなたも。・・・とても美味しいサラダだ。」
 「ありがとう。ありがとう。どれも素敵な方々が作っているんです。私は彼らに支えられてばかりだ。でも難しい事もある。普段はなんてことない事にばかりサインしている癖に、今回は、重すぎる。」
 「共に、頑張りましょう。」
 「えぇ。」

 「はぁ。コーヒー冷めちゃったかな。」
 随分お悩みですね。
 「どうせわかってる癖に。・・・今の人たち・・・」
 お客様です。常連さんなんですよ。
 「なんか…外国人?コスプレ?あの人武器みたいなの持ってなかった?」
 さぁ、わかりません。
 「わかってるでしょ。」
 いいえ、わかりません。あなたの事も。
 「ホントに!?そんな風に見えないけど・・・」
 私は文脈を読むのが得意なんです。こうして私たちが話している言葉にも、常に文脈があります。『鳥が飛んだ。』『ボールが転がる。』。想像してみて下さい。
 「なによそれ。」
 恐らく皆さん、想像出来たと思います。鳥が枝から飛び立つさま、ボールが坂や…レンガ敷きの道をコロコロと楽しそうに弾むさま・・・。ボールは赤く、鳥は白か青いスズメくらいの大きさだったかもしれませんね。
 「つまり・・・どういうこと?」
 ここに文脈があります。皆さんが今までの人生の中で蓄積してきた記憶、情景や感情。そうしたものは個人の所有物である個別な個性ではありますが、大きな集団の一人、同じ価値観を共有する『オリジン』を許容した場合、そうした個性にもある程度の共通条項が観測できるのです。
 「つまり、細かい部分で、皆似たようなことを・・・想像するってこと?」
 その通りです!みなさん、鳥が飛ぶにもしても、何も無いところに鳥がいて、何もない空間にいきなり飛ぶとは思いません。ある程度、文章で言及しない、どう想像してもいい部分で、自分に整合性の取りやすい状況を想像し補強するのです。そして、それが皆さん非常に似通うことが多い。
 「な、るほ、ど? ・・・!それってここに来た私がいかにも誰かと喧嘩して、でも仲直りしたそうに見えたってこと!? もう!分かりやすくて悪かったですねーだ!」
 すみません。
 「別にいいわよ!それよりコーヒー飲み切りたいの。」
 もう一杯いかがですか?
 「いいの!いただくわ!お砂糖たっぷりでお願い!」

 「美味しいコーヒーをありがとう。気持ちの整理が着いたわ。そろそろ帰らなきゃ。」
 また、いつでもお越しください。
 「わかったわ。・・・ア!あなたが一つだけ見抜けなかったことあるかも!」
 なんですか?
 「私の喧嘩相手が友達か彼氏とでも思ったんでしょ!残念、私が喧嘩したのはカ・ノ・ジョ・よ!」
 これはこれは。
 「ふふーんだ。それじゃ。」
 
 すっきりした気分。こんなに気分が晴れるなんて、なんだか少し不思議な気分ね。
 綺麗なガラス細工の施された木製ドアに手をかける、ガラス越しには今にも身体が溶けそうな真っ白な日差しが差し込んでいる。勢いよく開けてみた。
 やっぱり暑いわね。早くかえ・・・って・・・
 背筋がスゥーっと、まるで自分がとんでもない失敗をしたことに気付いた時のような、夏の暑さも忘れるくらいの寒気を感じた。
 「なんで今まで・・・気付かなかったんだろう。」
 「どうかされましたか。」
 なぜか分からないけれど、とにかく片足をしっかりと外の地面に押し当てて、そうした方がいいような気がして、それをしっかり自分の目で確かめてから、恐る恐る、振り返る。
 「コンテクスト・・・?」
 「はい。どうしましたか?」
 「あなた・・・自分の事を・・・鏡で見た事・・・ある・・・?」
 「いいえ。ただみなさんに失礼があってはいけませんから、服装だけはきちんとしているつもりです。」
 「そうね、それにあなた・・・鏡をのぞくには・・・」
 「そうなんです。些か、身体が大きいものですから」
 「自分の顔は・・・?」
 「?、なにかついているでしょうか?」
 「いいえ!!なんでもないの!!それじゃ!!」
 「ええ、またのお越しを。」
 暑い。身体が溶けそうなくらい暑い中を力を振り絞って走る。蜃気楼の立つ道路の向こうを目指しながら。ここは家の近所だった。
 「なんで気付かなかったの!」
 さっきまでずっと話していた相手は、あの紳士服の彼は、喫茶店調の室内にはあまりに不釣り合いな程背が高かった。そして3mはありそうな長身の頂には、恐らく細身な人の顔の輪郭を持った、ひたすらな虚空のような穴、無限に堕ちていく闇の虚像が平然と、まるでそうあるべきと、落ちていた。
 ずっと走っていた。もうすぐコンビニだと思った途端に息が切れて、その場で手を膝に着いた。突然入ったあの場所に彼がいたのは、
 「・・・コンテクスト。文脈・・・」
 彼との会話を思い出してみる。
 「あの場所は彼がいる”普遍性”に満たされていた。彼があそこで話すことは”自然な流れ”で、私はそういう、共通条項を、許容していた・・・」
 あの場所の不思議さ、歪さ。私があそこに入ったこと・・・
 「入った・・・、自分から・・・。気持ちがはやって、家を飛び出して・・・」

 気持ちを整理したかった。いや、そんな事も思わなかった。『どうにでもなれ』って思った。このままではどこまでも続く、長い長い溝の・・・、そういう流れがあった。争いの、文脈が・・・。どうにかして変えたかった・・・そんなことも思えてなかった。

   『『そこに私が入りました。』』

 「!」
 振り向いてもなにもいない。いる筈ない、ここでいたら、それはただのパニックホラー。でもここは現実、本当に私の背後にいて驚かしていたら、それは多分、文脈じゃない。文脈を崩すことの意外性は・・・

 「コンビニ行かなくちゃ・・・杏仁豆腐とプリン買って・・・許してくれるかな。ちゃんと謝ろう。それが、あそこでコーヒーを飲んで、落ち着いて、自分を反省できた私の『文脈』だよね。」
 今度は一緒にあそこのコーヒー飲みたいな。苦いの苦手だけど、あのコーヒーなら飲めそう。驚くかな。
 スキップする、サンダルが脱げないように。ジャンプする度に頬の汗が少し速く流れ落ちる。

 入道雲が押し迫る、やたらに青い夏の空だった。


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