物や人材の金銭的価値を決定するのは売り手、確定させるのは買い手という話
昨今のビジネスにおける業態は多種多様に渡り、いつの時代においてもそれら全てが需要と供給で成り立っている。
これらは変動性を帯びており、市場の需要が極限まで高まれば買い手が飽和し、逆ならば売り手が飽和していくというのが社会の仕組みだ。
大前提として、ビジネスとは“価値提供”である。
それを踏まえた上でこのnoteの題名の意味をここに記していこうと思う。
本題に入るが、500mlの水がスーパーに1本400円という価格で陳列されていた時にそれを買う人はいるだろうか?
答えはもちろんNOだ、ほとんどの人がそれを高いと感じるだろうし、誰も購入しないだろう。
ではこれが標高2000mのとある山の山頂で売られていた場合はどうか?
売れるのだ。
皆頭では高いとわかっていても、登山を終え疲労困憊状態の人で溢れる山頂における水の需要度はスーパーにいる専業主婦のそれとは比較にならない。
故に価格が400円でも売れるというわけだ。
もちろん実際には山頂まで水を運ぶコストがかかるわけだが、ここで伝えたいのは例え物自体が一緒でも場所や状況によって需要は変動するということであり、価値を確定させているのは購入者だということだ。
人材の価値においても同様のことが言える。
例えば企業勤めのAさんとフリーランスのBさんがいたとする。
この2人はどちらも優秀で業種もスペックも全く同じであり、着手している案件も似通っている。
では所得も両者同一であるのか?
これも答えはNOだ。
もちろん優秀であればの話だが、大概の場合後者の方が所得的には優れている場合が多い。
提供している労働力は同じなのに、なぜ所得に格差が生まれてしまうのか?
それは戦う場所を間違えているからである。
どれだけ優秀で仕事に事欠かない人材であっても、企業勤めである以上会社の給与規定からは逃れられず、天井はある程度定められてしまっている。
山頂の水の話と同じように、フリーランスは個人事業主であるため自分で案件を取ってくるというコストが発生するが、逆に言えばそのハードルさえクリアしてしまえば、業務の内容が同じでも所得を大きく上げることが出来るのだ。
Aさんは会社の給与を自らの価値として決定し、企業が雇用することで価値を確定している。
Bさんは労働に対する報酬を自らの言い値で決定し、案件を取ることで価値を確定している。
何が言いたいのかというと、所得を上げたいのであれば戦う場所の選定が最も重要だということだ。
自身の提供価値に報酬が見合っていないと思うのならば、最大値まで引き上げられる場所で戦えばいい。
どんな天才でも月収20万の会社で戦っていては、月収20万の凡才と同価値である。
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