見出し画像

FF16とイース8を終えたので比較しつつ感想

この夏、自分は二つのゲームに出会った。
一つはFF16、もう一つはイース8だ。

共通点など全くなく、なんの接点もない二つの作品だがこの夏に自分がプレイして感じたそれぞれの作品への思いを書き残したいと思う。

※それぞれの作品のエンディングネタバレがあります。


1.FF16というゲームを買ったきっかけ


きっかけはあまりにも簡単で、自分はFF14をプレイしていて尚且つ、昔から気に入った作者の漫画や小説は作家買いしがちだったことに尽きる。
FF14のチームが作ってる作品ならいいものに違いないと手に取ったというより、FF14のチームがどんなのを作るのかの方がずっと興味があった。

とはいえ、発売前にも関わらずPS5さえ持っていなかった自分は「まあいつか買えたら」ぐらいに思っていたのだ。
そこにストリーマーや配信者による体験版プレイの配信の波が訪れ……気づけばPS5は発売日当日に到着していたという。

2.クライヴという存在の凄さ


FF16のすごいところはその没入感だと思う。
ある瞬間、クライヴが鼻を鳴らしたところがあった。その時の顔の仕草の自然さに、クライヴが生きていることを実感した。
それまでゲームをしていて自分の操作するキャラに愛着が湧かなかったことは正直なところ、何度もあった。

あのFF14でさえもキャラクリしたにも関わらず、自分との乖離を感じてのめり込めなくて一度はやめたことだってあった。
ソシャゲなんて数え切れないほどダウンロードしては1時間と経たずにキャラへの愛着を感じられずにやめていた。

そんな自分がFF16を最後までできた理由は、クライヴが主人公だったからに他ならない。
少年期の彼は母から冷遇されていたものの、そのあり方は真っ直ぐで力強く眩さすらあった。
青年期に入ってからはその眩さが見えにくくなってはいたけれど、物語をすすめるごとに世界の残酷さと自らの力の意味を知るクライヴに頼りがいすら感じていた。

そして、前述したクライヴが生きているという実感。それらが私の中でクライヴをFF16の主人公から、ヴァリスゼアに生きる青年クライヴにしてくれた。
そこには内田雄馬さんによる少年期クライヴの熱演や、うずたかく積み上げられた台本を全て演じた内田夕夜さんの声があったことも大きい。お二方でなければ自分はすんなりとクライヴに慣れることができなかっただろう。


3.FF16で負った傷


※エンディングネタバレがあります
FF16のエンディングは賛否両論あると言われている。
私は正直、全てのサブクエストをクリアしてそれでもなお、物語の終わり方に大きな希望を抱くことはできなかった。
どちらかといえばハッピーエンドが好きだ。
物語は綺麗に優しく温かく終わってくれればそれでいい。
けれどプレイしているとFF16はドミナントやベアラーのようなその力ゆえに持ち上げられたり、あるいは迫害される存在への言及、世界全体を取り巻く中世ヨーロッパ独特の暗さ、それらを見ているだけで終わり方に完全無欠のハッピーエンドを求められないような気がしていた。
だから、途中からずっとクライヴが何処かへ行ってしまうような気配を感じていたし、ジョシュアがここに留まってくれないような切なさもあった。
それを見つめるジルやガブやヨーテを思うと脇目も振らずに終わりまで見なければいけないと思ってしまった。

そして、サブクエストを完走し脇目も振らずに物語も完走した結果、喪失感という傷を負うことになったのだ。
クライヴがもし生きてたとしてもその背中を見ることはなく、クライヴがもし生きていなかったとしてもその墓を見ることもない。
エオルゼアのように地続きで世界も物語も続いていて、ゲームをひらけばプレイヤーがプレイした通りに世界が定まる場所と違い、ヴァリスゼアはその時にしかない物語があり人がいて、それはもう想像で補う以外何にもないのだと感じ、余計に虚しくなってしまったことを覚えている。

同時にFF16のことを好きになってしまったが故に、世間の声というのもなかなかに響いた。
FF16は前述した通り、とんでもない期待を背負って生まれたゲームだ。
そして、あの終わり方をしたからこそ、FF16は賛否両論ある作品として今後も語り継がれるだろう。

クライヴの物語への喪失感と、FF16に今のところ続きがない喪失感に苛まれ、何か新しいゲームをしなければと思っていた。


そんな矢先に勧められたのが、イース8だった。

4.イース8 を買う


きっかけは知人からの勧めである。
知人はFF16を直近でプレイしていることを知っていたからか、いっそ全く違うグラフィックの方がいいと考慮した上で勧めた作品の中にイース8を入れていた。
イース8は一作だけでも面白いのか、前作をプレイしなくて世界観についていけないことはないのか、その疑問には全然大丈夫との答えが返ってきて、不安に思いながらもイース8を購入した。

5.アドル・クリスティンに抱く親近感


クライヴが生きた人間だとしたら、アドルはその存在自体が物語だ。
アドル・クリスティンは冒険家として名を馳せ、イースシリーズは全て彼が遺した日誌を基にした物語となっている。
そんなRPGの主人公にしては少し年齢が高い21歳のアドルは船上にいた。
実のところ、イース8を勧めてきた人はイース8は無人島モノと言っていたから、これからこの船が沈むんだろうことが分かっていたし、アドルを操作してゲームを進めた。

アドルは喋らない。
昨今、ソシャゲの主人公だって喋るのにアドルは本当に喋らないのだ。
胸の内を明かしてくれることは少なく、だからと言って頼りないわけではなくて何かを任されればそれを真っ直ぐに叶えるし、悩む人には手を差し伸べるし、問題が起きればそれをおさめようと努める、喋らないのにそれがよくわかる人だった。
それはあまりにも誰かに似ていて、プレイしながら「アドルはFF14の光の戦士みたいなんだ」と感じていた。
FF14の光の戦士は物事によく巻き込まれる。稀有な力を持つからこそ求められ、それに応え、それによって気づけば世界を救う戦いに身を投じている一人の冒険者だ。
アドル・クリスティンは見慣れた光の戦士によく似ていて、それに気づいた時に親近感が湧いた。

6.ハマるのには時間がかかった

アドルは喋らないとはいえ、人となりは決まってる。
とはいえ、グラフィックや表情から生きていることを教えてくれたクライヴと違い、アドルは全くそれを伝えてはくれない。
それに光の戦士によく似てるとはいえ、自分がキャラクリをしたわけでもないのだ。没入するにも限度があった。
ぶっ続けでプレイして脇目も振らずにクリアしたFF16と違い、イース8のプレイ当初はそこまで没入してなかったと思う。
アドルの見た目は好きだし、ラクシャはツンデレだが真面目で責任感も強く可愛い、サハドはいいおじさんで表裏がなくて明るく、ヒュンメルは不思議な人だが義理堅いし、リコッタはサハドと同じく太陽みたいなキャラクターでPTを華やかにしてくれた。

面白いけど何かが足りない。
好きだけど少しだけなんだか引っかかる。
物語にもアドル本人にもなんとも言えない物足りなさを感じていたところ、蒼い髪の少女、ダーナとの出会いで全てが変わった。

7.ヒロインがヒーローでもあった


人生で好きになったヒロインキャラはたくさんいる。
エスカフローネの瞳、ドラクエ5のデボラ、アイマスなら美希、Fateならセイバー、他にもたくさんのヒロインキャラに出会った。
どのヒロインも好きだ。
FF16のジルも手折られる花のような儚い見た目でありながら、そうではない心を持った美しい人だった。

さて、イース8のダーナはこれまで出会った中でも凄まじいヒロインだった。規格外の人だったと言ってもいい。
美しくて賢く、それでいて驕ることもなければかといって卑下することもない。
ダーナはどこまでも真っ直ぐでその佇まいを含めてひたすらに美しいのだ。古代に生きて巫女として人々を支え、そしてそれ故に滅びる自分の国を見守ることになる。
アドルとの出会いは衝撃的で、あの出会いで私はアドルを通して勝手にダーナに恋をしてしまった気がしている。

そして、彼女はヒロインでありながらヒーローでもあった。ずっと出会いたかったヒロインは彼女だったのかと私は知る。

8.FF16とイース8、個人的な違い


グラフィック


明らかにFFの方がいい。イース8は人気作だから移植されているとはいえ、元々はVITAのゲームである。比べるまでもない。

戦闘


これに関しては甲乙つけ難かった。
FFは召喚獣の力をつけかえて色々な戦闘を楽しむことができたし、戦闘中だって表情が変化する。
QTEは賛否両論だが、まあそこまで悪くないかなと感じた。いろんな配信者を見ていても気に入った戦い方はみんなそれぞれあったのでそれは面白かった。

イース8はキャラクターをくるくる変えて相性で打ち破っていくタイプなので動作に不慣れな時は結構苦しかった。
あと3タイプPTに欲しかったのでそうなると好きなキャラ同士を使えないのが残念だった。(私は最後、男子3人を使ってた)
でも大技を覚えていくと闘い方が変わって楽しくなるのはRPGならではだった。

シナリオ


超個人的に言うと、

序盤は圧倒的にFF16
中盤はイース8
終盤
サブクエを含めたらFF16とイース8が並ぶ
サブクエを含めなければイース8

だった。
イース8は序盤がちょっと入りきれなくて、FF16は中盤と終盤の薄暗さが重かった。


内容としては、どちらも主人公に与えられた役割が最後にかけてわかっていく。
そしてそれが世界の命運を握っている。
それらに対して主人公はどう立ち向かうのか、そもそも主人公はどう生きてきたのか。
その違いがFF16とイース8の違いでもある。

エンディング

※ネタバレ有り

ぶっちゃけて言えば、FF16もイース8も最後にいなくなる人がいる。

FF16は解釈によってはクライヴ、またはジョシュア、そしてほぼ確定でディオン。
イース8はダーナだ。
だが、比べてみた時に解釈の余地を残したFF16よりもきちんとダーナが道を選んだと見せてくれたイース8の方が私には優しかった。

正直、エンディングはどちらも泣いたけれど、読み手に委ねてしまったFF16はすごく勿体なかった。
ちゃんと素直にクライヴに未来があることを教えて欲しかったし、ジョシュアがいなくなったのならそれをわからせて欲しかった。
分からせてくれなかったのは、察してくれるよねという温度感なのか、それとも分からせない方が今風だからなのか、よくわからない。
もしかすると表情が様々なことを語るゲームだったから、必要以上に語りたくなかったのかもしれない。

イース8はそれに比べるとみんなよく喋る作品だった。グラフィックはFF16と比べるようなものではないから、表情が変わらない時もある。だからか、その代わりに彼らはよく喋った。
そうなると彼らへの愛着が湧いてくる。だから、ダーナだけがいなくなる悲しみは心にきた。
でも、物語の主人公はアドルだ。
アドルの物語なら彼は無人島で一生忘れられない女の子と出会って別れ、世界の摂理(女神)になった彼女に見守られながら、次の旅路へ行くというビターながらもハッピーエンドなんだろう。

9.結論

どっちも好き。
でも僅差でイース8の方が好きかな。
16は14への愛があって感謝もあったけど、全く誰が作っててどんな会社なのか知らなかった(無知故です)イース8の方が16への贔屓目があっても楽しかった。

蛇足

色々書いてて思った。
私がFF16にほしかったのは会話と対話だった。
ベネディクタ、フーゴ、ディオン、バルナバス…彼らともっと対話してほしかった。どんな人なのか知りたかった。
国同士とか世界をかけてるとか、そういう大きな規模でやり合ってるんだから個人間の話なんて無意味とわかっていても、彼らのことを教えてくれたらよかった。

それを全部やってくれたからイース8がかっちりハマって楽しかったんだと思う。まあ無人島は閉鎖空間なので舞台自体が良かったんだろうなと思うけど。

でもこれはテイルズやスターオーシャン、サモンナイトで育ったから思うことで歴代FFをやってた人は違う感想を抱くのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?