(メモ)「日本のいちばん長い日」に於ける師団長殺害後の一部描写について
はじめに
映画「日本のいちばん長い日(特に2015年版)」において、森赳 近衛第一師団長(と白石中佐)を畑中少佐らが殺害する有名なシーンがある。緊迫した状況下の中で、遂に畑中少佐が行動を起こすという、その後の急展開に繋がる劇中の中でも重要なシーンである。
そんな重要なシーンの後に、一つ印象的なのが、水谷一夫 師団参謀長と井田正孝 中佐が東部軍管区司令部に車で乗りつけて行き、報告の最中に水谷参謀長が卒倒する一コマだろう。ここで、東部軍へ決起を促すために来た井田中佐は水を掛けられたカタチになり、一方で、水谷参謀長のついさっき起こった「師団長殺害」に対する動転ぶりが印象的なシーンではないだろうか。が、個人的に事件を調べていて、この一連の描写の細かい部分に疑問をもった(もちろん映画であるから演出というのはあるのだが…)。前々からこの件について、Twitter(現X)で投稿した事もあるので、この際文章として残しておこうと思った次第である。
食い違う記述
それではまず、映画に内容として一番近いだろうと思われる、小説「日本のいちばん長い日」の該当の記述を(長いが)引用してみよう。
ここでまず重要な点を挙げるとすれば、
・井田中佐と水谷参謀長は同道して、一緒に入室した。
・面会したのは東部軍参謀長である高嶋(辰彦)少将だった。
・その場で報告を終えると水谷参謀長は貧血で卒倒した。
とでもなるだろう。
しかし、当時、東部軍管区(兼第十二方面軍)司令官・田中静壹大将の副官をしていた、塚本清少佐のその辺りの記述を読むと、また印象が違ってくる。
(以下引用、旧字体の部分は新字体に改めた)
お分かりになるだろうか。
つまりは、井田中佐の存在が消えて、報告に入室してきたのは水谷参謀長一人、報告しているのも(引用だけでは分かりづらいかもしれないが、高嶋参謀長ではなく)上官である田中大将になっているのである。この場面で、もし本当に、水谷参謀長と井田中佐が「もつれあうようにして入室」していたならば、それについて触れないのは極めて不自然ではないだろうか。
塚本「あゝ皇軍最後の日」は、昭和二十六年と、終戦後間もなくの刊行でもあるため、記述は比較的正確であると思われるので尚更である。そして、極めつけは当人である、井田正孝中佐(戦後は旧姓の岩田だが)の戦後の回想を読むとハッキリする。
(以下引用)
この記述は、明らかに「いちばん長い日」の描写が不正確なのを示していると言えるだろう。つまり、当の井田中佐自身が、「いちばん長い日」に見られるような描写を、暗に否定するような記述をしているのである。当の本人が否定するような記述をしているのでは、「いちばん長い日」の、この下りの描写に信憑性の高さを見ることは難しいだろう。
おわりに
以上、前々から「日本のいちばん長い日」を観て(又は読んで)疑問に思っていた箇所について、少し書いてみた。
「映画や小説の描写であるから、そう目くじらをたてんでも…」とは言われそうではあるが、純粋にその描写を信じて、あたかもそれが真実であるように論じているモノも散見される中、「〇〇には〇〇という記述があって〜」などと、メモ程度にでも書いておけば、誰かの参考にでもなるのではなかろうかと(自分勝手ではあるが…)信ずる。
参考文献
・半藤一利「日本のいちばん長い日 決定版」
・岩田正孝、西内雅「雄誥 大東亜戦争の精神と宮城事件」
・塚本清「あゝ皇軍最後の日」
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