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(メモ)「日本のいちばん長い日」に於ける師団長殺害後の一部描写について


はじめに

映画「日本のいちばん長い日(特に2015年版)」において、森赳 近衛第一師団長(と白石中佐)を畑中少佐らが殺害する有名なシーンがある。緊迫した状況下の中で、遂に畑中少佐が行動を起こすという、その後の急展開に繋がる劇中の中でも重要なシーンである。
そんな重要なシーンの後に、一つ印象的なのが、水谷一夫 師団参謀長と井田正孝 中佐が東部軍管区司令部に車で乗りつけて行き、報告の最中に水谷参謀長が卒倒する一コマだろう。ここで、東部軍へ決起を促すために来た井田中佐は水を掛けられたカタチになり、一方で、水谷参謀長のついさっき起こった「師団長殺害」に対する動転ぶりが印象的なシーンではないだろうか。が、個人的に事件を調べていて、この一連の描写の細かい部分に疑問をもった(もちろん映画であるから演出というのはあるのだが…)。前々からこの件について、Twitter(現X)で投稿した事もあるので、この際文章として残しておこうと思った次第である。

食い違う記述

それではまず、映画に内容として一番近いだろうと思われる、小説「日本のいちばん長い日」の該当の記述を(長いが)引用してみよう。

「そのくわしい情報はすぐにとどけられた。参謀長高嶋少将の部屋の扉の外で「参謀長閣下、井田中佐です」という声がしたのが、その直後で、参謀長が入室してよいの指示をあたえる必要もなく、井田中佐と顔面蒼白の水谷参謀長がもつれあうようにして入室してきた。高嶋参謀長はなにかを直感した。ひと目みたときの水谷大佐の表情はただごとではなかった。大佐は身体を前後に大きくふらつかせながら報告した。森師団長が殺害されたこと、叛乱軍が宮城を占拠したこと、自分はとりあえず東部軍司令官の指示を仰ぎにきたこと。だが、それだけいうのが、やっとだったのだろう。大佐は極度の疲労とあまりの緊張感に軽い貧血状態におちいり、その場にふらふらと倒れかかった。」

半藤「日本のいちばん長い日」p214

ここでまず重要な点を挙げるとすれば、
 ・井田中佐と水谷参謀長は同道して、一緒に入室した。
 ・面会したのは東部軍参謀長である高嶋(辰彦)少将だった。
 ・その場で報告を終えると水谷参謀長は貧血で卒倒した。
とでもなるだろう。
しかし、当時、東部軍管区(兼第十二方面軍)司令官・田中静壹大将の副官をしていた、塚本清少佐のその辺りの記述を読むと、また印象が違ってくる。
(以下引用、旧字体の部分は新字体に改めた)

「大将は、ほっと軽い溜息を洩らされ、瞬間われわれにも、僅か安堵の気持が動いたのだが…その時、水谷近衛師団参謀長が転ろげるようにして、状況報告にやって来たのである。参謀長の顔面は蒼白である。これは唯事ではない!われわれはつめよるようにして水谷参謀長の報告を待ったのである。(中略)
「重大事だ!」と転げ込むように来た水谷参謀長は、報告を終ると、あまりの緊張感に、軽い貧血を突発、ふらふらっと床上に倒れかかった。すかさず私は抱きかかえるようにして傍のソファーにはこんだ。」

塚本「あゝ皇軍最後の日」p68・73・74

お分かりになるだろうか。
つまりは、井田中佐の存在が消えて、報告に入室してきたのは水谷参謀長一人、報告しているのも(引用だけでは分かりづらいかもしれないが、高嶋参謀長ではなく)上官である田中大将になっているのである。この場面で、もし本当に、水谷参謀長と井田中佐が「もつれあうようにして入室」していたならば、それについて触れないのは極めて不自然ではないだろうか。
塚本「あゝ皇軍最後の日」は、昭和二十六年と、終戦後間もなくの刊行でもあるため、記述は比較的正確であると思われるので尚更である。そして、極めつけは当人である、井田正孝中佐(戦後は旧姓の岩田だが)の戦後の回想を読むとハッキリする。
(以下引用)

「かくて私と参謀長とは、第一生命ビルにある東部軍司令部へ呉越同舟で車を走らせた。草木も眠る丑三どきであったが、軍司令部だけは流石に人の動く気配があった。到着するや否や、勝手知ったる何とやら、参謀長は飛燕のように姿を消し、それから再び巡り会うことはなかった。玄関で待つこと数分間、下士官が私を応接室に案内し、軍参謀長高島少将、参謀不破大佐、参謀板垣中佐との対決が始まった。」

岩田・西「雄誥」p210・211

この記述は、明らかに「いちばん長い日」の描写が不正確なのを示していると言えるだろう。つまり、当の井田中佐自身が、「いちばん長い日」に見られるような描写を、暗に否定するような記述をしているのである。当の本人が否定するような記述をしているのでは、「いちばん長い日」の、この下りの描写に信憑性の高さを見ることは難しいだろう。

おわりに

以上、前々から「日本のいちばん長い日」を観て(又は読んで)疑問に思っていた箇所について、少し書いてみた。
「映画や小説の描写であるから、そう目くじらをたてんでも…」とは言われそうではあるが、純粋にその描写を信じて、あたかもそれが真実であるように論じているモノも散見される中、「〇〇には〇〇という記述があって〜」などと、メモ程度にでも書いておけば、誰かの参考にでもなるのではなかろうかと(自分勝手ではあるが…)信ずる。

参考文献

・半藤一利「日本のいちばん長い日 決定版」
・岩田正孝、西内雅「雄誥 大東亜戦争の精神と宮城事件」
・塚本清「あゝ皇軍最後の日」

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