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第18夜【1円にもならなかった逆襲のシャア】

所属会社との契約(口約)から自分には1円も入らない仕事。
それが「逆襲のシャア」だった。
職務、職責感だけで遂げようとしたのだろうか?

振り返れば、ギャラ交渉もできたかもしれないが、
「逆シャアの方を降りてくれ」と言われる事を避けていた。、
アムロとシャアの最後を…。ファン心理を引きづってしまったか?
プロに徹せなかった未熟さからか?自分でも、よくわからない。

さて逆襲のシャア試写後の感想を正直に述べよう。

迎撃により核ミサイルが核爆発を起こす事はエンタメとして許容。
しかし「14番艦の核爆発」が起きたのにアクシズに何事もないなら、
何の為にブライトは核ミサイルを撃ち込んでいたのか?内破綻してる。
それはナンセンスだ。

たまたま見た「マクロス」の1エピソードが入り、
最後は「エースをねらえ」…???

こんなんじゃ「救われないんだよ!」
「…やっちゃいけなかったんだよ!~だから大人って…」
そんなクエスとハサウェイの台詞が脳裏でリフレインした。

自分の成長過程で漫画映画「ヤマト」と「ガンダム」の影響は大きい。
児童時に漫画デビルマンがあり、テレビ版があり、原作をそのまま映像に
するわけにはいかないんだなと悶々としてた。(仮面ライダーも)

そこに登場したのが、原作なしのテレビ漫画「宇宙戦艦ヤマト」だ。
両親から漫画は否定され、食卓に一台のTVは、その時間ニュースだった。
ビデオの無い時代。
時々、見れるだけの、その物語に強烈な魅力を感じ全話数見たいが為に
TV局やスポンサー、代理店に電話し、ハガキを出し、低視聴率番組は再放送をしてくれる。

今のタイトルや監督、配信会社の名前(ブランディング?)で、
上映前の宣伝時から成功作評価は無い。。
「良い物語を見つけた、お前も見ろ」発見者は自身、或いは
兄弟だったり、友達だったりで口コミで広がる。

再放送でも視聴率は低かったと思うが、ファンの熱が劇場化にまで進め、
その上映に少年、少女が長い列を作る様は社会現象として新聞も取り上げ
大人にバカにされ続けた漫画映画が「アニメ」として市民権を得る。

物語は、戦争で家族を失い孤独となる古代進が森雪という恋人に出会う運びから、雪の命すら失いかける所まで行き、老人沖田艦長の潰えようとする命の灯火が燃え移るかのように彼女は息を吹き返す、奇跡の目撃で終わる。

その続編と聞かされた時、直感的に大人の汚さを感じた。
どのくらいのファンが要望したかはしらないが、自分の様に離れる選択をした者も多かったのではないか?と思う。
だが大ヒットとは恐ろしい、例え前作の半数動員でもヒットは約束される。

続編は、二基の波動砲を備えた新鋭戦艦が何故か無力で
最後は「奇跡の命」を見せた1作目を踏みにじる古代と雪のカミカゼ特攻。
アニメーターとして、その後のグダグダ継続作も見るが
もう、子供が親に威張れる作品ではなくなったなと思った。

第一作当時、大人には黙ってたが不満はたっぷりあった。
ドメル艦隊だけで、あれ程の戦力を持ちながら最後は4空母との決戦で?
その不満の受け皿となったのは、
ヤマト2ではなく「機動戦士ガンダム」だった。
視聴率、再放送の状況、映画化までの運びはヤマトと瓜二つだったと思う。

冨野さんは、そういう事がわかっていると思っていた。
だから「愛の戦士たち」にぶつけた皮肉で「哀戦士」なのだろうと
勝手な解釈をしていたのだが…。

ZガンダムでマークⅡとの台詞を見た時にガンダムならタイプⅡだろう?
初見で「第一作は、忘れられてる…」と思ったし、
ビグザム量産の暁にはMS、艦隊戦など、あり得ない時代に至るはずで
続編想定してない物の無茶なシリーズ化に追い込まれたな?と思った。

ガンダム世界には言の葉がある。
「ギラ ドガ」「ヤクト ドガ」「アルパ・アー・ジル」ならジオン訛…。
「サー・ザビ」なら、どうだろう?皮肉の混じった良い名に思える。

ヤマト1には副産物として物語内容の違う小説やマンガ版が複数あった。
ガンダム1も監督著作の内容の異なる小説版があり、それも読んでいたことが、逆シャアでのビームサーベルフォルムを考える上での参考になった。

今や超望遠画像の前にミノフスキー粒子は空しく
携帯電話のおかげでテレパシーへの憧憬も無い…
子供騙しを、どれだけ真剣に作るかが我々の仕事であるが、時代は流れる

しかし、映像作品が、ビジネスに骨まで、しゃぶり尽くされるのは
どうしてなのだろう?(なんとなく解ってて問うてます。笑)
例えば著作権のきちんとした音楽、小説業界、ヒット物のパート2を出せとはファンも企業も要求しない。期待されるのは常に、それを作った人の新曲、新作になる。チャレンジと成長を促しているという事だ。
(シリーズ化は、曲では虎舞竜とマツケンくらいか…?)
それらの業界に比べると、周囲に宿る評論家等もヨイショと自己肯定で
悦にいる「ブリキの太鼓」持ちが多くて、、、リスペクト?です。
(今回、記事を追加した動機かも?)

漫画デビルマンに戻り、その後のアニメ化、実写化がまるでダメだったのは
何故だろう?と、全5巻の構成を振り返った時。
ああ、あの時代と漫画でしかできない物語なのだと自分は理解した。

そんな事から、流れ着いたアーケードゲーム制作という業界の中で
自分は「ゲームでしかできない事をやりたい!」と強く思うのでした。

(ブログのコメから、たまには感情的に、第19夜…?蛇足かな?…迷い中)

以下、有料となりますが金額高めですので、第18夜までの相応の価値があると思う方だけ、お進みください。一応当時の現場状況がわかるかと思う、
「逆襲のシャア」の記録となります。

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