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第17夜【メビウスの輪の中で】

試写会後にも方南町の仕事をしていたはずだが、しばらく何をしていたのか記憶が無い。

その後、常磐ハワイアンセンターのシミュレーション映像の作画監督や、
JRAのツィンクルレースの場内CMの企画からコンテまでをやったりもし、
「企画って面白いな」などと思った。(自分の二番目の企画経験)
念願の演出をやらせてもらえることになり、サムライトルーパーの絵コンテを切ったり、ホワッツマイケルの演出をやったりしているところだった。

が、突然、方南町の社長が「仙波君、このオンボロアパート引き払って、
ワンフロアのビルのテナント借りようと思うんだよね」と言って来た。
社長は私より20歳年上で、もともとアニメ畑の人ではなく、昔の会社で自分が制作作業を教えた人だった。余剰利益が出すぎてると言う…。

「そりゃそうだろう?」と思った。
逆シャアのギャラだけでTV物の原動画グロス受け2本分くらいになるし、
出来高の動画担当者たちの単価を上げてあげたくてレイアウト担当したロボタンでは、750枚で映像を仕上げ、ホワッツマイケルも規定枚数以下で演出するようにしていた。
さらに社長は口を滑らせ「自分たちの給料は上げちゃった」という…。

「それは大間違いで、箱物に金を使うなら人にまわさなきゃダメになる」と言った。このスタジオは、まだ若くスタッフもそこまで育っていない…。

「冷静にならなきゃ」と思いながらも、
数年前、フリーであった自分はTVアニメ枠が極端に数を減らす大不況を体験していた。仕事を受けていた会社は、アニメ雑誌で取り上げられる花形演出家で有名な会社だった。
TVアニメの予算的採算セル枚数は30分物で3500枚が無難な線である。
それを無視して演出や作画が7000枚~とセル枚数を使えば、マニアは大喜び、制作者はアニメ雑誌に持ち上げられスターとなる。

しかし、その赤字資金はスポンサーから出るものでもなく、制作会社負担となる。そのしわ寄せをモロに喰らった。
仕事をしても振込予定日に銀行に金は入らず、21歳…。
空かした腹を水で濡らしたテッシュを噛み噛み誤魔化しながら放映に間に合わせるべく仕事をした。その演出家の笑顔あるアニメ雑誌など足で踏みにじりたくなった。

そうした人を自分はバカと思ったが、その正反対にいた自分もバカだった。

今年のこんな仕事の流れが、作画会社レベルで来年もあるとは限らないし、
過去、フリースタジオやZ5などに勤めていた経験と、
大きなフロアだったキャプテン翼の動画チェックをやった土田プロ、
そして逆襲のシャアで改めて体感した事の顛末。を比較していた。
大きなフロアでは一人徹夜するだけでも冷暖房もつけっぱなしになる。

その意見の違いは日ましに感情的な喧嘩となり、方南町のスタジオを離れる決意をした。

もし、自分がアニメ界に入った当初に制作を経験していなければ、
純粋に絵を描く事だけを楽しめたアニメーターであれたかもしれない…。
自分が良かれと思ってしたことが、間違っていたのか?正しかったのか?悪かったのか?その後も、自分の性分は変えることもできず、メビウスの輪の中で生きてきた気がする。

多少、時系列は前後するかもしれないが、これが私の逆シャアの記憶です。
-次回18夜を追加予定しています。-

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