書評:『自分の中に毒を持て』 岡本太郎

 自分は他人と違う、これを良いと捉えるか悪いと捉えるかは人による。私は前者だ。実際に自分の行動の基準は自分にしかできないことをすることだった。

 楽なのは皆に合わせることだ。私は規範意識は人並みにはある。周りを気にせずにいられるほど図太いわけではない。皆と同じであれと個性を出せ。この両面から押されて私は形作られる。

 個性を出そうとした結果、苦しい。もちろん周りに合わせることの方が波風は立たない。みんなと同じことをしていたら、空気も読めるだろう。それでも王道を結果的に選ばなかった。そんな我が道をゆく人なら、ぶち当たる壁がある。自分はそれでいいのだろうか?みんなに合わせてみんなの望む幸せを掴まないか?大学に溢れているあの当たり前の一員にならないか?

 もう戻れない。私は選択してしまった。わざわざ逆張りしてしまったのだ。周りの当たり障りのないコミュニケーションは当時の私には逆張りする理由に十分になり得た。その頃だった。私が求めているものの難しさに気づいたのは。私はより多くを求めている。そのためには1人でやらなければならない。人より多くやらなければならない。交友関係を広げても楽しい時はすごせないという実感があった。蓋を開けてみれば厳しい立場に置かれている。自分の道が見えない。

 皆と迎合しない道を選びながら、彼らに嫉妬する。そんな欲張りな私が苦しい。そんな時間を犠牲にして私が得たものはなんだろうか?効率を重視する大学生側の本音と同じ水準で生きてしまった私に、学問の道は開くのか?今となっては全てが遅い。私の選んだ時間を自分に使う道はここまでの境遇につながるとは知らなかった。浅慮により、失われた時はやるせない。皆と迎合しないだけで、そんな目にあうとは思えなかった。

そんな時岡本太郎にであった。

命をかけて運命と対決するのだ。そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の味方であり、また敵なのである。

人間らしく生きろ。自分に甘えるな。死に対面する以外の生はない。

今までの自分は消極的にしか生きていない。夢を見ることは青春の特権だ。

どこにも属してないで、自由に自分の道を選択できる若者だからこそ決意すべきなんだ。

挑戦した不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者は違う。

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。

むしろ、まずくいった方が面白いんだ。

一度死んだ人間となれ

自信もない、こいつだけは貫きたいという情熱もない。

誰もが何かしなやいけないと思っている。それが一体何なのかはわからない。

自信はない、でもとにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬にかけて、ひたすらやってみる。それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。
意志を強くする方法なんてありはしない。

絶対的な自分、他人に対して自分がどうであるかではない。

自分は頭が悪いと言いながら、そのくせ内心では、そんなこともないかもしれない、と思っている。そういう複雑に絡み合ったものがコンプレックスだ。

未熟だからこそ消極的になってしまってはダメだ。未熟である意味がなくなってしまう。

行き詰まりを切り開くには、むしろ自分自身を行き詰まりに突っ込んでいく。強烈に生きづまった自分に戦いを挑んでいくことだ。

自分の大間違い
モノマネ人間には何も見えない
一度死んだ人間になれ
直線と曲線の違い
楽に生きる人間は何を考えているか
エゴ人間の幸せ感覚
好かれる奴ほどダメになる
綺麗になんて生きてはいけない
自分を笑ってごらん

ダメになる方、マイナスの方の道を選ぼう、と決意してみるといい。そうすれば、必ず自分自身がワァーッと盛り上がってくるに違いない。それが生きるパッションなんだ。

彼は僕の生きる道を決定づけた。俺の人生逆張りや!
逆張りしている俺は輝いている。


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