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『スパイダーマン: アクロス・ザ・スパイダーバース』感想及び映像制作現場について思うこと



前作の熱狂ぶりを更にまたプルスウルトラで超えて来る続編の仕上がりと作品としての強度に、息をつく暇もなく驚嘆するばかりだ。本作が誇る極上の映像美は、繊細で濃淡が秀麗なグラフィックアートのようなタッチと、躍動感溢れてメリハリのあるキャラクター達の存在で独自のデザイン空間を構築する。その作品世界での没入感は凄まじく、スパイダーマン達によるスピーディーな攻防に加え、緩急のあるアクションで見れば見るほど惹き込まれていく。今作ではグウェンの心理描写にフォーカスが大きくなり、彼女が抱える個としての自分とヒーローとしての自分の狭間でアイデンティティの折り合いがつかなくなる苦悩は、スーパーヒーロー作品においては普遍的なテーマでありつつも、正体を隠して活動するスパイダーマン特有の宿命に葛藤する内省的なドラマがある。超絶のアクションシーンに関しては、とある日本人クリエイターの活躍もあるので是非こちらも読んでおいてほしい。
※リンク先参照→
https://www.cinematoday.jp/news/N0137587


マルチバースの解釈や概念もまた更にスケールアップし、次元の壁を超えて実写のキャラやシーンまで取り込んだ演出はカオスだが鮮烈でとにかく面白い。特にミゲル・オハラが取り仕切るスパイダー・ソサエティの視覚情報量は異常で、何しろ200体以上ものマルチバースに散在するスパイダーマン達がうろついている光景は脳がバグる。鑑賞するには字幕よりも吹替がベターだろう。ビジュアルや映像表現では極北の域に達しながらも、物語の軸としてしっかり主人公マイルズの戦いも骨太に描写される。犠牲が避けられないスパイダーマン故の運命論に真っ向から、世界も愛する人もどちらも救いたい真っ直ぐな自由意志がぶつかり合う姿は感動的だ。大局的な視座を持つミゲルと、宿命に抗うマイルズの信念はどちらも間違っていない互いにトレードオフの立場にありながらも、想いが交錯して衝突しながら超克していく様が劇的で、究極のヒーロー作品であると同時に原点だと痛感できる作品だ。

数え切れないスパイダーマン達を全て追うのはほぼ不可能…!?


それと決して忘れてはならないのは、本作が完成するまでに製作陣の方々は我々が推し量るに余りある困難を乗り越えて来ているという事実だ。もちろんこれはどの作品にも言えることではあるが、とりわけこのアクロス・ザ・スパイダーバースでは製作の段階で大きなトラブルが生じており、既に物語のアウトラインが決まって映像の書き出しが行われてから、脚本家のフィル・ロード氏の意向で再編集を余儀なくされたという。いわば白紙に戻す行為に近いレベルでの作業だ。関係者によれば、その影響で約100人のアーティストが結果的にプロジェクトから離脱したとも報じられている(プロジェクト自体は1000人以上はいたとのこと)。アニメーション製作の現場の過酷さを物語る事例ではあるが、一方でより良いものを作る上で必要なプロセスや試練とも捉えている声もあり、事態はそう易々と一元的に語れるものではなさそうだ。


かのマーベルスタジオでも、労働環境の深刻な問題が一部のVFXアーティストによって告発されたケースが記憶に新しい。短納期で高品質な作品を常に製作し続けなければならない実情に疲弊したクリエイター達の叫びや、マーベルが良くも悪くも多大な影響力を持つ超一流会社として成長してしまった背景が生々しく記されている。
※リンク先参照→https://theriver.jp/marvel-vfx-overwork/


マーベルスタジオのみならずハリウッドで好成績を収める大作の裏では、こうしたアーティスト達の苦悩が確かに存在する。スタジオの要求に応えるべく、コンペ制式で各制作会社が競い合い、結果として安価な方に仕事が振られて市場の適正価格も下落し、高いスキルや価値提供を有しているVFX制作会社でも苦境に立たされているとの現状だ。こうした利益相反を生む市場構造が、今後の映画やアニメ及びドラマの未来を暗くしてしまう懸念はやはり大きい。※リンク先参照→ https://theriver.jp/vfx-companies/


日本でも同様のケースはいくつかあり、あの『サマー・ウォーズ』や『パプリカ』などを手掛けたマッドハウスは(個人的には『デス・ビリヤード』推し)、労使協定で定める上限を超えた時間外労働をさせ、残業代未払いがあったとして、 2019年に労基署から是正勧告を受けているし、『呪術廻戦』や『チェンソーマン』などダークファンタジー系のアニメ制作に長けているMAPPAでは、『進撃の巨人』の元アニメーターが不条理な現場の実態をSNS上で告発した事が話題にもなっていた。いずれも作品はどれも素晴らしいものばかりだが、映像制作に関わるクリエイター達が悲鳴を上げる現状は無視できないものだ。


一方で、こうした業界に強く根付いた諸問題を解決に導く動きもあり、今年の4月には、アニメ業界に山積する課題解決を目指す、一般社団法人日本アニメフィルム文化連盟(NAFCA)が設立されたりなどした。※リンク先参照→https://news.yahoo.co.jp/articles/b34b71aef2dedd6fb967f4e60ff13bf9473b0fb4


もはやビジネスモデルとしては破綻しかけており、制作側の熱意で成り立っているような"やりがい搾取"とまで表現される現状を打破しようという、前向きな取り組み姿勢は素晴らしい。こうした一歩ずつでも着実に前進している動きがもっと広まれば、アニメや映画や広くはサブカルチャーの未来も少しは明るくなるだろう。


話はだいぶ大きく逸れてしまったが、アクロス・ザ・スパイダーバースは、先述したクリエイター陣の並々ならぬ苦労と、技術の粋を結集させた事で、あの驚嘆たる無限の可能性を秘めた作品世界と、極上のヒーロードラマに仕上がったと言える。


またマイルズについては、原作コミックだとアフリカ系とヒスパニック系の両親から生まれたというアイデンティティがあり、その出自の影響で黒人に対する風当たりの煽りを受けることもある。劇中ではそれに類する描写は特にないが、先のスパイダーバースでの立場も然り、背負ってるものは非常に大きい。実写シリーズではアメスパでも描かれたグウェンの悲劇的な死であったり、スパイダーマンは犠牲が避けられない存在である事が自明されてきていた。


愛する人を失うというカノンイベント(本作で出てくる概念で、不可避の運命的なニュアンス)を捻じ曲げるとマルチバース全体の崩壊に繋がるという、残酷な真実を知ってしまったミゲルの理屈はマクロな視点であるし、そのために宇宙全体の存続を選ぶのも正義だ。けれどもマイルズは、分かっていて見て見ぬフリをする大人たちに迎合できず、愛する人も世界も自分にとって大切なものには、大小や優劣の線引きをしない。それ故に運命に逆らって奔走するあの姿が泣けて仕方ない。


清濁合わせ飲んで、合理も不条理も受け入れる諦観した大人たちと、いつだって可能性を捨てたくないし、自分が思うままに選択して動くことに意味があると信じて突き進むマイルズの根源には、マイルズ自身の人間性と純粋な自由意志が強く現れている。


長くなったが、これほどまでに作品完成度の高いグラフィックやビジュアル、そして深遠なヒーロードラマに仕上げた本作には感謝の意を捧げたい。そして1人でも多くのクリエイターが今後報われていく事を切に願う。

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