見出し画像

『ブラッククローバー 魔法帝の剣』 鑑賞及び感想



3年半のアニメシリーズに一旦ピリオドを打ち、初の映画として全霊を賭した意気込みや熱量を大いに感受できるような作品だった。Netflixでも公開と同時に配信されたが、これは劇場のスクリーンで観た方が確実に英断と言えるほど、スペクタクルな魔法バトルに圧倒される。冒頭のコンラートvs魔法騎士団団長達との熾烈な攻防戦から劇場作ならではの大迫力とボルテージが大画面で炸裂し、ファンはもちろん初見の人すらも魅了できるであろう王道ファンタジーものらしい作劇に一気に呑まれる。以降も個々の活躍が目覚ましく、キャラそれぞれの特性を活かした見せ場づくりも整理されていて、見やすい配慮も徹底している。


窮地に陥る団員たちを鼓舞しその場の全員の士気を高揚させるやり取りや、各々が当事者意識を持って事態の収束に当たる姿は、いつも誌面やアニメシリーズで見ていた黒の暴牛のメンバーそのもので、個々が得意分野で活躍を魅せる連携や、絶望的な状況でも決して引き下がらず諦めないマインドはブラクロの醍醐味がしっかり現れていた。それにこれは自分の深読みかもしれないが、終盤のアスタが最大攻撃を繰り出す場面は悟空の元気玉の要領だったし、コンラートが帝剣エルスドキアを魔神の頭骨に突き刺すポージングは、BLEACHで一護が双殛の磔架を破壊する際と酷似していた(下記画像参考)。まぁ、作者の田畠先生はBLEACH展のコメントにBLEACHから様々な影響を受けた事を公言していたから、オマージュの範疇であるだろうと思う。

コンラートが帝剣エルスドキアを魔神の頭骨に突き刺すシーン
BLEACHの一護が双殛の磔架に斬魄刀を突き刺すシーン


その反面、惜しいのが内省的なフォーカスが足りず、特に映画オリジナルキャラである歴代の魔法帝たちの行動原理やバックグラウンドが後景化してしまっている点だ。発言の端々にクローバー王国に対しての不平や不満は滲んでいるのだが、本人達にそう言わしめるまでのプロセスが丁寧に描かれていない。肝心のコンラートでさえ、何故彼が王国そのものをリセットすることに執着しているのか、その元凶やターニングポイントが片鱗に触れる程度なのが残念(小説版にはその辺りの心理描写はあるかもしれないが)。他作品の言及になるが、ONE PIECEの劇場版作品のFILM GOLDでも敵であるテゾーロのバックグラウンド描写が足りないせいで(クライマックスシーンにフラッシュバックで過去に触れる程度)、ラストのカタルシスが不十分に終わったのと個人的に同じ感覚を覚えてしまった。こうしたパターンは特典の設定資料集には、オリジナルキャラの過去にまつわる詳細が記載されている場合が多いのだが、尺のせいもあってか劇中では描き切って貰えないので、非常にもったいない。強大な敵であるのに、その志を持つ大義を成すための理由と背景に説得力がなければ、下手をすると露悪的なヴィランに成り下がってしまうリスクすらある。

今回はまだ演じる声優さん達の演技力が凄まじく、完全にキャラクターそのものに命を吹き込み血を通わせていたおかげで、クライマックスは泣きそうなほどアスタとコンラートの一騎打ちは感動ものだったが(コンラート役の関俊彦さんとアスタ役の梶原岳人さんの気迫溢れる掛け合いは必見)、是非とも次作があれば敵キャラの心理描写にもっと肉薄してほしいものだ。特にコンラートの青年時代や、団長や魔法帝に至るまでの過程はキャラクター性を深く知る上でも是非とも見ておきたかった。


余談だが、珊瑚の孔雀団のドロシー団長が見れたのは俺得で嬉しかったし、歴代魔法帝たち固有の斬新な魔法属性と、規格外な広域制圧の攻撃魔法は見事だった。とりわけ驚嘆したのは、コンラートの鍵魔法である技名には"双面神(ヤヌス)〜"というフレーズがいずれも付くのだが、このヤヌスが何かというと、調べるとギリシャ神話における時間を司る神であるらしく、またこの双面はそれぞれが過去と未来に向けているというのだ。如何にもメタファー的な設定だと感じざるを得ないが、恐らくは、過去=コンラート、未来=アスタという表現や対比にも取れるし、クローバー王国の未来のためにこれまで歴史の影で封殺されてきた過去と向き合い対峙する本作のテーマにも通底する気も覚える。そう考えると実に意義深く、緻密な作り込みだ。作者のこだわりや脚本や構成に携わった製作陣の熱意は他にも設定資料集を読むと、尚更に伝わってくる。


とまぁ、色々と生意気に語らせては頂いたが、結論として本作は映画化するに至る心意気と監督から声優やアニメーターの方々や主題歌担当のアーティストまで、製作陣が為すこの総合芸術は一ファンとして大いに心が湧き立つ素晴らしいものだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?