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刈安(かりやす)  「香染記」  

香日和「こうびより」「こうにちわ」とも~    九之記

古代からの聖地といわれる二子玉川(にこたま)、〈将監山〉
想えば「秋」、刈り残されたすすきが稲藁束のように枯色(かれいろ)を柔らかく輝かせ、銀色の花穂が風に揺れていた。
枯野、霜枯、枯色、黄朽葉、青朽葉と平安人は移り行く時間と風情を次々と愛しみました。
薄(すすき・尾花)は日本古来の黄を染め出す刈安(かりやす)と同種のイネ科です。

刈安のアルミ媒染。煮出さないと透明なうすい黄染液で、これでは絶対染まらない!とつい沸騰させてしまう。すると、灰汁も多く出、黄土色となる。それは江戸の黄八丈の色。黒繻子の衿や帯、同心の黒羽織と黄八丈のきものというように、江戸時代大流行した粋な色あいは、渋い黄と黒の艶やかな対比の組合せです。

人は多くの出会いと別れを繰り返しながら生きています。
大切な人とはどの様な香りでときめいたでしょうか?
大切な人とはどの様な色彩で癒されたでしょうか?
『源氏物語』の原文は色と香りで秘められた情報を語っています。

源氏物語第四帖「夕顔」、源氏17歳の出会いは、色と香りで始まり、音を心に響かせて、恋しう思ひとなりました。
光源氏が病気の乳母の見舞いに立ち寄った下町の庶民の家並み、夕顔の花咲く隣家、若い女性の人影、源氏は何かを感じ、花の名を問いかける。すると家の中から召使いの女の子が姿を表わします。

『切懸だつものに いと青やかなるかづらの 心地よげにはいかかれるに 白き花ぞ おのれひとり 笑みの眉開けたるーー 黄なる生絹の単袴 長く着なしたる童の をかしげなる 出で来て うちまねく 白き扇の いたうこがしたるを これに置きて参らせよ』
この童が「*生絹(すずし)」を着ていることからも、下町の(五条あたりの)この家の女主は貴族の縁者と解ります。
この「黄なる」こそイネ科の「刈安」で染めた「女郎花色」です。

古代中国、黄は地の平らな玉を意味し、大地の色、確かにそこに存る色とも
云われています。黄色の狐は地の化身として信仰されました。
瑞穂の国日本では、黄色は豊穣の色、稲の黄金色です。豊穣の化身狐は「稲荷(いなり)」神となり、黄色繋がりで油揚げを供え、祈願します。   農村だけでなく、商家でも祀られるのは、黄色繋がりの黄金、商売繫盛でしょうか。
「刈安」の緑を隠した黄色は粟飯粒のような小さな花と、茎の節から左右対称に小枝を出し、すっきりとした立姿から清楚で可憐な女の子に例えられ、「女郎花(おみなえし)色」と言われます。

身近にどこでも見られる草なので、色の位は高くない。従ってこの家の女主は貴族の縁者であっても、今、高い身分ではない。   また女郎花は秋の七草なので、この夏の情景では女郎花とは云えず、「黄なる」と表したと解かります。
檜垣に続く、板を打ち付けただけの門、青々とした緑の夕顔の葉が巻き付き、白い花が微笑んでいる。出て来た童は、黄緑の生絹の袴を着、白い扇は涼やかに香り高い。
源氏の目に映る色は白と緑の世界。夏の暑さ、日射し、気だるさまで感じられます。

白い扇は『もて馴らしたる移り香 いと しみ深う なつかしくて』とあります。扇の香りは、この女性夕顔そのものを表わしています。
誰にもある心の奥の大切な感情「なつかしい」の一言で、夕顔の優しさ、妖しさ、はかなさ、母性を想像させます。源氏の心をときめかせた香りは、なつかしく深く染み入りました。

『ごぼごぼと鳴る神よりもーー唐臼の音もーー白妙の衣うつ砧の音もーー』源氏と夕顔二人で過ごした早朝に聞いた音、見た景色。  息絶えた夕顔をしずかに思い続け、かの砧の音も、耳につき聞き苦しかったことさえ 恋しく思い出す。『源氏物語』は色と香りで素晴らしいドラマを描いています。
夕顔と頭中将の間の女児の名は、いと青やかなる蔓(かずら)のはひかかれる夕顔の実(瓢・ふくべ)「玉鬘」です。    そして『心あてにそれかとぞ見る 白露の ひかりそへたる 夕顔の花』と扇に書きまぎらはした夕顔の遺児・玉鬘は二十年後、『露のゆかり』として劇的登場します。

『檜垣といふもの 新うして 上は 半蔀四五間ばかり上げ渡して』とあります。 下町の垣根は柴垣が通常ですが、なぜ、檜なのか?それも新しい。
檜の木目の美しい生成り。檜のすがすがしい芳香。白と緑の世界にふさわしい源氏の登場場面です。
ここにも紫式部の美意識とこだわりを思います。

『源氏物語』第四十二帖「匂宮」  『秋は 世の人の色に愛でづる女郎花ーーをさをさ 御心移し給はず 老いを忘るる菊 衰へゆく藤袴 物げなき吾木香などは いとすざましき霜枯れの頃合ひまで おぼし捨てずなと』
薫のいと怪しきまで人の咎むる香に、あがらい匂宮は香りがなければ、世の人が皆、色を愛づる女郎花でさえ心が動かない。
誰もが、心動かされた「緑隠れ黄」は、現代では「菜の花」とも云われ、月と菜の花、桜と菜の花のように歌にも多く詠まれ、現代の私たちの心も詩情を感じます。
菜の花に,誰もが感じる心の色は「なつかしさ」でしょうか。

「緑隠し黄」から緑を表に引き出し「緑萌えの黄」を染めたいと、銅媒染。葉緑素を重ねる等悪戦苦闘。が、草色ではなく、苗色・若苗色となる。
赤味を出す錫媒染でやわらかい、心癒される藁色に。
やはり刈安がイネであることを再確認。
私たちは、しめ縄で神の世界との境界を知り、米俵で流通を行い、稲藁から、屋根、蓑,笠で雨をさけ、わら納豆で発酵食品を得た。
稲から生きる基礎をもらい、藁から豊かで機能的な生活と知恵を創造してきました。

                   染日和「そめびより」に~


香日和「こうびより」「こうにちわ」とも~      十之記

生絹と書いて「すずし」と読む。
『源氏物語』に幾度も、さりげなく、でもとても大事な意味と情報を秘めて登場します。  生絹(すずし)とは何でしょうか?
絹が「生」という意味は? そして、それを「すずし」と云うのは?

繭五粒を合わせて一本の生糸。五粒の生糸を二本併せた十本の繭糸が、三千年昔、殷の時代、生絲の基であり、象形文字「糸・絲」となりました。
繭から引き上げたままの、手を加えない生の糸(きいと)で、縦横を織り上げた布が生絹(すずし)です。
生糸は、日本の古代絹「綺の糸」、織り上げた「綺布」は吸収性と保湿性、伸縮性と張力性と相反する優れた特性を作り出します。
「古代綺布・香染」という世界に、唯一無二の美しいものを現代に甦らせ、千年にわたる「幻の美」が実在したと証明しました。

硬く存在感のある野趣の「生絹(すずし)」は、天の恵み蚕が作る絹糸の外側セリシンが付いたままです。ハリやシャリ感があり、夏の暑さには肌にベタつかず「涼やか(すずやか)」。四季ある日本では、人は創意工夫で、
「打絹(うちぎぬ)」砧で打ち、面を広げ、光彩をだし、張りのある衣。
「練絹(ねりぎぬ)」灰汁(アルカリ)で煮て、セリシンを溶かし(練る・ねる)柔らかな衣。と、肌を包み、あたたかな冬の衣を加えました。

二枚を重ね併せ色を見せる「襲」の多様な表現を可能にします。
「襲」は色の重なり、視覚だけではありません。絹の肌触りの触覚をも一体化させた美をも創りました。                     この絹と光沢と触覚を見事に表現し、繊細優美な名で呼びました。
「白襲(しろかさね)」とは表打絹、裏練絹
「氷襲(こおりかさね)」とは表打絹、裏生絹  光が映す氷のきらめき
「雪襲(ゆきかさね)」とは表練絹、裏生絹   冬のあたたかさ
女君の襲に「雪の下襲」があります。表雪襲、裏紅梅の練絹.      梅の枝には未だ雪が積もっているが、紅梅の蕾はほころび始め、心ときめく香りが春を告げている。
お茶花の「雪の下」は茎は赤く、真白な花びら。和名は「平安の美」。
今日でも花嫁衣装の「白無垢」の綿帽子(練絹)や打掛(打絹を引きかける)に見ることができます。

「玉鬘」の帖『四月の のし単衣めく物』とは、冬の練絹では暑いので、逆に糊をつけ、火熨斗をかけて生絹の張り感を出した単衣。五月に着用するものを早めに季節感を取り入れた、と読み取れます。          『ここかしこのうち擣殿(うちどの)より 参れるものども』砧で打ち光沢を出す専門の場所(殿)を各々の宮でも持っていたことも解ります。
『艶やかなるかい掻練とり添へて』『いと濃き搔練具して』と裏表紅色の練絹の下襲のことで、華やかで、柔らかく、あたたかい。お正月の衣装にふさわしいものです。源氏が贈った相手は明石の姫君と花散里です。何故か?

『源氏物語』三帖「空蝉」に早くも登場。源氏17歳の夏です。
「やをら起き出でて 生絹なる単衣ひとつを着て すべり出でにけり」
単襲とは二枚の単衣の袖口や褄を縫いあわせず、捻り重ね、あるいは水をつけ、火熨斗で重ねと一枚の様に見せ、直接素肌に着ました。
だから「単衣ひとつ」なのです。二枚の上の単衣を取って着て、「すべり出でにけり」なのです。源氏は空蝉の人香にしめる、残されたもう一つを持ち帰る。自分の衣の下に引き入れて出仕する。
「夕顔」の帖で空蝉の夫、伊豫の介が任地に赴く時、かの単衣を『いとわざとがましく』空蝉に形見にと返す。その時単衣はもう源氏の香にしめ変っている。
空蝉と源氏の物語は「生絹」で始まり、それから二十年に渡る人生のドラマが綴られます。
一枚の布が、布の色目が、人と人の縁をドラマティックに演出し、出会ってから二人の間に流れた長い時間と想いを、処々の帖に描かれる数行の色と香りの表現だけで結び付けていく。

繭糸は、繊細な気胞を持つ、角のまるい三角型をし、太さは同一ではありません。この不揃いさが、空気を多く含み、親水性からも染液を糸の芯まで浸透させます。そして、真珠と同様のタンパク層状構造が、光を透過させ、反射、屈折と幾重もの薄い膜の中で「光彩ハーモニー」を創り出します。

私の思う古代絹の生絹をかたちにして、そのイメージから「空蝉ショール」と名付けました。
ショールを織っていた6月のことです。例年より気温が高く、杼を持つ手も汗ばみ、織前の布が手の平にまとわり付きます。糊が着いている様な感触です。天然のセリシンの膠を生かし、水をつけ、火熨斗を当て、二枚を併せられると謎が解けました。
繭から引いた「素(そ)のままの絹・素絹(しろぎぬ)」を手織りしていた時のこと、左右の布端に微妙な角ができます。強く横糸を打ちこんでも 反発力が強く、空間が粗くなります。『源氏物語』にある「軟障」はこれかな?もっと柔らかく緻密な布にするには?

現代に続く生絹。日本のきもの布地の代表「羽二重(はぶたえ)」とは。
古代の白妙の「たえ」を意味し、古代の平絹は美しい光沢があり「光絹」とも云われるが羽二重と同種織布。
筬の一羽に数本入れることから羽二重とも。
極細の無撚り・無練りの生糸2本を一羽に4本引き揃えた経。
極細の無撚り・無練りの生糸2本引き揃えた横糸を水に浸し、柔らかくして、緻密に織る。(湿し織り・しめしよこ)。織上がり後、セリシンを除去することで、繊維と繊維の間に空隙ができ、柔らかさと光沢が生まれる。(先織・後精錬)。
奈良時代から現代に受け継がれた、絹を知り、絹を愛した日本独自の絹文化の美のかたちです。

「湿し織」は、静岡県掛川の葛布を学ばせて頂いた時、体験しました。
繊維の硬さや太細に逆らわず、箸棒に手巻きし、棒を抜いて、水をはった器に浸し置く。船底型杼を用い、タオルで余分な水気を取りながら織る。
常に水気が手に付き、指先は糊状のセリシンでふやけ、よく痛めました。
確かに、奈良時代からの「湿し織」は水を利用するだけの秀れた技法ですが、製織後、精錬でセリシンを除去します。すると、布の毛羽立ちや絡みを防ぐ「糊付け」が必須となります。糊付けは現代でも各産地の秘伝です。
糊にする布糊(ふのり)や澱粉は生食材で、湿り気があるとカビが発生します。
私も若き日、奄美の強い日射しのなか、作業場の庭一面の糊付け糸綛の天日干し作業。綛糸捌きで両腕が赤く腫れ、熱中症にもなりました。

「生絹」を柔らかく光沢のある衣にする迄の人の知恵や想い、各工程の技術創造、脈々と続く、絹衣への挑戦は、日本の絹文化の長い歴史です。
そして現代、機械化量産の為、強撚糸、強精錬で45%もセリシンを除去し「針金」といわれる絹糸になりました。

私はセリシンをどう除去するかではなく、大切なセリシンをどう残すかに、長い間、心を砕いてきました。
『香染』が全てを解決してくれました。

素の綺の糸(生糸)500gを「香染」。よく水洗い干した後計量。446g。  差54÷500で約10%セリシン除去。
約25%のセリシン四層のうち、外側四層目は0.3%と薄く、均一でもない。染めムラの原因ともなります。
0.8~20%を目安に、各々の風合いを楽しみながら、水と熱だけの自然なかたちで「香染」を行っています。

「素絹糸」に色と香りを「しめる」ことで、絹の素色(しろいろ)は光の「白色」になります。
透明な奥深い光彩の美色と、心と身体に優しい芳香と薬効を染めた綺布は身に纏われて完結します。
「香染空蝉ショール」は纏う方の思いをそっと抱きしめる柔らかさと、空蝉の感情におぼれず、すくっと立った心意気をイメージに肌にまとわりつかない張り感をお届けします。

                  染日和「そめびより」に~











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