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『初音』の帖     『香染記』

香日和「こうびより」「こうにちわ」とも~     十三之記

『源氏物語』五十四帖は、「色と香り」を重要画材として描いた絵物語。
例えば「初音」の帖は、新年の情景を白と青(緑)のみの色(光)で描いた美しい絵のような物語です。
「色」は二種ですが、いく種もの「香り」で満ちています。その一つ一つを謎解いていくと奥深い色と香りの世界に魅了されます。

「白」は太陽の光が上方に放たれ、「しらむ」から「しろ」になった中天の太陽の色。 光の色。 「瑞色(ずいしょく)」。
全ての色の中で最も明らかな(顕著な)色は「白」。
目に見える色の白と、目には見えない光の白。
白は無垢の命。白は終わりにして始まり。死であり誕生。 永遠の再生。

__色で情景を描く__
太陽は朝東から誕生し、夕に西に沈む。年は過ぎ去るものではなく、『年たちかへる朝(あした)』。永遠の再生で始まる元旦です。
自然を畏れ(おそれ)、敬い共生してきた古代からの感覚です。
「あした」は朝のことでしたが、明けた次の日の朝で「明日」の意味に、現代では使われています。

一年の初めの朝、天皇は太陽を拝する「朝拝」と、天地四方、日月星辰を拝する「四方拝(恵方拝)」で天下安泰を祝ります。
源氏の六條院でも『歯固めの祝ひして 餅鏡をさへ取り寄せ 祝ひことどもして 寿せむ』
「歯」は齢(よわい)のことで、大根、餅、押し鮎等白く固いものを食べ、長寿を祝います。
若き日、初釜の「はなびら餅」が美しく柔らかで楽しみでした。包まれた甘煮の牛蒡が固く、押し鮎に見立てていたのですね。持ち帰り母と「歯固めの祝」をしました。その所為か母は百一歳で元気でわがままです。
現代も、私たちの暮しの中の大切な日や場面で「白」と必ず出会います。
「固め」は相撲の「四股を踏む」と同様、安定繁栄を祈ります。相撲の櫓の青房(東)・白房(西)・赤房(南)・黒房(北)・土俵の黄も五行五色からです。

__色で情景を描く__「雪間の草 若やぎ」色。
『雪間の草 若やかに色づき初め』
冷たい雪の間から黄緑の草が元旦の陽の光を受けて、あたたかく優しく輝いている。それを「草若やぎ」と表現。今は雪や氷が覆っていても、もう春が
そこに来ている。
若い草は生命輝く春と希望の色。
「若紫」の帖では、初草の若葉を「若草」と表現。
陰陽では、春は青、「青春」とは若々しい春の姿。夏は赤、「朱夏」といい、秋は白、「白秋」。冬は黒、「玄冬」です。

日本語では草木の緑も「青」という語で表現し、 草木は青々と生命の歌をうたいます。
古代の染色では、草の葉を絞り、その汁を布に摺り付けた「摺り衣」といい
神事の衣として用いられました。『神の忌垣にはふ葛も_山藍に摺れる竹の節は 松の緑に 見えまがひ』と「若菜下」の帖にあります。
植物の瑞々しい生命の一瞬を身につけ、神と向き合ったのではないでしょうか。
青は、白と黒との中間に位置し、どちらへもいける中庸の色。青は緑をふくむ。また「みどりの黒髪」というように、黒く艶のある色も云い、髪に生命の力をみます。
青は藍(そめくさ)、始まりは露草。
「青」を染めるとは露草の青花を布に摺り付け、色を着た「つきくさ」が、日本の染色の始まりといえます。
露草の花を植えた田から「花田(縹・はなだ)」色が日本の青の古名です。縹色を着る花散里、人柄が浮かびます。

__色で心理を語る__「にほひ多からぬ縹」色。
『縹はげに にほひ多からぬあわひ』
優しく控えめな花散里には花やかではない色あいが似合う装いです。
この「にほひ」は香りではなく色のことですが、色香を共にひかえた「青」のイメージです。                          晩年、髪は盛りを過ぎているので、葡萄鬘(えびかづら)で繕った方が良いと源氏は言います。
花散里は、自分のことを気遣ってくれて嬉しく思う。古年(ふるとし)の話もこまごまし、心安らぐ花散里の人柄や、静かで、穏やかな暮らしぶり、源氏への変わらぬ睦まじい妹背の契りが「にほひ多からぬ縹色」に読み取れます。

「黄」に当る光の人も見放ち難く、懐かしく、御心にかかりて年を経ける。源氏は『空蝉の尼衣にも さしのぞき給へり』。何故尼君ではなく「尼衣」なのでしょう?「あのくちなしの御衣を思いだして」紫式部の仕掛けです。
                     (梔子参照)
『なほ心ばせありと見ゆる 人のけはひなり』
男女のことから遠のいた尼となっても、昔よりも奥ゆかしく魅力的な空蝉の変わらない源氏への想い、「気拝(けはい)」、「心遣い」です。

__対する明石の上は__「白きにけざやかなる髪」色。
『暮方 明石の御方に渡り給ふ __御簾のうちの追風なまめかしく吹き_
正身は見えず 唐の綺の錦の_琴うち置き_由ある火桶に待従をくゆらかし__衣被香の香のまがへるいと艶なり__白きにけざやかなる髪のかかりの少しさばらなる いとなまめかしき__こなたに泊まり給ひぬ』
源氏が久しぶりに明石の御方に渡ると、正身は見えず、白い唐の錦のことごとしきしとね茵(しとね)に琴を置き、由緒ある火桶に薫物「待従」をくゆらし、手習いの乱れたる、文が散っている。本人の姿はないのに、明石の上の残した艶なる「香り」、「気折り」、「気拝(けはい)」、「雰囲気」に
源氏は魅了される。
「かをり」とは「気」折り。目に見えないが、確かに存在する力。「気」であり、神・霊力に通じます。
そっとひかえた明石の上は、白い衣にみどりの黒髪がかかり、少し乱れている。色がないのに「いとなまめかしい」。例年は紫の上と過ごすのに、こなたに泊まり給ひぬ。「なほ おぼえことなりかし」。

物語の中で源氏が正身は見えず、「香り」「気折り」に魅了された様に、私たちは、五感で得た情報や知識で、隠された情報や、描かれていない奥深い真実の物語を知ることができます。
和の美意識は、現代の私たちに伝えてくれた大きな贈り物の一つです。

__色で舞台背景を語る__「五葉の枝に移れる鶯」色
源氏の唯ひとりの娘明石の姫君の御方では、子の日、千歳の春をかけて、
『お前の山の小松引き』長寿を祝う。若き人は儀式なのに浮き浮きと遊ぶ。
若松の枝を引いて遊ぶ、若葉のしなやかな力(みどりの力)を引き合う。
現代にも伝わる子供の遊びに「松葉相撲」があります。

明石の上より、この日の為に集めた髭籠(ひげご)、破子(わりこ)が届いている。「えならぬ 五葉の枝に移れる鶯も思ふ心あらむかし」
『年月をまつにひかれて 経る人に 今日鶯の 初音聞かせよ』
有名な「初音」の歌です。「松」と「待つ」、「経る」と「古る」「初音」と「初子」の掛け言葉です。
こんなに美しく可愛く育った明石の姫君と、今まで実の母君が会うこともなく待ち、年月が古てしまった。罪作りなことをしたと源氏は思います。
姫君は鶯(私)は巣立ちし、 松の根(生みの母)を忘れましょうかと返歌する。









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