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 「羊歯 (しだ)」  『香染記』

香日和「こうびより」「こうにちわ」 とも~    四之記

 古代からの聖地といわれる二子玉川(にこたま)の丘の上、〈将監山〉。
ある年の6月、梅雨の晴れ間でした。
私の染め場近くに、羊歯(しだ)が瑞々しく繁っていました。
その羊歯で絹糸を染めました。
すると思いがけない香りが、染め釜から漂ってきたのです。それは海の香りでした。
そして深い海から立ち上がるようで、ある想いへ誘われました。遥か何億年もの昔の地球の情景です。ーー噴火する山、渦巻く黒雲の天、樹木を倒す恐竜、ーー
海で生まれた太古の生命が陸へ上り、太陽光のもと大地に根付き栄えてゆく、奇跡のような情景。そしてもう一つの奇跡、天の虫「蚕」の繭から天与の糸が人にもたらされたこと。今、染め釜の中で、この二つが出会っているのです。そして思いもかけない色が生まれています。
それは緑の羊歯からは想像もできない色です。
素(しろ)の生絹(すずし)の糸は、赤ちゃんの肌色のような柔らかなピンクになってゆきます。
よく見れば羊歯の葉の裏には赤い胞子がついています。海から陸に上った最初の生命の一つは胞子だったと思い出されました。この胞子が陸で生命の繋がりを広め続けてきました。
私はこの海の香りから生まれた染め色を、『太古の生命(いのち)色』と
名付け、畏敬の心で、大切に染めています。
そして、これが「香染」と出会う原点となりました。

この後8月になり、羊歯を煮出しても海の香りはなく、青臭い草いきれがしますし、染まる色も羊歯の葉そのままの緑色です。
葉のかたちは美しくギリシャ神殿のエンタシス装飾を思い出します。古代から愛され、デザイン化されていました。しかしこの草は人間が登場する何億年も前から地球に生息していたのです。羊歯はどんな処に生えていますか。水気の多い処ではありませんか。羊歯は今でも海から生れた生命の記憶を伝えています。
そのことを私に気付かせてくれた羊歯。
それが創り上げる自然の優しい色。幼子の微笑み色。『太古の生命色』。

今、5月。葉の裏の胞子は未だーー。香りも未だ何もーー。

色と香りの不思議な関係に刺激された私は『源氏物語』の中の「香染」という言葉を思い出し、読み直し始めたのです。
そして「香染」の原点は一千年以上も昔、平安期の人々が、漢方生薬であり、香料でもある「丁子」と出会い、丁子に隠れている色を発見したことでした。
私にとって色と香りという視点で読み解く『源氏物語』は思いもかけない発見続きのサスペンスドラマです。


香日和「こうびより」「こうにちわ」とも~       五之記

一千年の昔、日本は色と香りの美しい王朝文化を創り上げていました。
それを背景に描かれた『源氏物語』全54帖、三世代60年にわたる長大な物語の後半、宇治を舞台とし、主人公は次世代の若者たちに替わります。(宇治十帖)。
その貴公子二人の名前は、源氏の子「薫の君」と、源氏の娘明石中宮の子「匂宮」です。この宿命のライバル同士が、現代に通じる愛と苦悩の物語を展開します。
薫は光源氏の子とされているが、実は源氏の妻、女三の宮と柏木との間に生まれた不義の子です。薫は生まれながら清らかな芳香が身体から漂い、人を魅了します。
「薫」とは、馥郁(ふくいく)と香る芳香のことです。
「薫」とは、人の心を捉える良い香りのことを言います。「嫌な匂い」という言い方があっても「嫌な薫り」とは言いません。「匂」は「いい匂い」「好きな匂い」「いやな匂い」「嫌いな匂い」といろいろな表現が可能です。紫式部は生まれながらに宿命の翳(かげ)を負う貴公子に「薫」と名付けました。
「遠くより薫れる匂ひよりはじめ」「かかるけはいのいと香ばしくうち匂ふに」。遠くから姿がなくても、かたち色の前に香りが漂う。  漂い残る香気を感じれば、周りの人が気付いてしまう。「気付く香」「気付かれる芳香」が薫です。
自らの意志で香りを発散するのではない受け身の人、受動の薫です。
ライバル匂宮は、源氏の直流の孫にして帝の子としての血。しかし薫のように自ら芳香を発することはありません。
「秋の野に主なき藤袴ももとのかをりは隠れて なつかしき追風殊にをりなしからなむまさりける かくいと怪しきまで 人の咎むる香に しみ給へるを」「匂宮」の帖。 自ら自分の香りを創る為、あらゆる努力をします。 そして身につけた香りは、「薫」ではなく、「匂」なのです。
能動の匂宮です。良い香りを求めて衣に染め、花にも香りがなければ、心を移さない。創意の努力によってかたち作られる「気付かせる芳香」が匂宮の香りです。
「匂」と「薫」は同じ嗅覚の表現ですが、当時の人は匂と薫という言葉(文字)の違いを熟知していました。
平安王朝では「にほひ」という言葉は元々、色の表現でした。
あでやかな丹(に・朱赤)が秀でる「丹秀(にほ)」、それが視覚から気の情報の嗅覚と重なり、後世では香の表現となりました。
丹は酸化鉛という顔料で奈良の都の建物の柱の朱塗りに使われました。目に見える香り「色」のことだったのです。
色と香りは、「目に見える色」、「目に見えない香り」。「気付く香り」「気付かせる匂い」と対極にあるようで、実は深い相関関係にあり、時として表裏一体ともなります。
気高い心も持っているのに煩悩に負ける弱い自分「薫」。「来世への道を求める心」に繋がります。
自由奔放な行動をしているのに、優しく愛すべき自分「匂」。「現世の華を求める心」となります。「薫」と「匂」にはこの対比が隠れています。
現代の世界に通じる普遍性と、人間の真実がここにあります。
香から色を導き出し、その色から再び香りを蘇らせる。この繊細優美な連環を創り出したのは、一千年前の、日本人です。そして、この色と香りの美は母から娘へと伝えられる女系文化の手技となり、今日へと遺されてきたのです。
色と香りは自己表現です。それを自在に纏うことで、自分という人間を相手に伝えるものです。千年の時空を超えて現代も、改めて周りを見ると、昔から伝えられてきたものに気が付きます。その中に、現代の私たちに大きな贈り物があります。この先、二千年の文化遺産から、素晴らしいものが生まれ、世界に発信されてゆくことでしょう。


                    

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