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月桃 (げっとう)    『香染記』

香日和「こうびより」「こうにちわ」とも~    七之記

 5月の奄美は月桃(げっとう)の花が薫風にそよぎます。
可憐な風鈴のような白い房が青い空に映えます。
この月桃の葉で絹糸を染めました。すると工房には、爽やかな芳香が立ちこめます。この香りはシネオール、ピネン精油の香りです。月桃は樹木ではなく、ショウガ科の多年性常緑草です。台湾、琉球、奄美へと渡って来ました。奄美では、蓬、もち米、黒糖を月桃の葉で包み、蒸しあげ、月桃餅を家々で作ります。その葉は香り付けだけでなく、抗菌防腐作用があり、食の保存に役立ちます。
月桃の芳香の中で、絹糸は色を持ち始めました。
それは、艶のある緑の葉色ではなく、赤みを含む肌色です。桜色よりも、まさに桃色のよう。「恋する乙女のときめき色」です。
この色は、一年の中で薫風の5月にのみ出会えるのです。7月に染めると、香りは立たず、色は黄になります。そして茎のみを煮出すと香りはありませんが、濃い桃色は得られます。
その頃、月桃は秋の実の準備です。月桃の実は赤く、それで、丹(に)の仁(じん・実)です。生薬系で昔から有名な『仁丹(じんたん)』の原料でもあります。
奄美の「月桃香染」は、『源氏物語』一千年の美「香染」の研究と現代の感性で創られた、まさに奄美の「きょらむん」(清らかで美しい人)そのものです。

思えば、奄美との出会いは、昔、絵を描きに東京から初めて訪れ、友人の実家に滞在した時です。まだ若かった私にその家の主人が「ばしゃやまか?
きょらむんか?」と言いました。千年前の大和の言葉の響きのように聞こえました。高価な芭蕉布となる芭蕉山持ち、それとも美人か、どちらなのかということの様です。
お金持ちでも美人でもない私は、どうするの。それは、手技の技術で美しいものを創ればよいのです。それが価値となる筈です。
そこから一筋の道が始まったようです。
日本の染めと織りを学びつつ、フランスで学び、パリの国立工芸校で西洋の織物(タペストリ)を勉強しました。東西の歴史文化の違いと、一方、美を求める共通項がわかるようになりました。実は、平安王朝の文化も、西の世界に繋がっていたのです。

平安王朝では「美」は「清らか」と「匂やか」の二つの言葉で表現されています。「この世の物ならず清らに」「清らにて火影の御姿  世になく美しげなる」「白く清らにて」と、この世のものとは思えない、言葉では云い表わせない美しさ。
「清ら」とは目に見えない美しさ、光り輝く心のあらわれ。
古来日本の美しさは、生命が衰える、「気」が枯れる「穢れ(けがれ)」を祓い心身を清め、神と共にある姿でした。
外面だけでなく内面の清らかさも大切にされました。
「白」も「清ら」も太陽の色名であり、神聖なものです。

白く清らな月桃の花が、若き日に聞いた、大和言葉「きょらむん(美人)」の真の意味を教えてくれました。
「匂やか」とは「いと匂やかにうつくしげなる人」「花やかに匂ひたる顔」と、目に見える美しさ、華やかな色彩(いろどり)。
若き日、きょらむんが心美人(こころびじん)と知っていたら、「勿論、きょらむんです。」と答えていました。




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