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中学受験 選挙制度について 第1回

現在(2024年4月22日)衆議院の補欠選挙が行われています。この回は選挙の仕組みについてみておきます。
「仕組み」とか「機能」などの理解は、小学生にとって差が大きくつく分野です。
(四谷大塚のカリキュラムで学習している方々は、公民は既習です。)

衆議院の議員定数は465名です。内訳は小選挙区制と比例代表制となっています。

小選挙区の定数289名(一選挙区一名選出で、投票用紙には立候補者の名前を書きます。全国で289選挙区ある)、
比例代表の定数176名(全国を11ブロックに分けて選出します。投票用紙には政党名だけを書きます。例;南関東ブロックは22名)

今回補欠選挙が行われるのは、それまでいた衆議院議員が何らかの理由で議席を失ったからです。(例としては在任中の議員死亡などがあります。)
長崎3区、島根1区、東京15区の三つですが、これは「小選挙区」の補欠選挙です。

衆議院の小選挙区制度導入は、二大政党を作る目的でした。欠点は死票が多く出るという点です。
 例:三人の立候補者がいて、Aが6万票、Bが4万票、Cが7万票となった場合、Cが最も多くの票を得たので当選人になります。すると、6万票+4万票の民意が政治に生かされにくいと考える考えで、10万票が死票になってしまいます。(以前の衆議院の選挙制度は「中選挙区制」で、二人や三人当選の選挙区もありました。)

選挙に関する法律を「公職選挙法」といいます。
今回東京15区では9人もの候補者がいます。
もし再多数を得た候補者が法定得票に届かなければ再選挙ということになります。
衆議院の法定得票は、「有効投票の総数➗6」が、その数です。(公職選挙法の第95条)
もし、有効投票の総数が24万票と仮定すると、4万票は得票してないといけません。候補者9人が票を分け合うような結果(24万➗9)になると再選挙になります。5万票を得票して当選しても、21万票が死票になってしまいます。

最後に選挙権の歴史を振り返っておきます。試験にはよく出ます。

明治23年(1890年)
日本で初めての選挙として「衆議院議員総選挙」が実施されました。選挙権を得ることができたのは、満25歳以上の男性直接国税を15円以上納めている人だけでした。
このように納税額によって権利を決めた選挙を制限選挙といいます。
当時の有権者数は、約45万人、人口はおよそ4400万人で約1%でした。

大正14年(1925年)
衆議院議員選挙法の改正により、納税の制限がなくなり、満25歳以上の男性全てに選挙権が認められました。これを普通選挙と言います。世界的に見て女性に選挙権があった国は少数でした。
原敬内閣までに、納税額は、「10円以上」(1900年)、「3円以上」(1919年)と徐々に引き下げられました。そして加藤高明内閣のときにいわゆる「普通選挙法」が成立しました。これによって有権者は人口の5%から20%へと4倍に増えました。(この数字は棒グラフとして教科書にでています)
(当時の有権者は、約1,200万人、人口の約20%でした。)

昭和20年(1945年)

戦後、ポツダム宣言による民主化によって改革が行われました。そのうちの一つが衆議院議員の選挙法の改正です。男女平等の完全普通選挙制度が確立しました。同時に、年齢要件も満20歳以上に引き下げられました。この法の下で衆議院議員の選挙が行われ39名の婦人議員が誕生しました。そして、明治憲法の手続きによって憲法改正が行われました。
(当時の有権者約3,700万人、人口の約50%でした。)


平成27年(2015年)

選挙権年齢が満20歳以上から満18歳以上に引き下げられました。選挙権年齢の引き下げは、70年ぶりです。



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