見出し画像

大事なのは「分かろうとする」こと。

オンラインで「はじめまして」のご縁が増えるなか、久しぶりに対面でじっくりと、初めてお会いする方たちの深いお話を聞かせていただく機会ができた。長く人間関係で悩まれてきたこと、それを何とかしたい、相手の気持ちを分かりたいけれど、どうしたら分かるようになるのか分からない…。ぐるぐると巡る思いを、その場にいる方たちと一緒に、じっと聞かせていただいていた。

会の最後に、私が感じたことを共有させていただいたのだが、それは相手の気持ちを「分かってあげたい」と口にする話し手の方には、ちょっと厳しく聞こえたかも知れない。なぜなら私自身、人と人とが本当の意味で「分かりあう」のは、ほぼ不可能なことだと思っているからである。親子だろうが、双子の兄弟だろうが、幼馴染だろうが、それぞれが異なる個性を持った人間である以上、どこまで行っても相手の悲しみや苦しみを、相手が感じた通りに「分かる」なんてまずありえない。同じ出来事を見たとしても、感じることや気づくこと、私たちは皆それぞれ違っている。傾向として似たものがあったとしても、それが全く一緒ということはない。仮にもし「分かる」というなら、それは表面的に分かった「つもり」でしかない。

しかし「人と人とはそれぞれ違うのだ」という前提から冷静に考えた時、それは決して絶望的なことではなく、ごく自然な事実なのである。分かり合えないことは、悪いことでも悲しいことでもない。大切なことは、その事実を認めてからどう行動するか、なのだ。分からなくても「分かろうとする」気持ちが大切で、意味のあることなのだ、と私は続けた。どこまで行っても分かり得ない相手のことを、可能な限り分かろう、分かろうとする真摯な思いと、その思いに伴って現れる言動が、人と人との信頼関係を築いていくのだ。本当に分かることはできなくても、相手に「この人は私のことを分かろうとしてくれている」と感じてもらえることに大きな意味がある。信頼や愛情は、分かり合うことが出来ないという事実を越えようとする努力の結果、深まっていくものなのだと思う、と話した。

私たちは一人ひとり異なる個性を持つ人間どうしである。だからこそ、まずは自分らしさとは何かを見つめ、自己理解や自己承認を深めることが大切だ。同時に「人間である」「限りある命を持つ存在である」こともまた、皆変わらない事実である。みんな違って、みんな同じ。「生きている」というただそれだけで、誰もが素晴らしいけれど、さらにその命をお互いに輝かせるために「分かろうとする」努力が大切で、その日々の小さな努力が、世界をより美しくしているのだ。別れ際に話し手の方たちが見せてくださった笑顔は、間違いなくそれまでより、世界を美しくしてくれた。素敵な瞬間に立ち会わせていただいた、このご縁に感謝なのである。

※「自分らしく生きる」気学体験講座、次回は13日(日)午後2時からです。詳細は「智慧の雨音」ホームページよりご覧ください → https://rain-sound.jimdosite.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?