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変化に良いも悪いもないのだ。

上京して4年、私が今住んでいるのは、新宿や池袋に公共交通機関で15分ほどあれば行ける、それでいて静かな住宅地の中にあるマンションだ。周囲からは季節ごとに虫の音が隣の空き地から聞こえるほどで、この静けさに驚く友人も多い。

しかし昨夜未明、いきなりドン、ドン、という大きな音が隣のアパートから聞こえ、人が口論するような声がした。日本語と何やら外国語も交じっての会話で、全く状況はつかめなかったが、寒いし眠いし、ケンカは怖いし迷惑だなぁ、気になるけど巻き込まれたくないな…と思いつつ、何とかやり過ごした。そういえば、隣のアパートは数ヶ月前にも、騒音トラブルらしき問題で近所の警察が何度か来ているが、それが今回と同じ住人のトラブルだったのかもよく分からない。去年までは家にいる時間も限られていたし、家どころか日本を離れていた時間もかなりあったから、そういう場面に出くわさなかっただけなのかも知れないが、今年に入って何となく、私の周囲の何かが変わり始めている気がする。

変化で思い出した出来事がある。それは以前、岡山で一人暮らしをしていた時のことだ。当時住んでいた地域も、今のように静かな住宅地で、私はマンションの4階に住んでいた。ある日の未明、隣の部屋のドアが激しくノックされる音が聞こえて目が覚めた。その後、部屋の中で人が叫びながら行ったり来たりしているような音がし、音はベランダを出、何か「ドン」という鈍い音が外で聞こえて静かになった。その日、私はまだ暗いうちに出かける予定があり、出かける支度をしてマンションの外に出、自転車に乗ってマンションの前の駐車場に目をやると、そこには人が倒れていた。暗くてよく見えなかったが、おそらく既に絶命していたようだった。もしかしてあの叫び声と、あの音の主はこの人だったのだろうか。なぜ何の関係もないはずの自分が、こんなに怖いと思っているのか。訳も分からず自転車をこぐスピードをあげ、その場から目的地に向かうため、全速力で立ち去ったことを覚えている。

昨夜の口論も、岡山でのことも、私が何か直接関わったことではない。でも、今まで起こらなかったようなことが周囲で起こり始めるのは、何かの変化を告げるサインなのだと思った。岡山での事件を振り返ってみると、それから約1年後、私は実家の広島に帰り、それまでとは全く違う生活をすることになった。今回は、次に行きたい場所はミャンマーだと分かっている。だとすれば、もうここにいられる時間も限られているよ、という宇宙からのメッセージなんだな、と思っている。変化のサインは良いことや楽しいことの形をして現れるとは限らない。前回にせよ、今回にせよ、ちょっと怖いと感じているのは、変化そのものに持つ、私自身の怖れの投影なのかな、と思う。本当にしたいこと、行きたい場所だからこそ、怖れもあるものだ。でもここまで分かっているんだから、変化に備えないなんてもったいない。世の中も大変化のタイミング、怖れすらも味わいながら、自分の本当に願うことに向かって、日々出来ることをやろう。来年の今頃、私の居場所は大きく変化しているに違いないのだから。

※「自分らしく生きる」気学体験講座、次回は27日(日)午後2時からです。詳細は「智慧の雨音」ホームページよりご覧ください → https://rain-sound.jimdosite.com/


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