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真剣と深刻は違うから。

独立して、自分の持つスキルや能力を誰かをサポートするために使うこと。今私が始めようとしているのは、そういう働き方だ。この仕事で自立し「食っていく」ためには、まず一人でも多くの人に、私と私の目指す理想の世界について知ってもらうことが必要なのだが、昔から私は自分について人に語ることがとても苦手である。自分で自分を観察するだけだったり、人のことについて語るのは何のストレスもなくできるのに、自己表現するとなると、妙なブロックがかかってしまうのだ。

小学校の頃の私は、自分が正しいと思ったことを自由に主張できたのではないかと思う。私の友人の記憶によると、小学3年生で転校してきたばかりの私は、クラスの友達からその友人を「いじめるな」と言って守ってくれたらしい。その友人には申し訳ないけれど、私にはその記憶がない。おそらく、その当時の私にとって、その行動は当たり前のことすぎたのだろう。大人になって初めて、その友人が家庭の問題で悩んでいたことや、そのことが引き金でいじめにあっていたと知ったくらいで、小学生だった当時、その友人に対して、私には何の先入観もなかった。転校生だったからという事情もあったと思うが、それでも友人にとって私は、特別な存在だったそうだ。

おかしい、間違っていると感じた時に、その気持ちを言葉や行動にすぐ出せなくなったのは、ある時そんな自分の言動で人に嫌な思いをさせるのだ、と知らされたことがきっかけだった。私にとって正しいことが、全ての人にとって同じように正しいとは限らない。私がいいと思ったものが、必ずしも世界中で受け入れられているとは限らないのだと、その当時とても信頼していた人から知らされたとき「ならば自分の気持ちはしまっておこう」と思うようになったのである。振り返ってみれば、そう決めたのは10代前半だったから、今自分らしく生きようといきなり決めても、すぐに言行一致とはならないのも無理はない。こればかりは少しずつ、人との関わり合いの中から、解きほぐしていくしかないと分かってはいるが、心のどこかで拒絶されるのを恐れていることも感じる。

こんな時にアドバイスを仰ぐのは、やはり数年後の理想の私である。描いている素晴らしい未来に生きる私からのメッセージは「真剣になるのは大事だけど、深刻になりすぎないように」だった。自分自身の理想を全て承認して、自分と共にある人たちのサポートを続けている私は、今の私以上にシリアスな状況も切り抜けてきたくせに、とても軽やかに声をかけてくれているように感じた。あらゆる状況に本気で向き合うけれど、落ち込んだり悩んだりする必要はないし、自分がいいと思っているもの、こうなったらいいな、と思う理想を、誰かの意見で変える必要もない。人は違っていい。違うからこそ素晴らしい。そうだ、それを伝えたくて色々なことを始めたんだった。あっけらかんと、でも真剣に投げられた未来からのメッセージを受けて、また一歩、前に進めそうな気がしてきた。

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