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幸せへの近道

ここのところ、何もしない、考えない時間を意識的に取るようにしている。一人暮らしで定職も持たず、生活をただ送っているだけでも、実はいろいろなことを頭で考えていたということに気が付いた。ラジオを消し、電気を切って、キャンドルに火をつけ、ぼーっと炎を見つめる。それでも雑念はよぎるけれど、時にふっと、空(くう)になれる瞬間がある。そんな時ほど不思議と、どこからともなく言葉が降りてくる。

自分らしく生きることは、自分らしさを認めてくれない人たちとの共存を難しくするとも言える。今の社会で、何もしない、がんばらないと決めた私を素直に認めてくれる人は少ないだろう。それでも私が「自分らしさ」にこだわるのは、それが本当に自分を幸せにできると分かったからだ。がんばらなくても、無理をしなくても、自分の持ち味に気付き、それを発揮できれば、結果的に自分も、自分以外の人たちも幸せにすることができる。厳しい鍛錬を積み、その道で一流になった人たちも、その鍛錬に誰よりも夢中で打ち込んだ結果、一流と呼ばれるようになったのだと思う。そうした人たちの鍛錬のことを、世間では客観的に努力と呼ぶけれど、それはいわゆる「苦手の克服」とはちょっと違うのではないだろうか。一見苦しそうに見えたり、難しそうに見えても、当事者たちの中には、やるかやらないかの2択しかない。目の前の信じた道を、とにかく進んでいるだけなのだと思う。

気学鑑定の際、私は「幸せへの近道」という表現を使って要素を説明することがある。近道ではあるが楽な道ではない、という説明も加える。しかし、それは客観的に見て楽に見えないだけであって、その道の険しさは本人次第なのだ。その道をどう進んでいくか、決めるのは本人なのである。

全ての人が自分らしく、幸せでいられる世界。本当に、そんな夢のような世界が実現するだろうか。心に思い描きながらも、私はずっと疑問だった。でも、自分自身が一番苦手だった「何もしないこと」「考えないこと」ができ始めたことで、少なくとも夜眠りにつくとき、翌日の朝目覚めることが楽しみになった。いきなり世界全てが理想郷にはならないけれど、まずは自分自身から、自分の心の中に桃源郷を持つことだと思う。私を通して、私に関わる人たちが何かしら、自分らしさを再発見できれば、それは結果、私の夢を叶えることにもつながっていく。誰かの幸せを願うというのは、そういうことなのかも知れない、と思う。

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