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ブーメランの法則

ブーメランの法則というのがある。

自分がやったことは、それが良いことでも悪いことでもブーメランのように返ってくる、というものだ。

誰かのために「良かれと思って」自分の正義感から厳しいことを言ってしまうことがある。言っていることは、決して間違っていない。でも、相手にそれを受け止める準備がない時、その言葉は相手にダメージを与えてしまうことがある。

先日起こった出来事は、まさにそれだった。自分の至らない部分について、相手がどうしても物申したくなったらしく、ただただ言われるままになっていたら、気付くと自分の心模様はボロボロになっていた。何でそんなことをこのタイミングで言われなくてはならないんだろう、と思うばかりで、気の利いた返しなど一つもできないまま、その時は過ぎていった。

相手の言い分は正論だった。だからこそ、尚更返す言葉がなかった。でも、それを受け止められる準備は、あの時の私の中にはなかった。

あの時のあれ、結局何だったんだろうと思い返した時、あぁ、私もそんなこと、前にやったことがあった、と思い出した。無防備だった相手に、積年の不満を突如ぶちまけ、感情をあらわにしたことがあったっけ。相手はすっかり固まってしまっていた。否定しても肯定しても責められるんだと理解し、当時の自らの未熟さについて謝罪してきた。こちらは謝ってもらいたくて言い散らしたわけじゃない。でも相手は、そうするしか術がなかった。あの時の私は、それまでため込んできた気持ちを、ああやって相手に直接ぶつけてしまわなければ、自分の次のステップに進めないと思っていたし、事実そうだったのだろう。しかし何年後かに、自分が相手の立場になる可能性までは、想定していなかった。

自分のしたことが、手を変え品を変え、時空を超えて返ってくる。ブーメランの法則って、こういうことなんだと思った。だとしたら、相手がどんなに未熟だったとしても、どんなに明らかな間違いを犯していたとしても、そこに対して投げるブーメランは、極力自分が受け取りやすいものにした方がいい。今回のように、後から全く別の、全く自分が無防備な時に、いきなり返ってくることがあるからだ。

もちろん、痛い思いをしたり、人とぶつかったりすることで気付けることもたくさんあるから、覚悟のもとでフルスイングするのもいいのかも知れない。そうしたい人を止めるつもりもない。でもどんなに正しいことも、相手が受け取れなければ意味を持たない。相手に本意を受け取ってもらえないうえに、後から自分も痛い思いをすることになるなんて、何だかもったいない気が、私にはする。どうせ自分自身に返ってくることが分かっているなら、幸せだったり笑顔だったり、愛だったりを感じられるブーメランの方が、きっといい。だとしたら同じ厳しい言葉でも、そこに深い愛があれば相手は受け取ってくれるし、いつか自分にとって受け取りやすい形になって返ってくる、そんなエネルギー循環のサイクルにいたい、と思うのである。

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