「月夜に現れた君と」前編
季節は真夏。
月が光り輝く東京の街。
僕は一人、何をするでもなく、ただ気まぐれに街中を歩いていた。
真夜中の弁慶橋。
人は僕以外には誰もいない。
眼下の河は夜の都会の光と星空の光を反射して映していた。
その河を眺めながらふと正面に目をやると、目の前が激しい光に包まれた。
あまりの眩しさに僕は目を開けていられなくなる。
そして数秒後、感覚で何となく光が収まったことがわかり、目を開ける。
すると、目の前には一人の女性が立っていた。
僕は驚いた。
つい先ほどまで、この場所どころか、橋の数十メートル向こうに至るまで誰も人はいなかったはずだ。
どこから現れた…?
いつの間にこんな橋の中腹まで来たんだ…?
そんなことを考えていると、目の前の女性が顔を上げてこちらを見た。
その顔が街灯に照らされてはっきりと僕の視界に写る。
それは、女性というより、少女というに近い風貌だった。
年は、僕とそこまで変わらないように見える。
十代中ほどといったところだろうか。
それも、とびきりの美少女。
そのあまりの美しさに僕は目を奪われた。
○○「君は…誰?」
気が付くと僕は声をかけていた。
すると少女はゆっくりと口を開き、小さな声で答えた。
??「美空。美しい空で、美空。」
その少女は「美空」と名乗った。
美しい空。今日という日になんてぴったりな名前だろうか。
○○「君は、どこから来たの?」
続けざまに質問してしまう。
ナンパのような下心はなく、単純な疑問、或いは好奇心から出た質問だった。
だが、美空は今度は黙りこくったままで何も答えてはくれない。
いや、答えに詰まっている…?
しばらくの沈黙の後、美空はまたゆっくりと口を開いた。
美空「…私と一緒に暮らしてくれませんか?」
○○「えっ…?」
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初対面の美空から放たれた、一緒に暮らしてくれという突拍子もない一言。
もちろん、その申し出を最初から受け入れられるわけがなかった。
疑問も問題も多すぎる。
だが、話を聞いてみると、
「ご家族は?」と聞いても、
「何をしている人なの?」と聞いても、
答えは返ってこなかった。
ついには「携帯は」「身分証は」などという職質じみた質問まで出てきてしまったが、なんと所持品の一つもないときたものだった。
ただ一回だけ「どこに住んでるの?おうちは?」と聞くと、首を横に振った。
普通じゃない。訳あり、という奴だろうか?
俺はいろいろと考えた結果、美空と暮らすことを承諾することにした。
何とか罪にあたるのかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。
この夜中、しかも真夏に所持品の一つもない女性を心配に思った。
それに、終始俺に向けてくる切なげな表情に、僕は彼女を放っておけなかった。
こうして、君との不思議な暮らしが始まった。
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美空との暮らしは至極何事もなく進んだ。
それはよい意味でも、悪い意味でもあった。
美空が何かやらかしてくれることもなく、僕が美空に何かやらかすこともなかった。
その代わり、それは同時に、僕と美空の距離が全く縮まるわけでもなくて。
どこか余所余所しいというか、気まずいというか。
家庭内別居の夫婦ってこんな感じなのかな。
いや、事務連絡程度に、少しは会話するのだが…。
同じ屋根の下に暮らす以上、少しは絆というか、良好な関係性を保ちたい。
それが僕の希望だった。
そして、美空と暮らして一か月ほどが経ったころ、僕はふとあるチラシが目に止まった。
これだ。
僕は美空を花火大会に誘うことにした。
美空「はなびたいかい?」
○○「そうそう、今度横浜で開かれるんだ!一緒に、どうかな?」
僕はポスターを見せながら聞く。
美空はそのポスターをまじまじと眺めると、
美空「うん!いく!」
と目を輝かせて言った。
その時の美空の笑顔に、自分の胸が音を立てるのを僕は確かに感じていた。
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夏祭り当日。
○○「美空〜?準備できた〜?」
美空「あ、もうちょっとです〜。」
少しすると、浴衣を着た美空が玄関を開けて出てきた。
よほど夏祭りが楽しみだったのか、ある日これが着たいと僕に申し出てきた。
にしても…。
美空「あの…どう…ですか?」
○○「…。」
美空「○○さん…?」
○○「あ…ごめん、すごい、綺麗だったもんだから…。」
美空「…え、あ…。」
暑さなのか照れなのか、美空は少し顔を赤くして目を逸らしてしまった。
美空「…い、行きましょうか。」
○○「うん…そうだね。」
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僕たちはあまり会話のないまま、花火大会の会場である横浜に着いた。
会場は様々な屋台が立ち並び、何かを焼く音、はたまた何かの機械が作動する音、そして人々の声にあふれていた。
美空「わぁ…賑やかで…明るい…。」
○○「美空、もしかして夏祭り初めて?」
美空「あ…えと…はい、実は。」
○○「そっか…何か食べてみたいものとかある?俺買ってあげるから。」
美空「いや…それは…。」
美空は所持品がなかったため買い物は全て俺のお金からくる。
そのせいか、美空は今日の浴衣を除き、今までほとんど自分から金銭が関わる要望を言ってきたことはなかった。
これも距離感がある原因の一つなのかもしれない。そう考えた。
○○「美空、いつも俺に遠慮してるでしょ?今日ぐらい、というか、今日から、欲しいものは遠慮なく言って?」
美空「あ…。でも…。」
○○「俺、それなりにお金はあるからさ。特に今日みたいなお祭りの買い物に困らないぐらいには。」
美空「ありがとうございます、じゃあ…」
○○「あー、あと。その敬語もやめない?壁感じちゃうし、美空も疲れるでしょ?」
美空「…はい、まあ、正直…。」
○○「いきなり敬語を全部無くせとは言わないからさ、少しずつ、慣れていこう?」
美空「じゃあ…あれが食べたい…な?」
ぎこちないタメ語と共に美空は焼きそばの屋台を指差した。
○○「よし来た、じゃあ行こっか。」
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僕たちはいろんな屋台を回った。
○○「金魚掬いは苦手なんだよな〜、ほら、もう破れた。」
美空「ま、○○さん!取れた!お椀で魚が!魚が!」
○○「落ち着いて落ち着いて!?」
美空「すごい、ボヨボヨ跳ねる…。面白い…。」
○○「ヨーヨーね。楽しいよね。」
美空「すごい、シャクシャクしてて美味しい…。」
○○「夏祭りが初めてってことは、そりゃかき氷も初めてか…。」
美空「うん!美味しい!」
○○「フフッ…それはよかった。」
美空「…チョコバナナに、唐揚げ…。」
○○「かき氷の後でそれ行く!?」
いつのまにか僕たちはずっと笑い合っていた。
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僕たちは屋台を一通り回った。
○○「はぁ〜食べた食べた。遊んだ遊んだ。」
美空「もう食べられないや…。」
○○「あ、そろそろ花火見れるとこ行かないと。」
美空「もう?」
○○「ほら、場所取りだよ、場所取り。」
○○「あちゃ〜…」
出撃が遅すぎたらしい。
まだ開始までは20分ほどあるが、もう綺麗に見えそうなところは全て占領されていた。
美空「どうしよう…?」
○○「ん〜…。」
2人で悩みながら歩いていると…。
○○「あ、ここなんか良さそう。」
占領されてるエリアの延長線上にある、ちょっとした高台のようなものを見つける。
しかしそこには、立ち入り禁止と書かれたコーンとロープ。
美空「え、でも、立ち入り禁止って書いてあるよ?」
○○「だからこそ、誰も来ない穴場だろうし、きっとよく見えるはず…よっと。」
僕はロープを跨ぐと、浴衣の美空のためにローブを持ち上げて通り道を作った。
美空「じゃあ…。」
そういって美空はロープのアーチをくぐって歩き、俺もその横を歩いた。
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○○「ほら、ここならよく見える。」
美空「ほんとだね。来てよかったかも。」
周辺にぽつぽつと木が生えていること、周りはみんな花火が上がる方向を見ていること、そして夜の暗さが相まって、僕たちが立ち入り禁止エリアにいることは誰も気づかない。
そして、遠くで何やら聞き取れないアナウンスの音声が薄らと聞こえた後…。
ヒュ〜〜〜……ドカーーーン!!
ついに花火が打ち上がった。
美空「わぁ…凄い!綺麗!」
夜空に咲き広がる大輪の花。
美空は隣で目を輝かせ、満面の笑みを浮かべ、花火の美しさに見惚れていた。
まるで花火さえ見るのが初めてみたいだった。
僕は、花火に顔を照らされた美空の笑顔に見惚れていた。
美空「○○さん、今日ここに連れてきてくれて、本当にありがとう。」
美空「私今、すっごく楽しくて、幸せ。」
○○「…そっか。喜んでもらえてよかった。」
その言葉が聞けて嬉しかった。
そして、密かな目的である僕と美空との距離が間違いなく縮まったと思えて、胸を撫で下ろした。
花火大会も中後半に差し掛かろうとした時、ふと、隣の美空から笑顔がゆっくりと消えていったのに気がついた。
どうしたのかと心配し、声をかけようとした時、美空がポツリと言った。
美空「○○さん…。」
○○「ん…?」
美空「私には…帰る場所がないの。」
美空は泣いていた。
彼女の目から溢れた涙が花火に照らされて見えた。
○○「…それなら、僕と一緒に暮らせば良い。」
○○「少なくとも今は、君の帰る場所は僕の家だよ。」
美空「○○さん…。」
美空は徐に僕の肩に額をよりかけてまた泣いた。
美空に何があったのかわからないが、何かがあったのは間違いない。
そう思った僕は彼女の肩を抱き寄せ、花火の彩が空から消えるその時まで、僕は彼女の頭を撫で、気持ちを落ち着けるように努めた。
この時、花火の音に紛れて、汽笛のような音が聞こえたのは気のせいだろうか。
気のせいだろう。この近くに汽車なんか走る駅はない。
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あれから徐々に仲を深めていった僕たちは、いろんな場所に出かけた。
買い物に、水族館に、映画に、あと…。
その度に美空は視界に映るあらゆる光景に見入っていた。
僕と美空との関係性も、もはや恋人のようになっていた。
彼女の声や表情も出逢った頃とは打って変わり、よく笑うようになった。
敬語もなくなって、自然と話せるようになった。
僕のことも、○○さんではなく、○○くん、とか、○○、とか呼ぶようになった。
美空が僕のことをどう思ってるかはわからない。
だって告白とかそういう会話はしてないから。
恋人、ではなく、恋人のように、と表現したのはそういうこと。
ただ…2回だけ。
プラネタリウムに行った時。
『あれはさそり座。アンタレスという星が…』
360度、どこを向いても星空が映っている光景。
そしていろんな方向を見ているうちに美空の方を見ると。
美空「私は…。」
彼女はいつものように笑ってはいなかった。
涙を流してずっと星空を映したドームの天井を眺めていた。
その時、僕は美空が何か普通じゃない経緯で僕の元に転がり込んできたこと、そして、僕は君に何があったのかをまだ知らないことを思い出させられた。
そして、2回目はクリスマスにイルミネーションを見に行った時。
美空「凄い、地上が、星空みたいに…。」
○○「ね。夜とは思えないぐらい明るい。」
そして、色とりどりのライトアップをされた道を歩いていくうちに、ふと、横に美空がいないことに気がついた。
後ろを振り向くと、彼女は極端に歩幅を小さくし、歩くペースも落として、僕のだいぶ後ろにいた。
その時の表情は、涙こそ流していなかったものの、プラネタリウムの時と同じ、何かを考えているような、少しだけ悲しい表情をしていた。
僕は彼女のことを知りたいと思う反面、知ってはいけないような気もしていた。
だから、その思いを紛らわしたいのと、彼女の暗い顔を払拭させようとして、半分空元気で明るく振る舞ったり、手を繋いで歩いたりした。
美空の手はとても暖かかった。
そして、君と出会ってから、2度目の夏が来た。
前編 終
後編に続く
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