ブギーマンに捕まるな2

「言うこと聞かへん子はな●●に連れて行かれるんやで」
私がもっとおさないころ、たまに田舎からくる祖母はそう言って私を脅したものだった。

何に連れて行かれるのか、その名前を思い出すことが出来ない。
「言うことを聞くことが出来ない」子供だった私にはそれはあまりにも恐ろしすぎたからだとおもう。
私は今でも「そう」だが、幼い頃はもっと「そう」だった。

コミュニケーションに問題がある。
人が「言っていることがわからない」時があるのだ。
意味はわかるのだけど、意図がわからないというか。
それが、他の人達とは違う自分の性質だと気付くには、随分時間かかかったし、そういう性質が「発達障害」などと呼ばれるものであることを知ったのは大人になってからだった。

「言っていることがわからない」から、「言うことをきかない」子供だった私には、祖母の話は恐ろしかった。

私はいつだって●●に連れて行かれるのだ。
●●は私を連れて行こうとするのだ。
名前を覚えることさえできないそれに。

「どこに連れて行かれるの?」
私は怯えた。

祖母は意地悪く笑った。
今なら散々祖母を困らせた後だったから、祖母の気持ちはわかる。
手をやくしかない孫の面倒は重労働だったはずだ。

「さあね。でも二度と帰ってこれないんやで」 
祖母はそう言った。

私はおびえた。
だって、私には知らない環境ほど恐ろしいものはなかったからだ。
知らないシステムに適応できるまでに、私は長い時間と努力を必要とするからだ。
学校で授業を受けるということでさえ、慣れるのに数年かかったのだ。
沢山の人に迷惑をかけながら。

知らない場所に連れて行かれ、帰れなくなることは私には死よりも恐ろしいことだった。

●●を私は恐れた。
祖母がその名を出した夜は、怖い夢見て泣き叫ぶほど。
その名前を絶対に思い出さないほど。
思い出さないようにしていた。
祖母が死んでからはとくに。

だけど、公園で出会った奇妙な兄と妹に私はそれを思い出さずにいられなかった。

「お兄ちゃん、ばあちゃんが言っていた、子供攫うヤツ覚えてる?」
私はその日の夜、兄の部屋に入り聞いた。
部屋と言っても無理やりカーテンで部屋を区切っただけのものだった。
二部屋とリビングだけが我が家の全てだった。
兄だけは個室を与えられていた。
勉強好きの兄が私達妹弟から勉強の邪魔をされないように。
机だけの部屋。
兄はベッド代わりに押し入れを使っていた。
それでも当時の私は兄がうらやましかった。
私はすぐ泣く弟と一緒に寝起きして、居間のテーブルで宿題等をしていたからだ。

兄はいつも通り、図書館から借りた本を読んでいた。
お兄ちゃんは賢い。
何でも知ってる。
私はそう思っていた
お兄ちゃんは中学生でも、その辺の中学生とは違うのだ。
それは父と母も含む家族全員の総意だった。

「何?何の話?」
兄は穏やかに聞き返した。
兄は一度も私に怒鳴ったことはない。
聞いたことには真面目に答えてくれる。
私とは違って、誰にも迷惑をかけない兄には祖母は脅す必要がなかったのだろう、兄はどうやら聞いたことはなかったらしい。

私の説明に兄は考えこんだ。

「ブギーマンかな。おばあちゃんのいる田舎ではどう言うのか知らないけど。外国ではね、ブギーマンっていうお化けがいてね、子供を攫うって言われてる」
兄は教えてくれた。
世界のアチコチにそういう話があると。
いろんな呼び方はあるけれど、「悪い子」を攫うということでは共通しているんだと。

「本当にいるの?」
私は怖くなった。
今まではどこかウソだと思っていた。
とても怖かったけど、でもウソだと。
お化けなんか見たことなかったから。

でも、今日確かに私は見たのだお化けを。
あの兄妹は・・・あの兄は・・・人間ではなかった。

「いないよ。いるわけがない。子供に言うことを聞かせるための作り話だ」
兄は笑った。
兄は同じ兄ではあっても、あの少年とは何もかもが違っていた。
変身する前からあの少年が纏っていた薄気味悪さは存在しなかった。
妹と私に奇妙な目を向ける生き物ではなかった。
それに安心する。

「本当に化け物がいたのなら、もっとちゃんとした目撃証言があるはずだし、そいつらが生活している証拠も存在するはずだろ」
兄は言った。

その言葉に私は絶望する。
私は目撃したからだ。
この目で。
そして、化け物達が人間のふりをしているのなら、生活している証拠などないと悟ったからだ。

「どうしたんだ?」
真っ青になった私の顔色を見て、兄は心配そうにいう。

私は黙って首を振った。
私はまだ話さない方が良いと判断した。
家族は私を「おかしな子」だとは思ってない。
だからこそ、おかしな子だと思われたくはなかった。

「ブギーマン?」
私はその名を確認しただけだった。

「そう、ブギーマン。子捕り鬼」
お兄ちゃんは繰り返した。

ブギーマン。
私はその名前は忘れないようにした。
忘れてはいけない。
何故なら、もうそれはいるかどうかわからない恐怖ではなく、存在する恐怖になったのだから。

ブギーマン。
ブギーマン。
あれに私は名をつけた。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?