連載小説『東京堕天使マリアと下僕達』


第1回『ドロップ編』
その1『上京物語』

「…え?…東京へ行くの…?」

宮崎県は都城市、県立都城南高校の卒業式を間近に控えたある日の帰り道。暢也は茜に告げた。

「ああ…高校3年間バンドをやってきたけど、やっぱり…自分の力を試してみたいんだ。東京に出てデビューして…日本中の人に影響を与えられるような音楽を作りたいんだ。だから…さ」

「…へぇ…そうなんだ…」
宿河原暢也と鹿島田茜は同級生。クラスメイトであり、二人とも帰り道が同じなため、ちょくちょく一緒に帰る仲だった。
お互い、興味のような好意のような気持ちはあるものの、でも打ち明けられずに卒業まで来てしまった。
でもまぁ、家も近いし、卒業してもチャンスはあるだろう。そう思っていた茜。軽く進路を聞いてみたところ、重い先制パンチが返ってきた。茜はもう、地元の大学に入学が決まっていた。
あたかも興味なさそうな相槌を打ったが、内心は穏やかではない。

「じゃあ俺、家こっちだから…」

そう言って、暢也は茜と別の道を行った。

「あ…ノブ…」
茜は淋しそうにその後ろ姿を眺めていた。ずっと…ずっと…

「ノブ!待って!」
突然大声で暢也を呼び止めた。

「?な…何?」
「わ…私…あの…実は…」

2001年3月1日のことことだった。
21世紀最初の3月初日の日は静かに暮れていく…

…それから2年…
「いらっしゃいませ!ご来店ありがとうございます。2名様ですね、どうぞこちらへ!」

茜は東京駅構内の居酒屋『信楽茶屋』ホールのアルバイトとして働いていた。
暢也から『東京へ行く』と告げられたあの日、『このままノブを東京に行かせてしまったら、もう二度と会えなくなるのでは…?』という思いに駆られた茜は、思い切って告白。それだけはでなく、大学入学を蹴って、自分も東京に行くと言い出したのだ。
『急に言われても…』
と戸惑った暢也だが、言い出した茜も後には引けないし、引き下がれない。
結局、反対する両親を強引に説得し、半ば駆け落ちの様な形で暢也と一緒に上京したのだった。

「じゃあお疲れ様でした!お先に失礼します」
午前12:00。店の片付けを済ませた茜は、足早に中央線のホームへ向かった。
東京へ来て以来、茜と暢也は吉祥寺駅近くのアパートに住んでいた。

上京して早2年。茜は今の『信楽茶屋』でアルバイトをし、暢也は音楽活動を続ける一方で、やはりこちらも、とある印刷会社でアルバイトをしながら、紡ぎ合うように生活をしていた…暢也にスポットライトが当たる日はまだ来ない…

『吉祥寺~吉祥寺です。お忘れ物のないようお降り下さい…』
電車に揺られること20強。吉祥寺に到着した。
茜の家は駅から徒歩5分程の距離。いつも、通り道のコンビニで翌日の朝のための軽食を買って帰るのが日課だった。
「…あ…」
コンビニに入るなり、ギターを背負った男が茜の目に飛び込んで来た。
「ノブ」
茜は足早に駆け寄った。
「ん…あ、茜。いつも遅くまで大変だね」
「ノブこそ。…今日のライブ、行けなくてごめん。…どうだった?…」
「あぁ悪くない。大分お客の数も増えて来たよ」
「そうなんだ…」
決して楽な生活、裕福な生活ではないけれど、茜は幸せだった。毎日が楽しかった。
夢に向かっていく彼がいる。少しづつでも成長を実感し、モチベーションを上げていく。そんな暢也が好きだったし、彼の支えになれていることが嬉しかった。
「…明日は?ノブ。またライブがあるの?それともバイト?」
「いや、明日はどっちも休みだよ。2週間ぶりに完全にオフさ」
「本当?私も明日はバイト、休みなんだ。……ねぇ、久しぶりに井の頭公園に行かない…?」
「…ボートに乗りたいんか?」
「うん、乗りたい!」


翌日。6月にしては珍しく、雲一つない青空が広がっていた。
2人は公園のボートに乗り、漕ぐのは勿論暢也の役目。
今日は陽射しが強い。水面に反射した光が、容赦なく暢也に向かってくる。オールを持つ暢也は、どんどん汗をかいてきた。
「…ノブ…代わるよ」
「いや、いい」
汗をかきながらオールを漕ぎ続ける暢也。結局ボートに乗っている間中、オールを手放すことはなかった。
「ありがとうございましたー」
ボートを船着き場に返し、公園内を散歩して回った。暢也はもう汗びっしょりになっていた。
その様子に若干引いたものの、茜は
「ありがとう。漕いでくれて。凄い汗だよ。ちょっと座らない?」
と、疲れきった暢也を労り、近くにあったベンチに座った。
「いや、大したことないよ。でもやっぱり、昔みたいに、もっと大きな所で、大きな船に乗りたいなぁ」
「…ノブ、船何か乗ったことあるの?」
茜が聞くと、暢也は目を輝かせ、
「そりゃあるさ。俺のじいちゃんは漁師だったんだ」
「へぇ?初めて聞いたよ」
暢也は更に続けた。
「…俺が小さい頃、じいちゃんの船に何度か乗ったことがあるんだ。…凄いぜ。日向灘を猛スピードで突っ切って…かなり沖の方まで行くと、イルカが見れたりするんだ!」
「え~イルカなんて見れるんだ?」
暢也の語気は更に熱を帯てきた。
「…いつか、音楽で成功して、大きな船を買いたい…そして故郷の日向灘を回る…これが『故郷に錦を飾る』ってことじゃないか?…俺は、それを実現させたい」
「…そのいつかが…早く来るといいね」
茜がそう言うと、暢也は急に真面目な顔になり、財布の中から1枚のチケットを取り出した。
「な…何?このチケットは?」
「次回の…明後日のライブのチケットさ。でも、次回はただのライブじゃないぜ。大手のレコード会社のプロデューサーが俺達の歌を聞きに来てくれるんだ!」
「え?!そ…それじゃあ…」
暢也は大きくうなずいた。
「あぁ。実は昨日のライブに、スカウトの人が来てたらしくてさ…俺達の歌を気に入ってくれたんだ。…で…プロデューサーを紹介してくれるって…それがうまくいけば…『いつか』も遠い日じゃない。だから茜、次回のライブには是非来て欲しいんだ」
「…行くに決まってるじゃない!…ノブ…頑張ってね!ずっと…ずっと応援してるから!」
茜は暢也と、その手に握られたチケットをギュッと掴んだ。

その手が掴んだものは、輝かしい未来か、それとも…2003年6月10日。茜と暢也、二人の『これから』が動き出す、ターニングポイントとなった1日であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?