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『南京事件(虐殺用語使用者)』のおかしな所シリーズ

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#東京裁判

戦闘があった以上は【捕虜】の殺害もあり得る話だが、それを【戦争犯罪】と認定することとは別物であり、【認定する】には【そのケース】と【その事実】を【立証】する必要がある。
それを怠ってきたのが【南京大虐殺肯定派の歴史学界】だろう。それを【事実】として何ら認識する必要はない。

弁護側が南京暴虐事件そのものを係争しなかった為に起こった馬鹿げた認識なのですがね。東京裁判関連文献を読めば弁護側の困難な事情を忖度できるのですがね。さらに判事による事実認定と証拠評価でも不公正が行われているので、訴因55をあげつらっても何ら事実とは異なるのが事実のなのですがね。

人権を用いる人が、人権など全く意に介していないなどと云うことは良くある。東京裁判など、世界人権宣言に照らしてみれば、あきらかに人権無視の不法・不当裁判だろうが。人権団体や平和団体の連中にはこの手の連中が多い。

そもそも古くから長く敵対感情を抱いて、抗日意識を高める中国共産党とその教育を真に受ける人々に、過去の【虚偽の歴史】からの悲劇に思いを寄せるなど一切ナイ。この人物が想像からの【苦難】を思いやることを単に馬鹿にするだけである。サッカーだけ見てりゃいいのねぇ...とつくづく思う。

当時、東京にいた石射猪太郎の東京裁判での証言や日記をもとにしたという回想録が何かの【南京事件(南京大虐殺)】の証拠になるとでも言うのだろうか。当時外務省の部下に調査を命じているわけでもなく、単にメディアや南京領事館職員の欧米人の一方的な陳述書を知った程度にしか過ぎない。

丸山はエリートである自分を一兵卒として死地に赴かせた軍部への怒りから、戦後左派の戒能通孝からの東京裁判史料を元に、戦前の国体を悪と見たのだろう。しかしそれが事実と呼べるものでは無く単なる恨み辛みであろう。
戦後初期に南京事件について事実を把握していたとは到底考えられない。

東京裁判で、南京暴虐事件が立証されたというネタは、ハッキリ言ってガセネタなのですな。弁護側が反駁を処理的に不可能として行っていない訳ですから裁判での認定は別として【事実】とは又別の話なのです。 この古くさいネタでは、食中毒を起こすというもの。

正直、東京裁判に関する戸谷氏の文献でも読めば分かると思うのだがね。
東京裁判では、弁護側は南京暴虐事件そのものの【反駁】は行ってないのですな。
そして、【検察側】の【証人】及び【口供述証書】も精査されていないのです。当然ながらその状態が【事実】を証明しているわけではないのです。

なんども、繰り返すことは必要ですが、東京裁判で【南京暴虐事件】での【反論】を弁護側の都合で行っていない。
証人による証言も、反駁調査や証拠の提出を行って弁証しても居ない。
あるのは【未検証】の【証言】や【口供述証書】のみでこれが【事実】かというと現在の検証からは【事実】ではない。

中高生の諸君へ、【座学(文献・史料読み)】が足りないとこういう思考に陥ってしまう典型的な例なのですな。
この南京攻城戦後の【埋葬記録】は、東京裁判【証拠】の【検討】が【杜撰】でほぼ何も調査していないという【証拠】なのです。崇善堂のこの事例での高蓋然性の埋葬活動記録はありません。

裁判というのを多くの方が誤解していると思うのですが、裁判中に出された【証拠】のみを審査して【推論】を導き出すのですが、裁判後に出現する公文書や新出の【史料】は、考慮されることがありません。
つまり、裁判は南京事件、南京大虐殺のような【歴史考察】には、【不向き】なのです。中高生へ。

今時侵略戦争って、うけるの? 中高生に

大阪国際大学非常勤講師、神戸学院大学大学非常勤講師をやっておられるらしいのだがねぇ。 大…

南京事件で、東京裁判・南京軍事法廷【判決】を持ち出して日本軍人の【戦争犯罪】をあげつらう方が居られるが、そもそも当時【戦争犯罪】という存在しない【犯罪】をつくって日本軍人に適応したことは、文明社会の基礎である【罪刑法定主義】反する行為であろう。ローマ規定は1998年。