わたしはこれをやっていればいいんだ、という感覚。
2月11日の独演ライヴが3日後に迫ってきた。
「時間がない」と言う感覚。
最近急に衰え寝てばかりの91歳の父は
もう何もわからなくなるかもしれない。
わたしが何もしない間に。
なあんにも達成しないうちに。
それがとても怖い。
何があっても「わたしはこれをやっていればいいんだ」
と言う感覚が欲しい。
今自分に向かって 別の場所に居るもう一人の自分、が言えることは
「唄いなさい」
つまりそれが唄、なのだろう。
お母さんは、わたしにまだ会わないうちに死んでしまった。
もう16年前になる。
わたしはスペインから帰ってきていたけれど、まだ母に会っていなかった。
すごく急な出来事だった。
外側には何の前触れもなかった。
年単位で留学しているような人たちからみたら、わずか1ヶ月の滞在。
でもそれはわたしの人生にとってはとても大きいことだ。
これをこの数十年の間、何度か繰り返してきた。
そうして自分が本当に求めるものに近づいてきた、と思っている。
「わたしがいない間に親に何かあったらどうしよう・・・」
という感覚はむかしからあった。
その恐れを扱うこと。
それがわたしのテーマでもあった。
そしてその恐れは見事に現実化した。
わたしが「どんな風に恐れていたか」
それは起こる前はボヤッとしていたけれど、それが炙り出された。
母とごく親しかった友人が
「娘であるあなたがそばにいなかったのか。なんたることだ」
と攻めより、わたしに責任追及をした。
その人の言い分はこうだった。
母が死んでしまったのは娘であるわたしのケアが足りなかったからで、
あなたは娘としての責任を果たさなかった。
わたしの大事な友人をどうしてくれる。
母には母の人生があり
わたしにはわたしの人生がある。
母の存在は、わたしの人生にとって巨大だ。
わたしの生命線を握ってもいた。特に子供の頃は。
誰もがそうだろうけれど。
母の存在は、この母の友人にとっての友人としての母、
どころのものじゃあない。
そんなあなたに何がわかる!
激しい怒りに震えた。
わたしに怒りと悲しみで、磁場が揺れたと感じた。
わたしは深く傷ついた。
そしてその母の友人とはそれ以後絶交してしまった。
あれから16年。
今思うのは
その母の友人はどこかしらわたしに似ていた。
母に内在していた本質的な美しさを捉え
それを内蔵した人形を作っていた。
彼女は人形作家なのだ。
ものすごい迫力だ。
何という真実味。
純心。
わたしはこの人を許せるのだろうか。
今、生きているのだろうか。
それが気になる。
もう連絡は取れなかった。
とにかく、わたしは唄う。
この独演スタイルの機会は
自分の歩むフラメンコの大事な道しるべ。
これまで応援ほんとうにありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。
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カンテフラメンコ独演ライヴ
“唄声は内側の宝石への通り道 por15”
2022年2月11日(金祝)
午後2時〜(2時間程度)
場所:マエストローラ音楽院サロン
(新宿御苑 大木戸門最寄りの気持ちのよい音楽サロン)
http://www.maestrora.jp/access/
新宿御苑駅 2番出口 徒歩3分
内容:フラメンコの唄とギターとはなし
カンテ:レイコシミズサンギット
ギター:木南利夫
入場料:
3000円(前日までのご予約)
3500円(当日お申し込み)
※当日現金にてお支払いくださいませ。
定員:15名さま。
※充分に換気の出来るサロンにて、会場規模に対し少人数で行います。
詳細・お申し込み先⬇️
https://resast.jp/events/660451
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※レイコ初制作発売中♪→ https://reiko.link/shop/product/cante_flamenco_cd/
参考音源Malagueñas(マラゲーニャス)
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