”自分の感受性くらい、自分で●●。ばかものよ。”

好きな詩によくあがる、茨木のり子さんの有名な代表作です。「自分の感受性くらい、自分で守れ。ばかものよ。」と強い口調で言っているようにも聞こえます。そして、この節の前後には、自分の苛立つ気持ち、その全てを人のせいにせず、時代のせいにせず、自分で守れ、と書いています。

この「守れ」というのは言葉通りの解釈をすると「自分の感受性をないものにするな、大事にせよ」ということでしょう。もう少し、現代風に解釈すると、「自分の感性にもっと耳をすませてみよう、向かい合ってみよう」ということかな、とも思います。

最近、「内省」とか「リトリート」とか、自分に向き合うということを意識的にしている人が増えています。
会社や学校などの組織に潰されまい、流されまい、個をもっと尊重しようという時代。改めて自分に向かう、自分を表現していく、という流れを感じます。

知り合いの大学生が、「自分に向き合いたいから」という理由で海外のプログラムに参加したと言っていました。海外のプログラムに参加するなんて、刺激をもらいたい、チャレンジしたい、という自分から外向きの矢印が連想されますが、逆に、内に向かいたいという参加理由に驚きました。

毎週火曜日、渋谷で高校生にStartupBaseのラボということで文章表現の講座を開いています。インターナショナルスクールに通っている生徒さんや、家族と英語で会話をしている生徒さんも来ています。

「食を通じて自分を伝える」
「自分が大切にしてきたこと」
「自分だからこそできること」
「自分がこれからしていくべきこと」

というテーマで600字以内の文章表現(日本語)を3回に渡り宿題に出しました。自分、自分、自分、と嫌になるほど、自分を出してもらう練習です。

高校生の生徒さんは「自分だからこそできること」という宿題のために「1週間、自分のキャラクターと初めて向かい合った」と言っていました。

それを聞いたICUの吉村君が、
「この文章を書くことより、1週間自分と向かい合ったその時間がすごく良かったと思う」
と言っていました。

改めて、文章を書くというアウトプットを前提にすることで
ー解像度を高く社会を捉える
ー自分を理解する
ということが彩豊かに出来てくるというのを感じています。




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